「もう放流はしないでくれ」水没の街にみたダム行政の”限界”【西日本豪雨】
- 取材スタッフが遭遇した“想定外の増水の恐怖”
- 担当者の苦渋の決断「放流か、ダム決壊か」
- 岡山出身・磯田道史「50~80年に1回は水につかる」
多数の犠牲者を出した岡山県倉敷市真備町が水に沈んだ原因は何か。
真備町では、本流の高梁川に、支流の小田川が流れ込んでいる。大雨で高梁川が増水し水位が高くなり、小田川が合流できずに逆流するバックウォーター現象が起きて、小田川や支流の堤防が複数個所決壊した可能性があるという。
では、そもそも、なぜ高梁川はここまで急激に増水したのだろうか?高梁川で何が起きていたのかを探ると「意外な事実」にぶつかった。
「やばいここ」…ダムの緊急放流その瞬間
7月6日金曜日、岡山県で別の取材中だった番組のスタッフが渋滞に巻き込まれる。「この先が陥没して冠水してるからこっちが止められていると思う。」とスタッフを乗せた車を運転するドライバーが語ったその時、午後7時40分、携帯電話から特別警報の知らせが鳴り響いた。安全を確保するためこれ以上の移動を断念したスタッフは高梁川の川沿いにあるホテルに避難した。
午後8時53分、この時、雨足は強いものの道路に水の浸水はなかった。しかしその5分後、ある音が耳に入る。「サイレン」だ。このサイレンは川の上流にあるダムが放水を開始する合図。それを境に水が一気に上昇した。
(スタッフ)「(サイレンから)わずか10分ほどで水が膝丈まで浸かっております。行こう行こうやばいよ」
(スタッフ)「波打ってます、波打ってます」
サイレンから30分後の午後9時30分、ホテル前の駐車場はかなり水位が上がり、ホテル到着からおよそ1時間後には室内の水は1メートルを超え、完全に身動きが取れない状況になった。
こうした水位の急上昇は高梁川沿いの各地で起きている。これが被害を拡大させた。
窓ガラスに刻まれた三つの線の“意味”
なぜ被害は広がったのか?私たちは国交省の河川研究室に在籍し、全国の河川を調査していた山梨大学の末次忠司教授と高梁市落合町に再び足を運んだ。末次教授はスタッフが避難したホテルの一階を見て“ある事”に気が付いた。
末次教授 「これこれ、一本、二本、三本」
末次教授が着目したのは、窓ガラスに残る三つの線。一体これが何を意味するのか?
末次教授 「ここで一回氾濫が起きて、また氾濫が起きてここまで来て、そしてまた氾濫が起きてここまで来て、と三回大きな波が来たという事なので、水の流量が(三回)一気に増えたという事です。その流量が増えた原因の一つがダムの放流かもしれない」
末次教授は急激な水の上昇の一端がダムの放流にあったのではないかと推測した。
「氾濫するから、ダムの放流はしないでくれ」
当日、スタッフが聞いたダムの放流サイレンは、ダム側から連絡を受けて市が鳴らした。その中で高梁市の防災責任者は、こんなやりとりがあった事を明かした。
高梁市の防災責任者「実は河本ダムに言ったんですよ。『これ以上流すと氾濫するから、もう放流はしないでくれ、頼むからやめてくれ』と。でも河本ダムからは『放流しなければダムが決壊する。そうなればもっと甚大な被害が出るから無理です』と言われました。そのタイミングは…観測所の水位が8メートルの危険水域を超えていたのが午後7時前だったので、その後だったと思います」
ダム決壊はさらに大災害を招く…苦渋の放流決断
上流にいくつかあるダムのうち、河本ダムは治水目的のダムの一つで今回緊急放流を行っている。実は午後3時頃から急激に流入する水が増加し、毎秒500トンを超えていた。そこで午後7時に毎秒391トン、平時の39倍を放流。午後8時に平時の40倍、その後も9時、10時とそれを上回る放流が行われ、午後11時には流入量とほぼ同じだけ放流する緊急放流が行われた。
CG画面など午後7時の時点ですでに危険水域の8メートルを観測していた中、なぜ緊急放流を行ったのか?河本ダムを管理する岡山県の担当者はこう答える。
岡山県の担当者「(ダムの)容量というのは限られていますので、その容量まで水が溜まるんですけど、それ以上溜まりますと、ダムの決壊という非常に大災害の恐れがありますので、それは絶対に避けなきゃいけない。まだ検証とかそういった話が出来ていませんのでどの辺が影響あったかのかはこの場では言えない…」
まさに“苦渋の決断”だったという。
しかしもっと早い段階で放水量を徐々に増やしていれば緊急放流もせずに済んだのではなかったのだろうか?
