新左翼系各派の領土問題論考

 (最新見直し2010.11.07日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここに領土紛争考サイトを設け検証することにする。

 2004.5.13日 れんだいこ拝


関連サイト

中核派の領土問題論考
 
 日帝ブルジョアジーの伝統的政策であるソ連脅威論に批判の照射をあて、これにたいしてレーニン的原則を対置しえないスターリン主義の腐敗・堕落を断罪している。スターリン主義への反発からブルジョアジーとの妥協にはしるいっさいの試みと、革命的共産主義とを峻別することを論じた貴重な小論。発表時署名武井健人。
 
 
 北方領土にかんする紛争が、再燃しようとしている。日本ブルジョア政府は、異常な努力をかたむけて、あたかも北方領土問題が、日本国民の死活の問題であるかのようにふるまっている。
 自民党は、もともと、自分の手で千島列島の領有権を放棄しておきながら(講和条約を審議した五六年の国会で当時の西村外務省条約局長は「放棄した千島には北千島、南千島が含まれる」とのべている)、いまごろになって、またまた、北方領土問題をむしかえそうとしている。政府と自民党は、もっともらしい顔つきで、北洋漁民の生活権がどうのこうの、とわめきたてている。だが、日本ブルジョアジーは、このアワレな漁民たちのために、千島列島の領有権問題について、真剣になりだしたのだろうか。そんなハズがないことは、すこしでも政治に関心をもっている労働者なら、すぐわかることである。
 もともと、日本ブルジョア政府は、ちょっとぐらい騒いだところで、ソ連政府が千島列島をかんたんに返しはしないことを、百も承知なのである。では、いったいなんのためか。答えはかんたんだ。日本の資本家階級にとって、直接に千島を返してもらうことよりも、この問題で騒ぎたてることによって、ソ連への民族的な排外主義をあおりたてる方が、はるかに利益になるのである。なぜなら、このような排外主義の熱病的な拡がりは、労働者階級が国内の矛盾を鋭くみきわめることをきわめて困難にしてしまうからである。したがってソ連官僚制政府や日本共産党のように、北方領土問題に対抗するために、沖縄、小笠原問題で別の排外主義をあおりたてるという方法は、すこしも労働者階級の利益にならないどころか、際限のない泥沼に労働者階級をつき落すことになるのである。
 マルクスは、約一世紀まえに、国際労働者協会(第一インターナショナル)の創立宣言の最後でつぎのようにいっている。
   「もし労働者階級の解放がその兄弟的な協力を要求するならば彼らは、その大使命を達成するために、民族的偏見を利用し強盗戦争に人民の血と財宝を浪費して犯罪的企図を追及する対外政策をいかに処理すべきであろうか?…‥これらのことは労働者階級につぎのことをおしえた。すなわち、国際政策の秘密に精通すること、おのおのの政府の外交行為を監視すること、必要とあればうごかしうるあらゆる手段によってそれらに対抗すること、それが阻止できないときは、いっせいに弾劾するために団結し、個々人の関係を支配すべき道徳と正義の単純な法則を諸国民間の交通の最高法則として承認することが義務であること。
  こうした対外政策のための闘争は、労働者階級解放のための一般的闘争の一部を形成する。
   万国のプロレタリア、団結せよ!」
 この短い文章からでも、外交問題と労働者階級との関係が、じつに生きいきと提起されている。すなわち、本来、国際的な労働者階級は外交問題に無関心でいることはできない。だが、このことは、労働者階級が、千島列島の帰属問題をめぐって、不必要な分裂をもたらされることを避けるためである。つまり、労働者階級は、主とした関心をその領土がどの国に属するのかという点にむけるのではなしに、国際的プロレタリアートの兄弟的団結をいかにかちとっていくのか、という観点からその問題をとりあつかうのである。
 だからこそ、ブルジョアジーが不必要な民族的排外主義で社会主義の戦列を攻撃するスキを与えないために、レーニンは、ソビエト政権の基本政策の一つとして「公正な講和」を強調したのである。この「公正な講和」とは、無併合・無賠償の講和であり、なんぴとといえどもその意志に反して抑留してはならないという立場である。とくに兵士は、強制的に戦争に駆りだされた労働者や農民であり、戦争の犠牲者を戦後もむやみに抑留するようなことは、けっして社会主義=労働者階級の利益にならないのである。このようなレーニン主義的原則と今日のソ連政府(スターリニスト官僚)の対日政策とが、まったく一八〇度も対立していることはいまさらいうまでもないであろう。
