アニメを見ていると、容姿よりも大切なものがあると提示するようで最後は容姿だよねというオチを提示してくる。
更に容姿とは関係ないものでも、それを含んで評価される時代だ。
おそらく、何もかもが差別化できなくなった結果だろう。
最近、卒論の相談を先生とした時に日本がやばいという話になった。
行政、政治、司法の腐敗、死刑制度やらの恣意的とも思える運用やら、それを自分は関係ないと思っているバカ国民。
会話のあとに分かったが、死刑囚の遺骨が遺族が求めているにも関わらず渡されないのも正直怖い国だと感じる。
どこか別の国にでも行きたいと思うものだ。
ただ、どこにも行き場所などないのだろう。
会話の中で従来の弱者観だけでは対応できないという内容になったときだ。
みんなもご存知のアメリカ版非モテ「インセル」の話になったのだ。
先生が自分の子供が白人圏に留学しているが白人女に相手にされるわけもなく、アジア人男性集団皆がカップル文化の中で苦しんでいるとか言うのだ。
フランス人作家ウエルベックはかなり前に「闘争領域の拡大」で容姿が醜く性的ロマンを得られない悲壮を描いている。
おそらく、自分のように容姿が醜いとどうにもならないのだろう。
昨日とちょっとだけ変えたね
容姿が醜い奴は嫌いだな 気持ち悪いからね