■「奇形なものとして眺めるだけではどこにも行けない」
次に毎日新聞の社説(7月7日付)を取り上げよう。
毎日社説も「日本の社会にとってオウム事件とは一体、何だったのか」との疑問の声を上げ、「松本死刑囚は真相を語ることなく、刑が執行された。それでも、その問いかけは依然私たちにとって重い意味を持つ」と指摘する。
そのうえで「作家の村上春樹氏は、地下鉄サリン事件の証言集『アンダーグラウンド』の中で、こう述べている」と書く。
「事件を起こした『あちら側』の論理とシステムを徹底的に追究し分析するだけでは足りないのではないか。オウム真理教という『ものごと』を純粋な他人事として、理解しがたい奇形なものとして対岸から双眼鏡で眺めるだけでは、私たちはどこにも行けないんじゃないか――」
「あちら側」と「他人事」、そして「奇形なもの」。さすが村上春樹氏だ。オウム真理教が一連の事件を起こすなかで、「オウムこそ宗教だ」と語った学者もいた。
松本死刑囚の死刑執行で事件は終わったという意見もある。一区切りだという考え方もある。だが、刑事事件に対する処理は終了しても、本質の解明には至ってはいないのだ。
■カルト思想については、国際的にも注目されている
毎日社説は続ける。
「1980年代後半から90年代半ば。バブルからその崩壊にかけて現実感が希薄化し、超常的な力へ人々の心が引き寄せられる中で事件は起きた。そうした中、人類救済を掲げていた教祖の価値観を、洗脳された若者が全面的に信頼してしまった」
「多くの信者が今は、マインドコントロールの呪縛から解き放たれている。これまで口を開いていない人も少なくないだろう。カルト思想については、国際的にも注目されている。村上氏のいう『あちら側』の対岸で、検証を重ねるべき対象は、まだまだ残っているはずだ」
その通りで、足を流れに突っ込んで対岸に渡り、時間をかけて調査し、考察する必要がある。
■「教団の闇」をどうやって解明するべきなのか
最後に読売新聞の社説(7月7日付)をのぞこう。
「上川法相は、執行後の記者会見で、『2度にわたる無差別テロなど、一連の犯行は組織的、計画的で、極めて凶悪重大なものだ』と執行の理由を述べた」と書き、「法相に課せられた重い職責を粛々と果たしたと言えよう」と指摘する。
さらに「上川氏は『慎重にも慎重な検討を重ねて執行を命令した』と強調した。今後もこの姿勢を堅持していくことが大切だ」と訴える。
保守本流を歩む読売らしい主張だが、国際社会が死刑廃止に動いている現状も加味すべきだ。その点に欠けているから「『オウム』を再び生まぬ社会に」(見出し)という主張も読者には届かないのではないかと思う。
中盤で読売社説はこうも述べている。
「松本死刑囚の裁判は、1審だけで約8年も要した。それにもかかわらず、松本死刑囚は教祖として信者を洗脳し、事件に駆り立てた経緯をほとんど語らなかった。教団の闇は解明されないままだ」
ここまで書いた以上、「教団の闇」をどうやって解明するべきなのか、具体的に示してほしかった。読者の期待はそこにあるように思う。
(ジャーナリスト 沙鴎 一歩 写真=AFP/時事通信フォト)