お茶の水女子大学の「トランス女子」(MtF)の入学受入れについてネット上では既にいくつも記事が出ているし、目ぼしいLGBTアイコンたちも意見を発信している今、やや時期も逃したわけだが、個人的に物足りなさが残るので記しておきたい。
まず、様々な見方があるとしても、お茶女子のウェブサイトに追加された室伏学長のステートメントが、最も短く、かつ美しく事情と経緯を伝えている。「女子校に男子が紛れて込んだらどうするのか」とか「男体持ち」「ペニスが付いているから怖い」などといった身体と性自認のギャップに苦しむ者に向ける言葉としては、これ以上ないほど残酷極まりない意見に耳をかす前に、誰もが一読はすべきだろう。
トランスジェンダー学生の受入れについて | お茶の水女子大学
この短いステートメントは「素晴らしい」の一言に尽きる。そして「トランス女子」受入れが近い将来、「女子大」の持つ意味とアイデンティティを決定的に変容させるだろうことを予期すると、歴史の証明としてずっと後世に残して欲しい名文である。
ただ、私がもっとも感動したのは業務連絡的とも取れる最後の一節だ。
戸籍の性別と性自認が異なっている方については、入学後の学生生活をサポートするために、通称名や更衣室の使用などについて、あらかじめ情報を提供したいと考えていますので、事前に入試課にご相談ください。
「戸籍上の性別と性自認が異なっている方」や「通称名」「更衣室」の希望は「トランス男子」(FtM)の「学ぶ権利」にも該当する。つまり最後の一節は「トランス女子」だけに向けられたものでない。学長は会見で「これまでにも入学後に性自認が男性に変わった学生は在学していた」とコメントしているが、記述と併せると、「女子大」のキャンパスにジェンダーの多様が既に訪れていること、それを当局が十分に察知していることをよく伝えている。
「女の子らしくかわいいとされるもの」
ところで私は、事の成行きを眺めながら、あるコミックのキャラクターが頭から離れないでいた。
かの元祖「男の娘」アイコンとして知られる「ストップ!!ひばりくん!」(江口寿史)である。
「ストップ!!ひばりくん!」は「週刊少年ジャンプ」で1981年から1983年まで連載されたギャグ漫画である。あまりにも有名なので説明は割愛するが、「ひばりくん」のブレイクは「ニューハーフ」という言葉の登場とほぼ同時期であり、影響を受けた当事者も数多くいた。恥ずかしながら「ひばり」と名乗っている私自身もその一人だ。
「ひばりくん」の魅力はすばり「男の子だけどナチュラルな女の子にしか見えない」点であったが、一般の男子読者にとっては、性別と容姿のアンバランスから生じる倒錯的な「エロス」と「笑い」だったろう。これは、見方を変えればトランスフォビアを利用したギミックだと言えなくもない。だが、極端にデフォルメされたオカマのステレオタイプではない、ごく自然な美少女の「ひばりくん」がボーイフレンドと共に学校に通い、教室で女子と普通に会話する姿は「トランス女子」の理想的な学園生活そのものであり、私にはただ眩しい存在だった。
そんな「ひばりくん」は当時の男子だけでなく、女子にとっても絶大な支持を得えたのだが、女子にとって「ひばりくん」が何であったか、ユリイカ総特集「江口寿史」(平成28年2月臨時増刊号)で堀あきこが論じている。
筆者が『ひばりくん!』で「リアル」を感じたのは、ひばりくんがメイクに”資生堂パーキージーン”を使っているシーンだった。パーキージーンは、はじめてティーン向けに作られた人気コスメブランドで(今ならマジョリカマジョルカが該当するだろう)、高口里純『花のあすか組』のあすかの友人・ヨーコも使っていたものだ。
続けて、堀は「ひばりくん」の「たしかに<かわいい>のだが、その身体は、女性ジェンダーを色濃く反映したものではない」「ひばりくんの身体はセクシーに描かれていない」点に着目し、次のように述べている。
