ヘイトとはドロサヨ2.0のウヨ化?
先週いただいた『POSSE』39号なんですが、特集のセクハラが、やや周辺的な話題に集まっている感が・・・・。
http://www.npoposse.jp/magazine/no39.html
◆特集「#MeTooはセクハラ社会を変えられるか?」
少女を買う大人にNO!と言える社会に
――性売買の実態とセクハラ社会ニッポンの醜態
仁藤夢乃(女子高生サポートセンターColabo 代表)
女性専用車両への悪質な乗り込みを止めるために
――加害者に責任をとらせるためのヘイトウォッチ戦略
梁英聖(NPO法人反レイシズム情報センター代表)
包括的な支援でセクハラに対抗する
――セクハラと闘う労働組合パープル・ユニオンの取り組み
佐藤香(パープル・ユニオン執行委員長)
#MeToo の風をユニオンの力に変えて
――セクハラ被害を訴え続けた当事者とユニオンの闘い
本誌編集部
女性を孤立させる社会を終わらせるために
竹信三恵子(ジャーナリスト 和光大学教授)
なので、ここでは労働問題プロパーから若干離れて、梁英聖さんの文章を読んで感じたことをいくつか。
ここに出てくるのは、女性専用車両は男性差別だと言って女性専用車両に無理矢理乗り込んでくる「運動家」たちの姿なんですが、おそらく梁さん自身にそこまでの意図があったかどうかは分かりませんが、読んでいると、「差別されているのは俺たちだ!」と叫んでいわゆる被差別グループにヘイトを繰り返す人々、典型的には在特会とか嫌韓流とかの人々と共通する要素を感じました。
その要素を詰めていくと、松尾匡さんのいう左翼2.0の急進派、私のいうドロサヨ、世間一般的にはいわゆるアイデンティティ・ポリティクスを最重要に考える過去数十年くらいに流行した反差別型左翼のものの発想の型を、その型だけをそのまま輸入して、主客を逆転させて、その反差別型左翼のロジックで被害者だったグループを加害者に仕立て上げ、加害者だったグループを被害者に仕立て上げるという、その論理形式において極めて同型的だなあ、と思うわけです。
むくつけなおっさんたちが「俺たちは差別されている」と叫んで女性専用車両に押し込んでくるというのは、客観的に見ればかなりシュールな姿ですが、本人たちの主観においては、不当な差別と戦う偉大な戦士をやっているつもりなんでしょう。
そしてそのこと自体は、つまりその主観的な自己映像自体は、ある種のフェミニストが、女性オフリミットの男性聖域に(少なくともそのときの男性優位社会においては社会通念に反する形で)押し入って異議を叫ぶというのと、全く同型的であることだけは間違いないわけです。
私が注目したいのは質料よりも形相、この左翼2.0からそのまま引き継がれたかに見えるアイデンティティ右翼2.0の反差別的ロジックにあります。
まあ、20世紀の歴史を振り返れば、ファシズムやナチズム自体、左翼1.0のロジックをそのままひっくり返した極めて同型的なものでしたが、その後左翼の方が2.0に進化(?)し、アイデンティティ・ポリティクス全開で反差別のロジックを振り回すようになると、これまたその型をそのままひっくり返す形で、「俺たちは差別されている」というのが出てくる。
在特会がそのもっとも危険な断面を示しているのに対して、今回の梁さんの文章で取り上げられている女性専用車両に突進するおっさんたちはいささかカリカチュア的ではありますが、しかしのそのロジック自体はまさに現代社会の構図をよく示しているように思われました。
| 固定リンク
|
コメント