ピピピピピの爽やかな日記帳

親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

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【警察沙汰】ゲーセンで子供にお金を恵んだら殴られた!母親の暴行!

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「人様の子供に、親の許可なくお金を渡すのは、暴行・暴力・虐待だ。警察を呼んでやる! この犯罪者!」

 とあるゲームセンターの一角で、殴る蹴るの暴行事件が起きた。

 被害者はブログ主の僕であり、一瞬の隙をついて逃走を図ったため、大事に到らなかった。
 この文章は、ネットカフェ潜伏中に書いたものだ。

 概略は次のとおりである。

キッズスペースで、小学校低学年くらいの小さな子供が泣き叫んでいた。
 ゲーム機をしこたま殴っている。
 遊ぶ金がないためだ。

「お金ちょーだい」とせがんでくる子供。
 致し方ないと思い、僕はポケットの小銭をあるだけ手渡した。
 ざっと400円。

ニッコニコに光る子供の笑顔。

次の瞬間、ヒステリックな奇声が響き渡った。

やにわに登場する保護者、おそらく母親だ。

後ろ髪を鷲づかみにされる。
「他人の子供に、勝手にお金を渡すな!」と叫ばれ、殴る蹴るの暴行を受けた。

マツモトキヨシでサビオを購入して帰宅。

 以上が、事の顛末である。

 善意とは、悪意のスタート地点なのか……と、悲しい気持ちになった。

『警察沙汰-ゲーセンと子供と暴行事件』の全容

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 今回の論点は、『見知らぬ子供に対する金銭の譲渡は、道徳上、犯罪的な行為なのか?』という点である。

 古くから、「野良猫に餌をやるな」「物乞いに優しくするな」「よそはよそ、うちはうち」など、閉鎖的なカラーの言説がまかり通っている社会。
 そうした文化圏の中では、たとえ善意の恵み――「ちびっ子は、ポケモンやドラゴンボールが好きだから遊ばせてあげよう!」の心意気があろうと、非難されてしかるべしの悪意と判断されてしまう。

 公衆の面前でボコボコにされ、「犯罪者!」と名誉を傷つけられたとしても、耐えるしかないのだ。

 善意の400円が、僕を地獄へと突き落とした――

個人の善意は迷惑か-身勝手な優しさは暴力?

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 くだんの母親はしきりに、「親の許可なくお金を出すな」と声を荒げていた。
 これは言い換えると、人様の教育に口を出すな、ということになるだろう。

 ゲーム機が砕けるまで、「金くれ! 金くれ!」と自制心のない子供が暴れていようが、所詮そいつは他人所有の命である。
 ついつい、口や金を差し挟んでしまうのは、他人の家庭に土足で踏み込む行為なのかもしれない。

 そして、『ワガママが金になる』ことを学習させてしまうことで、将来ゴロツキになるリスクも高まる訳である。
 極論すれば、僕の400円が子供の運命を狂わせたのかもしれぬのだ。

 最悪の意味での、人生一変。
 僕の一撃は、それだけ罪深かった可能性がある。

 善意の扱い方は、思った以上に難しい。

 やはり無関心こそ正義だ。

若者の『善意離れ』が深刻化!

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 ちょっと前にも、社会活動家・仁藤夢乃さんが、「サラリーマンへ痴漢を捕まえる協力のお願いをしたのに、誰も助けてくれなかった」と、怒りの滲んだ失望ツイートを連発していた。
 しかしながら、『善意』が通らないどころか、『悪意』となって返ってきて、社会的・肉体的ダメージを受けるリスクが眠っているのだから仕方あるまい。

 社会活動家のように、人助けで食い扶持を稼いでいるのであれば、どう転ぼうと飯のタネとなるから問題ないが、僕たち一般人は一回転落したらどこまでも地獄を見る可能性がある。

 そうした社会構造により、若者なんていう小さな括りではなく、地球人の善意離れが深刻となってゆくのだ。

『個人起点の善意』は大変危うい

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 本件、『母親によるゲーセン暴行事件』は、僕の気分気ままな善意が起点となった。

 事件発生の数時間前、父親の会社にあったビジネス書を読みふけり、心の中に善意の花畑牧場が出来上がっていた。

『どんな理由があろうと「赤字は犯罪」』
『亡くなった社員の子まで面倒を見る会社』
『笑顔は性格ではなく「能力」』

ありえないレベルで人を大切にしたら23年連続黒字になった仕組み

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 金言の数々がインプットされ、完全なる人助けモードになってしまっていたのだ。
 その結果、向こう見ずな善意が発動した。

 そして気付いたのは、一個人の善意は、適切な扱いをしないと危険だということであった。

 正義の形は人の数だけある、と言われるように、人それぞれの価値観がそこに付随してしまうゆえ、時にそれは、誰かにとって不都合なものと化してしまうのだ。

 善意は見方を変えれば悪意、悪意も見方を変えれば善意。
 極端な物言いをするなら、こうなるだろう。

 であるからして、『危険物である善意』は、国家単位・地域単位・お店単位など、大きな仕組みの中で運用するのが最適解なのである。

 さもなければ、迷惑な折り鶴が羽ばたく光景をこれからも見ることになるであろう。

『差別ありきの善意』が過度に増えてゆく

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 僕はずっと、道端で子供が転んでいたら、タンカーやサビオを持って駆けつけるヒーローだった。

 だが今回の一件で、『直接的な人助け』から撤退しようと考えた。
 ただ一言、割に合わないためである。

 たとえば、絶世の美女・元HKT48指原莉乃がそこらへんで倒れていたとしよう。
 すかさず僕が、善意の心臓マッサージを実施するとどうなるか?
 ドルオタが僕を殴り、晒し、セクハラだと訴えるかもしれない。

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 あえて極端な例を持ち出したのは、それほど人助けしにくい社会構造になっていることを伝えたかったからだ。

 つまるところ、『助けて貰えない弱者』がこれからもっと急増する。
 いつ地雷を踏んでしまうか分からないからだ。

 そのため、『ぱっと見、安全そうな人』のみ助ける人が増え続ける。
 差別と善意の合体技が大流行する、という訳だ。

 失う者がなさそうなおっさんや、メンヘラチックなおばさんなど、サイコな雰囲気を醸し出す者には、手が差し伸べられなくなってゆく。

 したがって、国家や地域などによる、大きな仕組みの中の善意がスローモーに運用されている場合、手遅れになるケースもどんどん出てくるだろう。

 経済・評価に留まらず、善意すらも、二極化する社会のはじまりだ。

 控えめに言って、地球は丸形の地獄です。

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