前述の末次教授は“ダムの限界”について「洪水調節のためだけならば水位を事前にぐっと下げておけばよいのですが多目的ダムだと発電したり生活用水を貯めたりするので全部放流できるわけではない。」と語る。
「強い堤防の建設を後回しにしている」
高梁川流域は、昔から、何度も洪水が起きていた。特に、今回50人もの死者を出した真備町では、1972年と1976年にも浸水被害が起きている。今回の浸水エリアは、2年前に倉敷市が作成し住民に配ったハザードマップの想定浸水地域とほとんど重なる。地域住民は何度も国に陳情し、ようやく国交省が今年の秋にも真備地区の洪水対策の工事を始める予定だった。しかし、間に合わなかったのだ。
その一方で、1972年の洪水以降、高梁川上流に3つ、洪水対策や水道用などの目的でダムが作られている。
治水の専門家である京都大学名誉教授(河川工学)今本博健氏は日本の治水行政における“ダムありき”の限界を語る。
「河本ダムはそれなりの働きはしているのです。だけど、被害を食い止めることができなかった、これがダムの限界だと思うのです。国交省は、ともかくダムを先に作る、優先して作るということで、強い堤防を作ることを後回しにしてきているのです」
過去何度も川は氾濫していた…歴史から“災害”を予測せよ
佐々木恭子:磯田さんは岡山出身でいらっしゃいます。このあたり、災害が少ないという話も聞かれるんですが、歴史学者の立場として以前から危険性を訴えていたんですよね。
磯田道史(歴史学者):僕も小さいころから岡山は安全だと、どんな台風が来ても川の水はあふれなかったとみんな言うんですけど、古文書を読んでみるとそんなことはない。小田川流域でも50~80年に一回、水につかっているんですよね。ですので安全とはとても思えない。とても心配していて、来月は岡山の河川事務所長さんと一緒に400年近く前の岡山の治水をやっていた人のシンポジウムをやろうとしていた矢先で、いきなり今回の災害でした。
佐々木:地元の方は過去の歴史に気づいていた方もいたわけですよね…それでもなかなか計画が進まないのには何があるんでしょうか
片山善博(前鳥取県知事・早稲田大学公共経営大学院教授):一つは国も地方自治体もそうなんですけど全体としてこの水害対策方面にどれくらいの予算を投じるかということがある。もう一つは河川行政がバラバラなことです。
国と県とで役割分担で、一級河川は国が直接管理するんです。しかしその上流部分については県が管理すると分かれている。一体的に連携が取れない。しかも一旦避難となれば今度は市町村が担当する。対応がちぐはぐになる。こういう県で完結する川でしたら県が一括管理するなどの体系を変えないといけない。
磯田:基本的には災害が来るんだという意識を持つしかない。来るか来ないかは歴史とシミュレーションでしかわからないんです。被害想定でこれだけ水に浸かると出ているところはもう来る前提で準備しておくべきです。避難カルテをしっかり作って行動のリスト作りが重要です。浸水が5メートル来るようなところはいくつもあって事前に分かっているので個々の事情に合った避難方法を事前に作っておくということが必要だと思います。温暖化でこれからスーパー台風、高潮というものが尋常じゃない姿でやってくるというその前提でやっていかなくちゃいけないですね。
磯田:私たちも行政だけには頼らない、まさかの時の準備を日々心がけておかなければならないのはもちろんだが、今回なぜここまで川が氾濫し、被害が拡大したのか、検証し、教訓として、まさに歴史として未来につないでいかなければならない。
(報道プライムサンデー7月15日放送分より)