ボーイッシュとセクシーが両立するひばりくんのファッションと、男性を一喝する姿は、「女の子らしくかわいいとされるもの」から背を向けてよいというモデルとなった。これは、八〇年代なかば、人気アイドルだった小泉今日子がショートの刈り上げスタイルにして、たくさんの女の子が真似た姿と重なる。
(<かわいい>の威力、<あこがれ>の伝播 『ストップ!!ひばりくん!』の頃と現在)
作中では「ひばりくん」が自分をからかう男子を一蹴し、スポーツでコテンパンにやり込める様子が描かれる。「ひばりくん」の抵抗は男子だけではなく、校内のヒエラルキーの頂点に座する女子にさえ向けられた。
少年誌に「美少女」という概念を打ち立てた「ひばりくん」が、「女の子」ではなく「女の子に見える男の子」だったことは漫画史において特筆すべき点だ。しかし「ひばり」くんの特異性はただの『「かわいい」だけの存在ではなかった』ことだ。
「ひばりくん」は男子に嫌がらせを受けて、例えば「スカートめくり」をされて「いや~ん」と恥ずかしながらも喜ぶような、それまでの少年誌におけるヒロインとは全く異なる存在だったのだ。
そんな「ひばりくん」の魅力を同書ではあるカットを用いて横井周子が見事に言い当てている。
雑踏の中、思い思いのファッションに身を包んだ女の子たちの群れの中にひばりくんがいる。よく見てみると、黒髪の女の子たちはみんなそれぞれの方向を見つめてザワザワと歩いているが、ひとり茶髪で描かれたひばりくんだけがほほ笑みながら立ち止まっている。この絵一枚で、読者にはひばりくんが特別だということがわかる。
それはタイトルに名前が入っているからとか、男だけど女の恰好をしているからとかではなくて、もし前に進みたくないとひばりくんが思った時には人ごみに流されることなく自分で足を止めることができる人なんだ、ということが無言のうちに読み取れるからだ。(わたしたちのひばりくん そのファッションと少女マンガ考)
作者である江口はおそらくギャグの「手法」としての面白さ、日常的な女の子としてのリアルを描くための「技法」として「少年誌的ヒロインのアンチテーゼ」に辿り着いたものと考えられる。だが、魂を吹き込まれた「ひばりくん」の行動力と、ジェンダー表現は「女子は男子の願望に応えるためだけにメイクやオシャレを楽しまなくてもいいんだ」「自分のためだけに自分の魅力を使っていいんだ」「自分の身体は自分のものなんだ!」という強いメッセージになっていた。かくして女子を閉じ込める伝統的ジェンダーを裏切りながらも、「女子である」こと「かわいいこと」を追求する「ひばりくん」の姿は女子の「あこがれ」になったのである。
しかし、女子の中で一人佇んでいる「ひばりくん」は、MtFである私にとって二重の意味を持っている。「ひばりくん」は自分の意思で立ち止まっているように見えるかもしれない。でも、本当は、世の中にある「見えない壁」で身動きが取れないのかもしれないからだ。
例えば「ひばりくん」がこのまま成長したとして、女子大に入学出来るだろうか。「ひばりくん」がもし現在の日本の社会に存在していたら、様々な場所で自分の行動を制限されるだろう。
実際「ひばりくん」では、女子に胸を見せろと迫られたり性別を巡るピンチがエピソードに挿入されている。ところが「ひばりくん」には瓜二つの姉「つばめちゃん」が存在し、「ひばりくん」はチェンジリングでこれを回避している。「つばめちゃん」が「ひばりくん」とは正反対にも良妻賢母的で女子としては地味なキャラクターであることは印象深い。一見「自由」に見える「ひばりくん」だが、性別規範上、「ひばりくん」は決して自由な存在ではない。伝統的ジェンダーに対して絶対に敵わない「限界」があることも作品は明らかにしている。
ところで、この「ひばりくん」によく似たキャラクターが今年の初め話題となった。
「女子的生活」(坂木司)の「小川みき」だ。
「みき」はペニスを付けたままの「中途半端な身体」の持ち主だったがコミュ力が高く、パスが破れることを予測して自分からカムアウトすることもいとわなかった。巧みな話術で女子バトルを繰り広げ、メイクやファッションにも抜かりがない。世知辛い階級社会を物ともせず、強かに生き抜く様子は「性別違和に苦しむ性同一性障害の当事者」からはおよそ程遠い。その「明るさ」「パワフルさ」が一部の当事者にも受入れられた。
