問題のイベントが行われた日の早稲田大学 |
■一切の批判を認めない言論統制イベント
『教育と人権』は、早稲田大学公認サークルの人物研究会が主催。松本智津夫元死刑囚の三女・アーチャリーこと松本麗華氏をゲストに招き、第1部で、麗華氏が自身の幼少から大学入学拒否までを説明する講演。第2部で、4人の学生が登壇しトークセッションを行なった。
人物研究会は事前に、やや日刊カルト新聞社・藤倉善郎総裁と鈴木エイト主筆に対して、実際には会の進行を妨げる恐れを指摘する根拠もないのに麗華氏によるデマを鵜呑みにして来場拒否を通告。藤倉・鈴木両氏が正規の手続きで入手していたネット上のチケットを一方的に無効とした。しかし両氏は再度、正規の手続きでチケットを入手。藤倉総裁の入場時に主催者側と押し問答があったものの両氏とも無事入場し、最後までおとなしくイベントを聴いた。イベント中、両氏は一切の発言も妨害行為も行わなかった。
人物研究会はやや日刊カルト新聞社の2名の来場を拒否した理由の一つとして「当会の企画意図とは異なる報じ方をされる恐れがあること」を挙げていたが、イベント冒頭、司会者が同様の趣旨を来場者に告げ、取材を断ったメディアがあることと、同会が許可した同会の企画意図通りの報道しかしないとみなされたメディアの取材が会場に入って撮影を行なう旨も告知された。それ以外については、メディア関係者であっても記事にすることは禁止。録音、撮影も禁止された。
イベント中、フロアの来場者に発言を求める場面もあったが、「学生限定」とし、一般来場者の発言は一切認めなかった。
■牧歌的な幼少期?
見たところ100人近い客が来場している。批判を一切認めない厳重な会場運営に守られて、第1部で麗華氏は、年表を映写しながら語る。
「(オウム真理教の施設で)比較的牧歌的な生活をしていましたが、1995年にいきなり地下鉄サリン事件が起こりました。何が起こったんだろうなという感じでした。その後強制捜査が入りまして、迷彩服を来た警官が入ってくるようになりました。5月に父親、6月に母親が逮捕されました」
1995年の地下鉄サリン事件の際、麗華氏は11歳。オウム施設内で共同生活させられ小学校にも通わされず、オウムの儀式にも参加させられていた。当時のオウム真理教は米軍や日本政府から毒ガス攻撃を受けていると称し、独自製造した空気清浄機「コスモクリーナー」を施設に設置して生活していた。
すでに内部での信者殺害や坂本弁護士一家殺害事件も発生していたが、麗華氏は知る由もない。しかし麗華氏自身が体験している事実だけ見ても、とても牧歌的な生活と言えるものではなかったが、麗華氏はそういった事実には一切言及しなかった。牧歌的な生活をしていたのに突然警察が踏み込んできたかのような「偽歴史」を語る。
「父が逮捕されたあとくらいに母に相談して学校に行きたいと言って、村岡達子さんとかが教育委員会に交渉してくれたんですが、『お願いだからどうか来ないでほしい』と言われたと聞きました。みんなが受けられるものを受けられない立場にいて、自分が社会から拒絶されていると感じた」
もちろん義務教育の就学拒否は許されるべきではない。しかし麗華氏が語るのは、自分を小学校に通わせなかったオウムや親については一切問題視せず、自分の入学を拒否した社会が悪いというストーリーだ。事情を知らずにこれを聴いている学生は、就学問題について悪いのは社会であってオウムは何も悪くないと感じてしまうのではないか。
その後、マスコミに追われ、デマを交えた報道がなされたという報道被害が紹介された。
「当時テレビでは1272時間19分のオウム報道がなされた。1日6~7時間、オウムのニュースが放送されていたことになる。それほどのニュースはないので、尾ひれはひれが付いて(教団の)関係者や(麻原の)側近の話として、内容が変わっていきました。面白いって言ったらあれなんですけど、オウムへの拒絶感は1995年3月の事件直後よりも、その後のほうがひどくなっていく。だから、報道がどれほど影響したかが如実に現れている」
報道被害については報道の側に責任があることは間違いない。しかしこの麗華氏の説明の後段は明らかにおかしい。地下鉄サリン事件直後よりもそれ以降のほうが社会の拒絶感が強まったのは、メディアがおかしな報道をしたからなのか。
