こんにちわ
地球遊び人たにゃんです
えーっと
意外とこれを言うと驚かれるんですが
『たにゃん』は芸名ではありません。笑
そして
猫好きが高じてつけた
ペンネームでもありません。笑
(どちらかというと犬派です)
たにゃんは丹香と書きまして
韓国名としての本名です。
両親共に日本で生まれた
韓国籍です
かなりおまけ情報でした
さてさて・・・
今日は魚座の満月ですね。
昨晩は家の屋上でひとり
満月の光を浴びながら
クンルンネイゴン自主練をしました。
ずっと
自主練をする気がおきなかったのですが
今回急に私の中での
クンルンスイッチが入りました
私の中で
クンルンを学ぶ理由が急に明確になったのです。
今まではいまひとつ自主練をする気が
全く起きませんでした
しかし、
ここ数日間受け取って来た
様々な気づきを通して
クンルンネイゴンを学ぶ意味が
私の中でひとつわかりました
となったら
スイッチ入ったので
今は練習をむしろやりたい
そんで段々楽しくなってきました
そして
ここ数日で
この3ヶ月のプロセスを通して
色々な体験をしてきた意味が
急に繋がり、すとんを腑に落ちてしまいました。
すべてに意味があったと
今本当に心から思っています。
私たちが地球で学ぶ事は
天と地の間
光と闇の間
個と全体(調和)の間
緊張と発散の間
収縮と弛緩の間
女と男の間
太陽と月の間
3次元と5次元の間
両方を同時に体験することで
その『真ん中』を生きること
なんじゃないかと気がつきました。
体験を経て
学びを得て
だんだんと
体験と体験の間の化学変化を
知る感覚を育てている。。。
そんなことを思っていたら
やっとなぜクンルンを学ぶのかが
自分の中ではっきりしましたわけです。
真ん中
は
端っこと端っこに
最初は思いっきりブレながら
時に突っ走りながら
端っこまで行って壁にぶつかって
自分自身を知って
また戻って来て、
逆に今度はぶれてみたりして
そうやって
行ったり来たりしながら
だんだん
その振り子の振れ幅がゆるやかになっていく
それが
生きる中の探究なんじゃないかと
そんな気がしました。
そうやって
ブレながらも
だんだん自分だけの『真ん中』を
見つけて行く事も
命の錬金術だと思うし
他の存在の命を頂いて
消化して肉体へと再生することも
錬金術だと思います。
それから
呼吸自体
錬金術ですよね。
吸って
自分を通って
吐く。
そこには
確実に変容が起きています。
それから
私の場合は
インディアンドラムが
錬金術をまさに体験できる道具で
ドラムの波動で
私の肉体・心・魂が揺さぶられ
全部に振動が伝わり
ドラムと私の間の
共振共鳴が起きる事が
アルケミー(錬金術)そのものだと
昨日気がつきました。
それからね
そのドラムとの共振共鳴によって
私の中から声が湧いてくる
その声を湧き出すままに放つこと
それもまた錬金術なのだと
気がついたのです。
命を練金してできたもの
それが声です。
(たにゃんの個人的意見ですよ)
それからね
面白いんだけど
ドラムを叩く事自体
錬金術だと思う。笑
ドラムが女性で
スティックが男性だと見立てたら
ドラムを叩く事は
まぐあいであり
そしてまぐあって生まれるのが
ドラムの音であり波動なわけです。
清々しい気づきでした。
私がなぜ今までドラムに惚れ込んで来たのか
それが少しわかった気がしました。
地球で生きるのは
収縮と弛緩
緊張と発散
を繰り返しながら
その真ん中を体験するためなんだと
そう思ったのです。
どちらが欠けても
『真ん中』は体験できません。
そして
この地球で生きる私たちは
宇宙の根源と繋がり
この地球とも繋がって生きる
間の存在。
人間です
だからこそ
無駄な事なんて
いっこもないの。
ないんです。
本当に。
時に突っ走ったっていい
時にブレたっていい
間違っても
下手こいても
それを通して
きっとわかることがある。
命自体が
アルケミー(錬金術)そのもの。。。
言葉にしなくていい
答えなんて出さなくていい
Don't think.
JUST FEEL !!
形にならなくても
言葉にならなくても
感じている『何か』
それを大切に進んで行こう!
命の循環。
それはきっと
永遠に続くもの。
今を100%、1000%生きる
それを積み重ねることに集中しよう。
本当に
形に囚われる事ない生き方
それが
私たちの魂から響きだす時が
ついにきたんだと思います。
それこそが
地球で体験する『愛』の
本当の姿なんじゃないかと
そんな気がするんです。
枠なんて超えて
自分さえも超えて
個と調和を一度に体験する
(それが真ん中を体験するということ)
そんな世界が
もうすぐそこまで来ています
共に進みましょう!
地球遊び人たにゃん