テレビドラマでは描き切れなかったが、原作では「みき」もまた「伝統的ジェンダーに捕らわれないトランス女子」であり、何事にも「物怖じしない女子」の姿は、まるで社会人になった「ひばりくん」そのものである。そして、この「みき」の生き方には当事者のみならず、共感する女子が少なからずいるだろうことは「ひばりくん」同様、想像に難くない。
女性がセンター(中心)に居られる場所
学長は会見の冒頭で「今回の決定を『多様性を包摂する女子大学と社会』の創出に向けた取り組み」と述べている。しかし「すでに女子校には多様性が存在してきた」という意見によると、今更トランス女子の受入れに大騒ぎするのは確かに「おおげさ」だ。
私は「トランス女子受入れの本当の意味は別にある」と大胆にも考えている。きっと学長は大事なことをあえて人々に伝えていない。
「ひばりくん」や「小川みき」に限らないのだが、物語の中で「トランス女性」はしばしば女性の共感を呼び、強烈に女性をエンパワーする存在として登場する。「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」や「ナチュラルウーマン」など「トランス女性」を描く素晴らしい作品に出合った時、女性は、いや人は、「トランス女性」の何に注目し、何に感動を得ているだろうか。
お茶女子に続いて、津田塾大学、奈良女子大学、東京女子大学、日本女子大学が同様に検討を準備している。おそらくこの流れは加速し、いずれ女子大、女子校において主流化するだろう。
発表に先立つ2017年のシンポジウム「『多様な女子』と女子大学―トランスジェンダーについて考える」のブックレット「LGBTと女子大学 誰もが自分らしく輝ける大学を目指して」(学文社)で、津田塾大学学長、高橋裕子氏は「女子大のアイデンティティ」について次のように述べている。
女性がセンター(中心)に置かれる経験をする空間を必要であるということは、アメリカの女子大学の最近の教育実績を見ても十分に確認されています。であるからこそ、「この大学は女子大学か共学化といったときに、セブンシスターズの大学アイデンティティーは、女子大学である、ウィメンズカレッジであると、自分たちは述べる」と宣言しているのです。
いわゆる「女子大」は戦前、女性に学問の扉が開かれていなかったことに起こり、高度成長期以後は伝統的家族観、家父長制の影響下における女性のジェンダーロールを引き受けた時期もあったが、時代の変遷と共に家政学的な教育方針から脱却し、今まさに「女性がセンター(中心)に居られる場」という新しいパラダイムにシフトしようとしている。
発表を受けて女子大におけるFtMの存在が疑問視されたが、新しいパラダイムにおいては学生のジェンダーアイデンティティがいかに多様化し、カオスな状態となったとしても、一点「女性がセンターにいられる場が女子大」なら、どのような形であれそれが「女子大」だと言っているのだ。
しかし、言うまでもないことだが、日本社会は未だ絶望的と言っていいほどに女性差別が根強く、「女性がセンターに立つ」ことがいかに困難であるかは、例えばBBCが制作した伊藤詩織氏のドキュメンタリー「Japan's Secret Shame(日本の秘められた恥)」で山口氏を擁護する人物として皮肉にも女性である自民党の杉田水脈議員が登場することによく現れている。
被害者である女性をバッシングするのもまた女性という有り様に、世界中から驚きと共に多くの非難が寄せられた。
女子大は、多様化する生徒のジェンダーと共に自身のアイデンティティと向き合いながら、こうした日本社会の中で勇敢にも「センターに立てる女性リーダー」を育てなければならない、という問題に直面している。
