僕は対人ストレスを感じやすいタイプの人間だ。
いわゆるHSP(5人に1人の敏感な心の持ち主)であると自認している。
それゆえ、監視される職場が増えると命に関わってくる。
幸い、父親が営む経営コンサル会社にて身を隠すように働けている現状だ。
だが、ひょんなことから倒産し、転職活動をせねばならない未来も考えられる。
最悪のケースを踏まえると、監視がこのまま常態化するのは死活問題になる。
路頭に迷う夢を見て、毎日、目を覚ます。
現実は今日も、悪夢より最悪だ。
会社の『上司による監視』で壊れる心
日本企業で働くといつも、ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』が思い出され、「あー今僕は、会社というアウシュヴィッツ強制収容所にいるのだ」と暗く沈んだ気持ちになる。
理由は簡単で、上司による監視の目が恐ろしいからだ。
僕たち社員のすぐ後ろに、ドイツ軍戦車じみたデスクが置かれ、そこに乗り込むは冷たいまなざしの上司である。
これはつまり背後を奪われた状況であり、パーソナルスペースを侵されてしまう訳だ。
すると、呼吸が乱れ、肉体が硬直し、精神が消耗してゆく。
こうなればもう、まともに働くのは難しい。
『上司から見られる』精神的苦痛
そもそも視線でマネジメントをするのはセクハラ、パワハラ、人権侵害ではないか?
ヤンキーがザコを黙らすテクニックとなんら変わりない。
何もあえて、背後を取るという戦いの基本というかイニシアチブを奪うような真似をしなくとも、人材管理の手法は他にいくらでもあるはずだ。
進捗状況や労働生産性の確認は、時間を設定し、目線を合わせたコミュニケートによって実行すれば良い。
今、地球に求められているのは、『コミュニケートの明確な決行時間』と『尊重ありきの対話』だ。
この2点が守られれば、僕たち社員の業務における没入度は向上し、対話によるラポール(信用形成)によってエンゲージメントも高まる訳である。
上司の視線一つではじめる恐怖政治
一体全体なぜ、視線マネジメントが横行しているのか?
それはひとえに、『部下を管理している感』に酔えるからだ。
人を育てられる手腕を持った上司など、この世には一握りしかいない。
であるから、実効性は皆無だが「部下を管理している感」を持てる事柄にすがりつくという寸法だ。
彼らの濁りきった瞳から放射される視線は、僕たちの心をこれでもかと破壊する。
現代人は今一度、視線の脅威について考えるべきだ。
『見られている不安』が人間の尊厳を破壊する
必要以上の監視は、人々を恐怖のどん底に落とし込む。
極端な例を挙げるとすれば、ホラー映画鑑賞後のトイレやシャワーだ。
対象が幽霊であれ上司であれ、僕たち人間は見られていることで不安を抱くようにメカニズムされている。
太古から、人類の本能に関しての変化は小さいのだから、背後からの視線におびえの感情を持つのは正常なことだ。
したがって、たかだか視線といえど脅威になり得るという訳である。
精神分析学者のフロイトがその書籍の中で下記のごとく語ったように、一見友好的、善良的なルールに見えても、そこかしこに暴力の痕跡が存在する。
『法とはもともとはむきだしの暴力だったこと、現在でも暴力による支えを必要としていることを忘れてはならないのです』
フロイトの言説を助けにして書くならば、そもそもが上司は暴力的存在であるのだ。
人集まるところに序列が生まれ、その序列は知力や武力などなんらかの力によって構成されているゆえ、弱者は奴隷になってしかるべしである。
そして、日本の法律を遵守しながら、部下を服従させるには、視線が有効な手段となるのだ。
合法的な暴力としての視線は、使い勝手抜群である。
『上司の監視』で仕事を失う人々
何を隠そうこの僕も、か弱き被害者の一人であった。
数年前、とあるテクニカルサポート関連会社で働いていた頃、朝から晩まで上司に監視されていた。
背後から、目玉がギョロギョロと動く音が聞こえた気がするほど、いつも見られていた。
物理的距離にして2.5メートル。
だが心理的な距離で換算すると、抱き合っているに等しい、そんな負の感覚が引き続いた。
大脳辺縁系がぐしゃっと腐ったように、さまざまな感情がない交ぜのバグとなって表出し、僕を悩ませた。
とりわけ、首回りの筋肉が緊張でカチコチになったのには驚いた。
「おい! お前!」
背後から怒声が飛び、僕の名前が呼ばれる。
だが、首がトンカチで上半身に埋め込まれたかのごとく、まともに動いちゃくれない。
全身全霊で振り向こうと努力した。
そうしたら、バイオハザード1のゾンビ初登場を連想させる気持ち悪さと、カラカラカラカラ……っと震えの入った動きになった。
「なにタラタラしてんだよ、シャキっとしろや」
上司は僕を蔑んだ。あざ笑った。
恥ずかしく、屈辱的な想いで、今にも涙を落としてしまいそうだった。
怖くて、怖くて、僕は机の下で体育座りをしたい気分であった。
タイムレコーダーにかじりつき、おんおんと号泣する寸前だった。
そんな憂鬱が積み重なるうち、次第に心の中は雑念だらけになった。
いつ呼ばれるんだろう? どんな顔で見ているんだろう? 睨まれているんじゃないだろうか? 背後から殴られないだろうか? 笑われているんじゃないだろうか? 見下されているんじゃないだろうか? 盗撮されているんじゃないだろうか?
たすけて……たすけて……だれかたすけて……。
僕の大脳は、被害妄想でぱんぱんになり、いつ爆裂してもおかしくない有様だった。
強迫観念が日に日に強まり、業務中であるのに震えが止まらなくなった。
なぜか右足がとくに、小刻みに震動を加速させてゆく。
自分のものとは思えない、まるで独立した異形の生命のように、凄まじい動きがはじまっておわらない。
「良い大人が貧乏揺すりするな。社会人だろ。仕事を舐めるな」
後ろで監視する上司が、烈火のごとく怒鳴り散らしていた。
しかし、これは恐れによる震えだ。
止められる訳がない。
上司は怒り、僕はベイゴマのように体を震わせる。
半ば地獄のデュエットであり、それは僕の脳みそと精神をぼこぼこに破壊するまで続いた。
そうして……震えと僕は、一緒に終わった。
その日のうち、辞表を提出し、僕は引きこもりになった。
カーテンを閉め、携帯電話の連絡先をすべて削除し、ありとあらゆる視線から逃げた。
それでもなお、蛇口をひねると上司が出てきた。
が、しかしそんなものは錯覚、見られている不安の余韻でしかなくて、ギョッとする僕を冷笑するごとく、冷たい水は落下を続けた。
たった一つの視線が、一人の人間を転落させたのである。
今や僕の履歴書は、澄んだ水のように真っ白だ――
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