 したがって、今日、ソ連政府やその第五列である日本共産党は、「千島列島が日本領土になるならば、対ソ非友好的行為の場として利用されることは明らかであるから、返すわけにはいかない。日本にとり解決されていない領土問題が実際にあるとすれば、それは沖縄、小笠原問題である」と主張している。だが、日本ブルジョアジーが反ソ宣伝をあおる絶好の素材を提供しているのが、ほかならぬスターリニスト官僚の排外主義的対外政策であることを賢明な労働者はすでに見破っているのである。
 われわれ革命的共産主義者は、他の諸文書で明白に表現してきたように、今日のソ連を労働者の国家であるというスターリニスト的なデマに反対してきた。それゆえ、われわれは、ソ連労働者階級が強力的に官僚制(政府)を打倒し、レーニンとトロッキーの指導のもとにロシア革命権力として実現した労働者ソビエト=コンミューンを再建する闘争にたちあがるよう、いっさいの俗物的配慮をうち破って公言してきた。そして、北方領土問題の直接の原因が、ソ連政府の反レーニン主義的対外政策にあることを執拗に暴露しつづけるであろう。
 だがわれわれ革命的共産主義者は、同時に、この北方領土問題を、反ソ的な排外主義の宣伝材料に歪曲しようとするいっさいのブルジョア的試みにたいし、断固として反対しなければならない。なぜなら、そのような排外主義は、ブルジョアジーが内政の矛盾を対外問題にすりかえる狡猾なワナに労働者階級をおとしいれることになるからであり、日本労働者階級とソ連労働者階級の兄弟的団結をかちとるための大きな障害となるからである。
 日本ブルジョアジーは、明らかに、ソ連政府の核実験再開によって生じた国内の反ソ的気分を、この北方領土問題に結びつけ、民族的な排外主義(愛国主義)をいっきょに組織し、かくして、日本を極東における反革命の拠点として確立しようとしているのである。帝国主義的ブルジョアジーにとって、排外主義的気分に労働者階級が犯されている状態ほど、好都合なことはないのである。
 したがって、今日、社会党がとっている立場ほど、労働者階級にとって危険なものはないであろう。いまや、独占資本の巨大な超過利潤の恩恵にあずかるところまで栄達した労働貴族(社会民主主義者)たちは、千島列島の領有権を放棄したのは自民党の政治的責任である、などという超社会排外主義的な政策をかかげて、独占ブルジョアジーの歓心をえようと懸命になっている。しかも、わが労働貴族の政治的代言人は、自民、社会、民社三党の秘密党首会議を提唱することによって、労働者階級の目のとどかぬ赤いジュータンのうえでブルジョアジーの政治的代表者ととりひきをしようとたくらんでいるのである。
 労働者階級は、このような自民党、社会党、民社党の共謀による反ソ的排外主義=秘密外交にたいし、断固として弾劾しなければならない。このような社会排外主義の嵐は、かならずや、反共主義に一転して労働者階級の頭上を襲うであろう。それゆえ、労働者階級は、ソ連政府の反レーニン主義的対外政策を合理化するために、日本共産党によって強引に主張されるであろう反米的排外主義とも、きびしく自己を区別しなければならないのである。
 われわれ革命的共産主義者は、排外主義の流れに抗して、断固として労働者階級の国際主義の旗をたかくかかげなくてはならない。共産主義者同盟の崩壊の過程に生みだされたもっとも醜悪な分子は、いまや、公然と反マルクス主義の旗をかかげ、職業的反共主義者と結合を深めつつある。これらの職業的陰謀家たちは、反ソ的気分の一定の高揚とともに、ブルジョアジーの先兵として反共的暴動の先頭にたって労働者階級に襲いかかりさえするであろう。反スターリン主義と反ソ主義は無縁である。われわれ革命的共産主義者はスターリン主義への反発をブルジョアジーとの妥協に誘導しようとするいっさいの挑発から自己を区別し、恐れることなくわが道を進むであろう。
        (『前進』七〇号、一九六一十月一五日 に掲載)