1995年3月20日に地下鉄サリン事件が起き、22日に目黒公証役場事務長監禁致死事件で警察が教団施設への一斉捜査を開始。4月に、岡崎一明死刑囚が坂本弁護士一家殺害事件について自供。9月に一家の一体が発見された。地下鉄サリン事件については、5月に林郁夫が自供した。同じく5月以降、土谷正美元死刑囚など幹部が松本サリン事件についても自供。同月、都庁で小包爆弾事件が発生した。10月に東京地裁が宗教法人の解散命令を下したが教団は存続。翌年には麻原の裁判も始まるなどして、教団の犯罪が次々と明らかになった。
96年には、坂本弁護士一家殺害事件のきっかけとなった「TBSビデオ問題」が発覚。常務が国会に承知される事態にいたったがオウムに坂本弁護士のインタビュー映像を見せた事実はないと言いはる。しかし、早川紀代秀元死刑囚による「早川メモ」の内容から、TBSが映像を見せていたことが確認され、TBSが謝罪。5月に謝罪と検証報告の番組を放送するなどした。
98年には、オウムが長野県内に核シェルターを建設しようとしていたことが発覚するなど、依然として麻原のハルマゲドン(最終戦争)預言を信じている集団であることが明らかになる。99年には、偽証罪などで服役していた上祐史浩元受刑者が出所し、アレフの代表に収まるが、その後、主流派と対立して分派活動を始める。
このように、オウムをめぐる事件や問題の全容は地下鉄サリン事件以降に次々と明らかになり、また事件以降もオウムは組織を存続させことあるごとに悪い意味での健在ぶりを社会に見せつけてきた。これらはデマでも誤報でも、ニュースバリューのない面白おかしいワイドショーネタでもない。報道されるのは当然だし、こうした事実を知った国民がオウムへの反感を強めていくのも当然だ。
しかし人物研究会のイベントで麗華氏は、マスコミの問題ある(と麗華氏が捉えている)報道だけを列挙して、オウムに対する社会の反発はマスコミが誤った報道姿勢によって作り出したものであるかのように語っているわけだ。
■ひたすら麗華氏をヨイショする人物研究会
こうした欺瞞的な麗華氏の講演に、主催者からのツッコミは一切入らない。司会を務めた人物研究会メンバーが、来場者からの事前の質問の中に気になるものがあったとして、こんな質問を紹介する。
「第三者が被害者感情や正義感を持って加害者や加害者の関係者を糾弾することは、マスコミを含めネット社会になって過激になった。麗華さんがこうした第三者による糾弾行為について思うところを聞かせて下さい」
麗華氏の答えはこうだ。
「被害者が大変な思いをしたり遺族がつらい思いをしているということは、当然のことで、いわれはないのに苦しんでいるということには、異論はないんです。ただ、その感情を社会が共有した場合、加害者の近親者はどうやって生きたらいいんだろうと思います。加害者に対する憎悪が強まるほど周辺にいる家族や友人への憎悪も強まっていくという現象をどうしたらいいんだろうなと思っていて、どんな事をした人でも自分は死んでほしいとは思えない。被害者のことを考えようと言われると、考えてはいるんだけどどうしたらいいんだろうと思いますし、第三者には冷静に、なぜ事件が起こったのかにフォーカスしてほしい」
被害者や遺族が苦しんでいるという現実を踏まえ、その感情が社会で共有されるのは当然のことだ。そうでなければ被害者が孤立する。第三者が被害者に共感しようとすること自体を否定する、とんでもない発言だろう。確かに、加害者の家族に罪はない。しかし、事件についての史実をこのように歪めて伝え、被害者に共感する社会のほうがおかしいかのように語る人間は、加害者家族であるからではなくその主張のおかしさゆえに批判されて当然ではないだろうか。
第2部では麗華氏が体験した大学入学拒否問題がテーマ。〈「テロ組織」と報じられる団体の代表者の家族があなたの大学に入学してきたら、受け容れることが出来ますか?〉として、壇上の4人の学生が2人ずつ賛成派と反対派に分かれて麗華氏と対話する。しかし、賛成か反対かの2極論だけで、「今現在、そのテロ組織とどのような関係にあるのかによる」という現実的な条件等は一切語られない。
第1部の講演部分で麗華氏は、「2000年(当時16歳)に教団を離れました」と語った。オウム残党がアレフと名乗る組織を作った際、入会の手続きをしなかったという。
しかし2018年に東京地裁が下した判決は、少なくとも平成26年(2014年)1月まで、麗華氏がアレフに対して影響力を行使しようとやり取りしていた事実が認定されている。
