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神保町系オタオタ日記

2006-03-03

[] 大川周明トンデモ本の世界(その3) Add Star


1 大川周明小谷部全一郎補遺


 酒井勝軍については、竹内文献の信奉者と筆頭に挙げられるほどよく知られているかと思うが、小谷部と竹内文献の関係については、あまり知られていない。


 昭和16年に亡くなる小谷部は、晩年、竹内文献や、心霊主義にどっぷりとはまっていたようである。例えば、昨年、新装版の出た高木彬光『成吉思汗の秘密』(光文社文庫)には、義経に関する竹内文献が出てくるが、この文書の存在については、小谷部が既に戦前言及している。


 すなわち、『成吉思汗は義経なり』(昭和14年6月発行版)には、



義経陸奥に赴く途中、越中国婦負郡宮川郷に鎮座する延喜式の古社皇太神宮に参籠し自身蝦夷唐国の主たらんことを祈願せる事実が近年其の神社古文書より発見せられたるに依りて明瞭となれり。

 


 この「古文書」出現の経緯については、書かれていないが、他の「古文書」でもあったように、小谷部の方から、こういう古文書がないかと尋ねた結果、出現したものであろうか。


 また、仲木貞一『キリストは何故日本に来たか?』(昭和15年1月発行)には、天津教によって「発見」された青森県キリストの墓を、陸軍参謀本部安江仙弘大佐にやや遅れて、小谷部が来訪した時のことについて記されている。



この学者は、猶太民族に対する造詣が深いとかで、壷その他の出土器に対して、それらが猶太民族特有の物であるとの折紙をつけたそうだ。更にこの博士は、例の霊媒術を行ふことでも有名ださうだが、その折、精神を統一して、霊界からキリストを呼び出し、それと問答を行つたそうだ。それによると、左の通り興味深いものであつたと云ふ話しだ。

 小谷部「貴方は、日本で妻を娶りましたか?」

 キリスト「娶りました。私が42歳の時、名をゆみと云ふ20歳の女を娶りました・・・私を非常に愛してくれました」

 (後略)


 この後には、娘が3人できたとキリストが語っている。

 キリストが22歳も年下の日本人を妻にして、子供が3人もいたなんて、私は知らなんだ・・・世界史の授業では、習わなかったぞ!


 小谷部『義経満洲』(昭和10年3月発行)には、渋谷の角地藤太郎先生なる人が、小谷部に無断で、荒深道斎に交霊を依頼した結果が、記されている。それによると、



義経の霊が『成吉思汗は源義経也』の著者である私に憑いて指導して居る事や、(中略)また義経が死を装ひて蝦夷に遁れ、更に満洲に渡つた事、及び現満洲国の執政はその末裔であつて、其の幕下に在つて建国の為めに働いて居る満洲人士の多くは、昔彼地に遁れた日本武士の血族であると指摘して居る。


 なんだか、きな臭くなってきた。竹内文献には、多くの軍人・右翼の信奉者がいたが、義経ジンギスカン説にも、大陸進出の正当化を求める軍人・右翼の信奉者たちはいたのだろうか。ちなみに、本書にも義経自筆の祈願書が登場するから、遅くとも昭和10年には義経に関する竹内文献は出現していたことになる。

森 洋介森 洋介 2006/03/06 19:35 小谷部全一郎の本を續刊した厚生閣(現・恒星社厚生閣)の初代社長は、キリスト教圖書で知られる警醒社から獨立した人です(曾根博義「厚生閣(書店)とモダニズム文学出版」『日本近代文学館年誌 資料探索 1』2005.9、參照)。松村介石も平井金三も警醒社書店から著書を出してゐて、多分その縁かと。どうもキリスト教は怪しい。押川方義はじめ、「基督教日本主義者」は皆どこかをかしな人ばかり。切支丹の邪教、恐ろしや。

神保町のオタ神保町のオタ 2006/03/06 21:22 戦前のトンデモ人物の共通点は、東北出身者、キリスト教徒ですね。両方を兼ね備える人も多い。ご紹介の論文って、おもしろそう。

森 洋介森 洋介 2006/03/06 21:47  東北、キリスト教、……「おらといっしょにぱらいそさいくだ」(諸星大二郎)の世界ですか。まあ奥羽越列藩は佐幕派、「敗者」の地で抑壓されましたから、徳川本家靜岡の舊幕臣キリスト教者(太田愛人『明治キリスト教の流域 静岡バンドと幕臣たち』とか)以上に「ひづみ」が大きいのかも? 
 なほ大川周明も、ポール・リシヤル『永遠の智慧』といふ譯本(1924)を警醒社から出してゐたやうですが未見。

神保町のオタ神保町のオタ 2006/03/07 06:19 諸星・・・なつかしい世界。