10月4日付党署名論文を批判する            かけはし2010.10.18号
「領土主義」ふりまく共産党

日本の「尖閣諸島」領有は法的にも政治的にも正当化されない

 躍起になって尖閣領有擁護

 日本共産党の「しんぶん赤旗」10月5日号は、「尖閣諸島問題 日本の領有は歴史的にも国際法上も正当――日本政府は堂々とその大義を主張すべき――」と題する十月四日付の二面に及ぶ党署名論文を掲載した。日本共産党は街頭でも同趣旨のチラシを配布し、「尖閣諸島」をめぐる日本政府の主張の「正当性」を訴え、中国の主張の「不当性」を批判するキャンペーンの先頭に立っている。

 われわれはすでに本紙で二度(9月27日号、10月4日号)にわたって、「尖閣諸島は日本の領土」論には根拠がないことを明らかにし、「領土主義」に基づく「中国の脅威」という排外主義と安保正当化論を批判してきた。ここで改めて日本共産党の主張が事実上、天皇制明治国家の侵略・植民地主義を歴史的に正当化するものでしかないことを厳しく批判しなければならない。国会内に「尖閣=日本の領土」論に反対する政党が一つも存在せず、マスメディアにおいても敢えて異を唱える論議がどこにも見当たらないという悲惨な状況が、まさに日本の現実だからである。以下の共産党の主張の引用は、いずれも前記「しんぶん赤旗」10月5日号掲載の党論文からである。

 共産党は第一に、「近代にいたるまで尖閣諸島は、いずれの国の領有にも属せず、いずれの国の支配も及んでいない、国際法でいうところの『無主の地』であった」とし、「1895年1月14日の閣議決定によって尖閣列島を日本領に編入した」ことは「歴史的には、この措置が尖閣諸島にたいする最初の領有行為」であって「これは『無主の地』を領有の意思を持って占有する『先占』にあたり、国際法で正当と認められている領土取得の権原のひとつである」と主張する。

 しかし十九世紀後半までの、「中華帝国」を中心とする東アジアの国際関係は、近代国民国家的(あるいは帝国主義的)な観念によって、「無人島」に至るまで領土が主権国家間で分割されつくしているという状況とはほど遠かった。「無主の地」の「先占」によって領土が獲得される、という近代国家関係を東アジアにおいていち早く適用した日本の行為を無条件に政治的に正当化する共産党の主張は、帝国主義の植民地獲得競争の「ルール」に対してまったく無批判的である。

「無主先占」論は正当なのか

 また共産党は、一八八五年に古賀辰四郎が政府に尖閣諸島の「貸与願い」を申請した時点では、「政府内での検討の結果は、国標を建てて開拓にあたるのは他日の機会に譲る」というものだったが「その後沖縄県などを通じてたびたび現地調査をおこなった」うえで一八九五年の閣議決定にいたったとしている。

 ところがここには幾つものゴマカシがある。一八八五年時点での日本政府の態度はたんに「国標を建てて開拓にあたるのは他日の機会に譲る」というだけのものではない。沖縄県も日本政府も、尖閣諸島領有を強行すれば清国との国際問題に発展する可能性があるのを恐れたことが最大の要因であった。実際、一八九五年の閣議決定の前年、一八九四年に古賀辰四郎が行った釣魚島開拓の許可願いに対しても沖縄県は「同島の所属が帝国のものなるや否や不明確なりし為に」として却下している。

 第二に、一八八五年以来「たびたび現地調査をおこなった」うえで一八九五年の閣議決定に至った、としているのであるが、文献記録で見る限り「現地調査」は政府の「内命」を受けて沖縄県が一八八五年十月に行った一回だけである。外務省や共産党が言う「たびたび現地調査を行った」というのはいつのことなのか、明らかにすべきだろう。

 共産党は第二に、尖閣列島の領有は「侵略による奪取とは異なる」と強弁している。「日清戦争(1894~95年)で日本は、台湾とその付属島嶼、澎湖列島などを中国から不当に割譲させ、中国への侵略の一歩をすすめた。しかし、尖閣諸島は、日本が不当に奪取した中国の領域には入っていない」。「第一に、経過の点で、日本が尖閣諸島の領有を宣言したのは1895年1月14日であり、台湾・澎湖の割譲を取り決めた講和条約の交渉が開始される同年3月20日よりも2カ月ほど前のことである」。

 尖閣領有と台湾奪取は不可分だ

 「第二に下関条約は、割譲範囲について第二条で……尖閣諸島については一切言及していない」「第三に、下関条約を締結する交渉の過程で、中国側の代表は台湾とその付属機関や澎湖列島の割譲要求にたいしては強く抗議したが、尖閣列島についてはなんら触れなかった」云々。こうして共産党は「日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった」とまで強調するのである。