参考:滝本太郎弁護士のブログ「判決からみる三女とオウム集団」
麗華氏がアレフとどのような関係にあり、その関わり方について真実を語っているのかという重大な問題は、イベントで一切触れられることはなかった。
■司会者は好意的コメントを誘導する
司会者が登壇者4人に「(麗華氏について)事前のイメージとちょっと違ったなということはありますか」と問いかける。
「そうですね。話してみると落ち着いていて知的で、Wikipediaとは違うなと思いました」(男子学生)
「アーチャリーというバイアスがあったんですが、会ってみると話しやすい人だなと。普通の人なんだなあと思いました」(女子学生)
「想像していたイメージよりは、いい」(男子学生)
さらに司会者は、来場者に向かって「学生限定」とした上で、「今日来て(麗華氏についての)印象が変わったとか、聞いてみたいこととかあれば」と質問を投げる。最初から、「印象が良くなった」というコメントが求められているのだという空気を醸し出す問いかけだ。
「自分は父親との関係がよくない。松本さんがいまも松本姓を名乗っているのは、おそらくあなたにとっては松本智津夫さんという方は非常に良い父親だったんじゃないかなと、羨ましく思いました」(男子学生)
「リスペクトしてます」(男子学生)
最後に麗華氏は、こんな発言。
「入学してから問題があって話し合うなら、当事者としても考えないといけないと考えられますが、事前に“起こるかもしれない”で拒否されてしまう。これが差別か、実際に起こった問題を解決するものかの違い。ぜひ、不安かもしれない、何かあるかもしれないというモワモワとしたものではなく、実際に起こったことに対処するという、もうちょっと踏み込んで当事者に関わってほしいと思います」
これに対してフロアから、見るからに学生ではない男性が野次を飛ばす。
「お前たち対処できてないじゃん。地下鉄サリン事件、お前どう対処したの? 対処できたの? 起こってから対処じゃ、対処できてねえじゃん」
司会が「いま、お客様が喋る時間ではないので」と遮る。
「こういうふうな厳しい意見があるのも現状です。ネットでも、私が何かを発言したらオウム真理教を擁護しているとか事件を肯定してると話がすり替わってしまって……」(麗華氏)
「現に麻原を延命させてるしね! 延命させる政治工作を散々やってるよね!」(野次男性)
最前列の客席に座っていた男性が立ち上がり、威嚇するように野次った男性の方に歩み寄っていく。周囲がそれを止める。
「父の病気のことを話しているのが、父の延命をして神格化してるとかよくわからない方向に行ったりもします。まだまだ大変です。でも、生きている限り私は発言し続けたい。私が感じていることをそのまま表現していきたい。今日は長い時間お付き合いいただき、ありがとうございました」(麗華氏)
満場の拍手。
最後の野次以外は、ひたすら麗華氏を持ち上げ、批判どころか報道すら認めない戒厳令状態のイベント。その締めくくりの大きな拍手は、儀礼的なものには見えない。会場の異様な雰囲気にマインド・コントロールされかかった本紙記者は、「アーチャリー、マンセー!」「ハイル!アーチャリー!」と叫びたい気持ちを必死に抑えていた。
この2日後、無差別大量殺人集団の代表者だった麻原彰晃・松本智津夫の死刑が執行された。
本紙・藤倉被告のコメント。
「一般公開のイベントについて、どこでリポートし評論しようが自由であり、録音・撮影の禁止はともかく記事にすることを禁じた人物研究会の対応は異常。来場者の表現の自由すら踏みにじるものだ。しかしイベント終了後に人物研究会メンバーから、1週間をめどに講演録をウェブサイトで公表するので、記事を書くならそれをもとにしてほしいと言われ、本紙は人物研究会の立場を尊重してそれに同意した。しかし1週間を過ぎても講演録は公表されず、代わりに人物研究会のブログに、事実に反して本紙・藤倉及び鈴木エイト主筆を誹謗中傷する記事が掲載された。約束を守らないウソつき集団との約束を守る必要などないし、もともと記事の掲載について制限されるいわれはないため、今回、記事を掲載した。人物研究会にはほとほと呆れ果てる」
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