「平昌」のあとしまつ

2018-05-31 | 記事

案の定と言うか、恐れていた事が起こってしまった。5月18日に韓国各所で大雨が降り、五輪競技場建設でハゲ山になった平昌で災害が発生したという。韓国のニュースを以下に翻訳抜粋する。

http://www.kado.net/?mod=news&act=articleView&idxno=912915
豪雨で試験台に乗るオリンピックの後処理
2018年5月22日

この日(訳注:5月18日)道内各所で1時間当たり60ミリの豪雨が発生して大変な被害が起こり、オリンピック開催地と施設にも直撃弾となった。旌善(チョンソン 정선)のアルペンセンター競技場と周辺地域である宿岩里(スガムリ 숙암리)一体で山崩れが発生したのだ。真夜中に土砂と雨水が近辺の商家と住宅街に流入して、2世帯6人の住民が緊急退避する騒動が繰り広げられた。その間、復元か保存かをめぐって論争が繰り広げられる間にこうした事が起こったのだ。もちろん予想外のゲリラ豪雨のせいもあるが、オリンピックが終わってもしもの事態に備える後続措置が不十分であったという事実が如実に明らかになったのだ。
大関嶺面横渓里の車項川が氾濫して住民35人が孤立して救助されるという危なっかしい事態も起こった。河川に設置されたオリンピック構造物が水の流れを塞いで被害を大きくしたという。危険を感じた住民がすでに3月から組織委に構造物の撤去を要請したという。こうした点から、安易な対処が呼んだ人災に違いない。


ハゲ山に大雨が降って山崩れになり、さらに五輪関連の構造物が川の流れをせき止めて被害を大きくした。すなわちオリンピックによる二重の人災であったという事だ。それでも死者が出なかったのは不幸中の幸いとしか言いようがない。これから梅雨や台風の季節になればもっと大きな被害が起こるのではないか。オリンピックの競技場建設が世界中で深刻な環境破壊をもたらしているのは周知の事実だが、平昌の場合は山の中だけにこうした洪水や山崩れが本当に心配である。
もちろんこうした自然災害だけではない。競技場建設の為に暴力的に追い出された撤去民達はどうなったのか? 建設現場の突貫作業の為に死んだり怪我をした作業員達は? 地方自治体の巨額財政損失も今後間違いなく炸裂するであろう。五輪開催地となった江原道はそれでなくとも過疎の田舎なのに、その財政赤字の為に今後は福祉と公共サービスがバンバン削られる事になるのは間違いない。日本の長野とおんなじ道をたどりつつある。江原道という地方自治体を自然人に例えるなら、高利の闇金から金を借りた多重債務者みたいなもんであり、自分の腎臓を闇医者に売るか娘をソープに売るかを迫られているような状況だという事だ。

「君達、どんな借金の取立てをされたいかリクエストはあるかね? ナニワ金融道かミナミの帝王か、それともウシジマくん方式がいいか?」

…冗談はともかく、江原道という自治体の将来には地獄しか待っていない事は確かであろう。「平昌五輪が南北和解と平和のきっかけになった」だって? 馬鹿を言ってはいけない。地元の住民に多大な犠牲を強いて使い捨てにし、利益は全て一部の大手ゼネコンや政治家・オリンピックマフィア(IOCなど)がかっさらっていった「いつも通りのオリンピック」だ。平昌五輪が朝鮮半島の平和と統一に寄与する所はない。今の和解ムードも早晩先細りになる可能性が高いと思う。文在寅政権のありようを見ていると、そのような運命しかあり得ない。

平昌五輪などという世紀の愚行を「平和オリンピック」「祖国統一バンザイ」などと言って拍手するのは、本当に救いようのない馬鹿げた行動である。朴槿恵政権が倒れてその弊害を清算するというならば、平昌五輪は真っ先に中止されなければならないイベントであった。このイベントを招致するのにどれだけの裏金が飛び交ったのか? そういう事に司直の手が入らなければならなかったのに、文在寅政権はそうしなかった。それどころか国威発揚と人気取りの為にそうした闇の部分に一切目をつぶり、前政権以上にオリンピックを派手に展開しようとしたのである。それに対して新年の辞で「民族の慶事」などと阿諛追従した金正恩には心底落胆させられたが、いくら外交上のリップサービスとはいえ限度を超していよう。筆者はこれまで金正恩という人物についてそれなりに高く評価していたのだが、あの新年の辞だけは本当に駄目だと思った。