 これは驚くべきことではないか。一八八五年に最初に尖閣列島問題の領有問題が政府内で検討されてから、中国との関係に配慮して踏み切れなかった日本政府が、日清戦争の戦勝の流れがほぼ確実になった一八九五年一月になって初めて、領有の閣議決定に踏み込んだことを見ても、台湾・澎湖列島の侵略・植民地化と「尖閣の領有」は「まったく異なる、正当な行為」などという主張はデタラメきわまるものである。

 その点では、右派の政治学者である伊藤隆監修、百瀬孝著『史料検証 日本の領土』(河出書房新社、2010年8月刊)の説明の方が、まだ正直である。
 「この時期に(尖閣諸島の)領土編入を行ったことについて、一〇年前は中国をおもんばかって実行できなかったことを、中国敗戦のドサクサに紛れて奪取したとの批判が現在ある。しかし一〇年前は正しいことでも弱小国日本としてアジアの超大国中国に遠慮しなければならなかったのに反し、中国が弱体化したため遠慮の必要がなくなって、正しいと信じたことを実行できた、と解することができる(ただし時期の点は、疑わしい行動として指弾されることは覚悟したかもしれないが、当時は中国の新聞も含め何の反応もなかった。中国政府は敗戦が近く、台湾が日本領有に帰することを嫌ってイギリスに譲渡する案を打診していたという説があったぐらいであるから小島の行方などに無関心でもあった)」。

 無通告・非告示は不法行為だ

 共産党は「尖閣列島」領有の一八九五年一月の閣議決定を正当化する際に、決定的なことに触れていない。それはこの閣議決定が、国際的に通知されず(もちろん清国に対しても)、また国内的にも官報等で公示されることはなかったことである。それは国際的にも国内的にも秘密裏になされた行為であった。

 またこの閣議決定では尖閣諸島(当時はそのような名は付けられておらず久場島、魚釣島とのみ記されている)に日本領であることを示す「標杭」を建てることも含まれているが、そうした「標杭」(国標)はついに建てられることはなかった。尖閣諸島への「標杭」建設は、実に一九六九年五月に、米国施政権下において石垣市の名でなされたのが初めてなのである。一九六九年五月といえば、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が尖閣諸島のある東シナ海から黄海について石油天然ガス資源が海底に存在する可能性を指摘した報告書を刊行したその時にあたる。

 こうした秘密裏の閣議決定の合法性について共産党は、「関係国への領有の通告は、あらかじめ取り決めなどのある場合を除いて、国際法上、一般に義務とはされていない」と主張する。しかし前述『日本の領土』でも「官報に出たわけではなく、外国にも通告されておらず、領土編入について無主物先占の万全の手続きをふんだとは到底いえない」と指摘しているのであって、共産党の主張には明らかに無理がある。

 共産党は日清戦争の講和条件を定めた「下関条約」で、尖閣諸島が清国から割譲される領土に含まれていないから、中国から奪い取ったものではない、と述べているのだが、これこそ条約に先だって行われた不法な「尖閣領有」宣言の実態を隠ぺいするものである。

 共産党の「尖閣」論文は、まさに「尖閣列島=日本の領土」論にしがみつき、侵略・植民地支配の歴史をおおい隠すきわめて反動的なものであることを、われわれは改めて批判しなければならない。それは「中国の軍事的脅威」を口実にした安保―「日米同盟」強化の流れに棹さし、基地のない沖縄をめざす闘いにとってさらなる困難を作り出すものであるからだ。 (平井純一)

 関連年表

1872年 琉球王国を琉球藩へ、琉球の明治国家体制への包摂
1874年7月 日本軍、台湾出兵
1879年3月 琉球処分 琉球藩廃止・沖縄県設置
1885年 古賀辰四郎 久場島の開拓許可申請、政府・沖縄県に現地調査内命、政府・領有を見送り
1894年8月 日清戦争開戦
1895年1月 尖閣領有の閣議決定
1895年4月 下関条約調印、日本は台湾、澎湖諸島を奪取
1945年 沖縄戦、沖縄全土が米軍の占領下に
1952年4月 サンフランシスコ講和条約発効
1969年5月 ECAFE、東シナ海海底油田の可能性を指摘
1971年6月 沖縄返還協定調印
1972年5月 沖縄「本土復帰」
1978年 日中平和友好条約(小平の「尖閣」棚上げ論)









(私論.私見)