東京電力が福島第二原発廃炉を表明。遅きに失した感はある。だがこの上は計十基の廃炉事業に全力を傾注し、速やかに成果を上げること。東電という企業に残された恐らく最後のチャンスである。
「(福島第二原発が)復興の妨げ、足かせになる」と、東京電力の小早川智明社長は言った。
そこへたどりつくまでに七年以上もかけたとすれば驚きだ。
福島第二も第一同様、地震と津波の被害を受けて電源を喪失し、メルトダウン(炉心溶融)の危機に陥った。
唯一生き残った外部電源を頼りに、何とか冷温停止に持ち込んだ。紙一重の僥倖(ぎょうこう)だった。
サイトは二つ、しかし外から見れば同じ「福島原発」、誰がどう見ても福島で原発を動かすことは不可能だ。この決断は遅すぎる。
第一の六基に加えて第二の四基。東電は世界史上例のない、原発十基の廃炉事業を背負うことになる。並大抵のことではない。
メルトダウンを起こした第一原発の三基は、溶け落ちた核燃料の状態もまだ把握できていない。机上の工程表は示されてはいるものの、作業自体はスタートラインに立ったとも言い難い状況だ。地下水の流入、汚染水の処理にさえ、いまだ手を焼く状態だ。
廃炉、賠償にかかる費用は推計二十一兆円。恐らくさらに膨らむことになるだろう。東電がどれだけ大企業だったとしても、到底背負いきれるものではない。
「東電に原発運転の資格なし」と考えるのは、福島県民だけではない。
東電は唯一残った新潟県の柏崎刈羽原発の再稼働に意欲を見せる。十日の新潟県知事選で与党の支持する新知事が誕生したが、新潟県民の原発不信、東電不信が解消されたわけではない。
原発の安全を維持するには、膨大な費用がかかると教えてくれたのも東電だが、今の東電に、余力があるとは思えない。
いくら「国策」だからと言って、血税の投入にも電気料金の値上げにも限度というものがあるはずだ。
第二原発の廃炉を契機に東電は、今度こそ本当に生まれ変わるべきではないか。再稼働へのこだわりも、きっぱり捨てて。
福島や新潟の不安や不信を受け止めて、目の前の巨大な課題を直視して、そこに全力を注ぐ姿勢をまず示すべきだろう。
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