そして平昌五輪を熱心に支持していた者達ほど、こうした「「平昌」のあとしまつ」に恐ろしいほど無関心である。「平昌五輪のおかげで今の南北対話と朝米対話がある。このチャンスを未来につなげよう」みたいな事を言っている平和統一運動家や言論人で、地元の撤去民問題や山崩れの被災者、競技場建設で犠牲になった労働者、自然破壊問題、自治体の財政問題などについて言及しているのを見た事がない。これまで国家保安法に対してあれだけ激烈な闘争をしてきた黄羨氏のような活動家でさえそうなのだ。平昌五輪が「平和統一への第一歩」だと言うならば、その犠牲になった地元民や労働者こそ真っ先に救済されたり補償されなければならない人達ではないのか。平昌五輪を熱心に応援した者ほどそうした救済や補償、災害防止策、責任者の処罰などを韓国政府に求めなければならないはずだ。それなのにそれを一切無視してだんまりを決め込む「平和統一運動」というのは一体何なのかと思う。これは端的に言って「弱者切捨て」の論理である。平昌五輪とそれによる南北対話ムードという「大の虫」の為には、撤去民や被災者や破壊された自然環境などといった「小の虫」は犠牲になって当然だとでも? 日本のエセ反差別運動(しばき隊など)で横行している暴力や排除と何が違うのか。平昌五輪という世紀の愚行を支持・応援した事によって「運動のモラル崩壊」「大きな目的の為には弱者を切り捨てる風潮の横行」がまかり通るようになった。それがもたらす結果は「運動体に対する社会的信用の失墜」と「平和統一そのものへの嫌悪感の醸成」である。これこそ平昌五輪が平和統一運動にとって「地雷中の地雷」たる所以なのだ。

「終わっている」のはコリアNGOセンター(しばき隊内ゲバリンチ事件隠蔽に加担?)やワンコリアフェスティバル(親日親米反北派の巣窟)のような大分前から腐っていた集団だけではない。今や南北本国や在外同胞問わず、平昌五輪を支持した事によって平和統一運動そのものが事実上「終わった」と見るべきであろう。

1988年のソウル五輪の時はそれでもまだ冷めた目と頭と反骨精神を持った人達がおり、「88オリンピックなんて全斗煥・盧泰愚軍事政権のおもちゃだ」「ソウル市内のデモを一切禁止する戒厳令まがいの条例を布いたり、北を排除しておいて何が平和オリンピックなもんか」と主張する声が市民社会にあったし、撤去民の惨状をとらえたドキュメント映画が制作されてそれが海外に広められもした。最晩年になって突如民主化運動を裏切って盧泰愚政権にくっついた咸錫憲への批判もかなり言われたものである。それから30年が過ぎて平昌冬季五輪でも再び同じ撤去民問題などの愚行や悪事が繰り返された。ところが、それに対する批判は30年前と比較にならないほど小さくなってしまったのはどういう事か。批判どころか、市民社会や平和統一運動ほど率先して五輪翼賛に走って「新しい国民運動」化していったのだ。

そして今また、韓国においては最低賃金法の改悪という、平昌五輪にも劣らぬ世紀の愚行・悪法が与野党多数の賛成によって可決された(もちろん日本でも今同じような事が…まさに日韓仲良くしようぜ!)。与野党多数、すなわち文在寅の民主党も自由韓国党などの極右野党と一緒になってこれに賛成したのだ。当然大統領がこの法に拒否権を行使する可能性はゼロである。「キャンドル革命」「文在寅大統領は民主主義者」と世間一般で言われている中でこれだ。

韓国では「革命」など何も起こっていない。
文在寅も民主党も労働者大衆の味方では全くなく、この点では自由韓国党はもちろん日本の自民党や安倍ともさしたる違いはない。

こうした前提に立たねば過ちを犯す事になる。
南北が和解に進んでいる状況(?)にも関わらず、南の民衆の生活は決して良くならず、労働者は酷使・搾取され続ける。「分断体制こそ韓国における悪の元凶 by 白楽晴」という言葉は一理あるように見えるが、実際には半分間違いであろう。韓国は朝鮮共和国との和解の前に、国内でもっとやる事(またはやってはいけない事)がたくさんあるのではないか?

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