そのために必要なのが「キャンパスの多様性」などという万人受けする温い表現で終わって果たしていいのだろうか。
だから、ここは「ひばりくん」の一人として私が、恐れ多くも学長に代わって言わせてもらう。
女子大が本当に欲しているのは「多様性」などという「ふわっ」としたものでは絶対にない。今、女子大に要請されているのは、差別に打ち勝つ、柔軟で、強く、しなやかな「新しい女性ジェンダー」だ。そのためには旧来のジェンダーを解体し、女性を強力にエンパワーする存在が必要だろう。だからこそ「トランス女子」なのではないのか。
なぜならば、「ひばりくん」や「小川みき」がそうであったように、女子に掛けられたジェンダーの呪いを解除出来る存在こそ、「トランス女子」を置いて他にいないのだから。
あの発表は「トランス女子受入れ」を伝えてはいるが、真の意味は「これから女子大は女性ジェンダーの解体に本腰を入れて取り組みますよ?そのためには旧来からの女子大のイメージやアイデンティティが壊れても構いません。私たちはもうたくさんなんです。女子大のあり方は変わって来ましたが、これからはもっともっとマジで変わるつもりです。ヨロシク!」という「宣言」なのではないだろうか。
産経新聞は社説でトランス女子受入れを「男らしさや女らしさの否定につながっては、女子大の歴史的な存在意義も失われよう」と批判している。しかし、女子大が旧来からの伝統的女性ジェンダーを本気で解体しようとしているのだとしたら、不安は的中している。全く「その通り」なのだから。
「本当の意味で女性がセンターに居られる場を持つこと」。そして社会に出た時「センターに立てる女性」を育てることに本気を見せた女子大の動きに対して、産経新聞や百田尚樹氏のリアクションは、戦々恐々とする男性としてはある意味正しい。
そして最後に未来の「ひばりくん」や「小川みき」に伝えたいことがある。
我々「トランス女子」は女子大に許可を頂いて、入学させてもらいに行くのではない。
女子大は「トランス女子」の入学を許可するのではない。
逆なのだ。女子大は来るべき未来の女性リーダーを育てるために「トランス女子」に「来て欲しい」のだし、「トランス女子」は「女性はもっと自由に生きていいんだ」というメッセージを届けるためにこそ「女子大に行く」のである。
それは「トランス女子」にしか出来ないことであり、「女子」とそうした関係を築いた時、初めて我々は「性自認」などというイデオロギーを超えて対等な関係になれるのではないか。
「性自認」だから大切にされるのではない。我々はイデオロギーを超えて、友人でありよき理解者であり、隣人として大切にされる関係を求めるべきである。
女子大に「トランス女子」が入学出来るようになるということは、例えば「ひばりくん」や「小川みき」や「まりか」が女子大の門をくぐれるようになるということだ。
あるいは「にとりん」と「高槻くん」が手を繋いで女子大のキャンパスを歩けるようになるということだ。
私はその日をワクワクしながら待ち望んでいる。
-追記-
堀あきこ氏に謝意を込めて。かつて氏がユリイカ寄稿の際、「ひばりちゃんのために書いたんだよ」と言って草稿を見せてくれたことがある。私はお礼に何か書かねばならなかったが、以来そのまま何も出来ず来てしまった。この場を変えて「嬉しかった」とお伝えしたい。ありがとうございました。
参考文献 テキスト・画像引用
LGBTと女子大学 誰もが自分らしく輝ける大学を目指して(学文社 日本女子大学人間社会学部LGBT研究会編)
ユリイカ2016年2月臨時増刊号 総特集=江口寿史(ユリイカ現代思想青土社)
ストップ!!ひばりくん!コンプリート・エディション 第1巻(フリースタイル)
週刊少年ジャンプ(集英社)
ストップ!!ひばりくん!(ジャンプ・コミックス、双葉文庫、ホーム社漫画文庫、集英社ジャンプリミックス)
参考URL
トランスジェンダー学生の受入れについて | お茶の水女子大学
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