【ネタバレ有】『スプラトゥーン2 オクト・エキスパンション』スプラトゥーンの歴史を根底から塗り替える「本当のテーマ」とは
『スプラトゥーン2』待望の追加コンテンツ『オクト・エキスパンション』。本作が伝えたい本当のテーマ、スプラトゥーンというIPへの影響、そして任天堂が目指す目的とは?
『スプラトゥーン』の成功と海外に見える障壁
『スプラトゥーン』は任天堂再躍進を支えた最も成功したIP(知的財産、フランチャイズ)であることは疑いようがないでしょう。しかし日本で大きな成功を収める一方、アメリカでの初週売り上げが日本の1/3であるというデータの通り、海外ではその影響力は限定的です。
ライバルの存在や競技化の遅れなどもちろん多くの要因が考えられますが、Nintendo Switchの世界的な好調という追い風があり、ゲーム自体の認知もあるなかで考えられる障壁といえば、『スプラトゥーン』が「日本を題材にしたゲーム」であることではないでしょうか。
架空の世界ながら、登場する街や戦いのステージ、文化など、海外と共通する要素を持ちつつあくまで日本的な解釈が強いIPであることが、「共感」を阻んでいるようにも思えます。IP、つまりブランドの浸透には「共感」が不可欠な時代です。世界観で共感が得られないのなら、皆が共感できるパーパス(社会における存在意義)を持つべきなのです。
例を挙げましょう。『Overwatch』はスプラトゥーンとほぼ同時期に発売されたタイトルですが「誰もがヒーローになれる」というパーパスを掲げてきました。あらゆる人種や思想を超えて誰もがヒーローになれる多様性の世界をゲームの中で実現してきた偉大なタイトルです。最近では乳がん研究基金へのチャリティ企画で約14億円を集めるほどの成功を収めています。
現代におけるIPといえばやはりディズニーも忘れてはいけません。もはやディズニープリンセスは「美しくて優しい」だけでは務まらない時代です。現代のプリンセスには課題に立ち向かう強い存在であることが当然として求められます。MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)のヒーロー達が皆パーパスを持っていることはもはや説明する必要はないでしょう。
しかし、残念ながら多くのゲーム作品がそうであるように、『スプラトゥーン』にはパーパスはありませんでした。『スプラトゥーン』にはパーパスを掲げる “本当のヒーロー” は存在しません。しかし2017年『スプラトゥーン2』でそこに小さな変化が訪れます。テンタクルズの登場です。
スプラトゥーン2の多様性の象徴、テンタクルズ
人類が滅んだ後の世界が舞台の『スプラトゥーン』ではイカの敵はタコとして設定され、多くのイカは関心がないものの、過去の戦争で地上を追い出されたタコはイカに対して憎悪を募らせています。ところが『スプラトゥーン2』に登場した2人組アーティスト「テンタクルズ」はイカとタコのコンビ。なんの説明もなく対立する存在が同じユニット、というのは多様性へのメッセージのような意味があるはずです。さらに2人の衣装の共通のポイントはファスナー、2つの端と端をつなぎ合わせるものであることからも2人が2つの種族の架け橋を意味していることは想像ができます。
しかし『スプラトゥーン2』本編ではこれらの事象にまったく触れられることはありませんでした。そして発売から約1年、追加コンテンツ『オクト・エキスパンション』が登場します。
『オクト・エキスパンション』発表時、テンタクルズの2人の衣装(私服)に注目が集まりました。2人の衣装は1990年代アメリカ、ヒップホップ東西抗争の中心人物である2pacとNortrious B.I.G.そのものです。
友情が2つのコミュニティの対立によって引き裂かれ、最終的には命を落とすことになった2人をモチーフに選ぶということは、彼らが成し遂げられなかったことに対するアンサーを出す、つまり2つのコミュニティの衝突を解決するという、この作品の決意表明なのです。そしてタコの「8号」が主人公となり、彼/彼女が過去と決別し、地下世界から脱出するまでを描いていることと無関係ではありません。それでは『オクト・エキスパンション』が一体何を描いたストーリーだったのかを解き明かしましょう。
タコはイカ社会に受け入れられる存在なのか
『スプラトゥーン』においてタコは「真面目で勤勉」な種族。タコは基本的にタコワサ将軍をトップとする軍隊に所属しており、共同体に対する依存度が高い、主体性を持たなない存在とも言い換えることができます。組織や環境、世間体によって自己が定義されがち、というのは日本人にも似た性質です。
しかし2年前の3号とタコワサ将軍との戦いそこで流れたシオカラーズの「シオカラ節」によって一部のタコたちに事件が起きます。イカの世界の文化に触れることで、イカの享楽的で自分の好きなように生きるマインドがインストールされたのです。即ち、主体性の芽生え。それが「魂にシオカラ節のグルーヴを宿したタコ」の意味なのです。
8号はイカの世界に憧れるようになり、タウン誌のハイカラウォーカーを読み漁り、ある日軍隊を抜け出しイカの世界に旅立ちます。しかし運の悪いことに旅の途中でアタリメ司令と3号と交戦、どさくさに紛れてネル社に拉致され…。
成り行きとはいえ、タコは、8号がイカ世界から拒絶されるところから物語ははじまります。そしてこの物語の最終的なゴールは8号がイカ世界に受け入れらることだということもわかります。
そして物語の行く末を暗示するように、案内役のテンタクルズはその課題に一つの答えを見出すのです。イイダの正体がイカの敵とされるオクタリアン(タコ)であるということを知ったヒメは動揺しますが、イイダの過去と今のイイダは関係がないことを主張します。そしてヒメはイイダを改めてイカ世界に受け入れます。たとえ種族が違っても、敵対する関係だと説明されても、2人が過ごした月日がお互いを理解し、尊重することを2人に教えたのです。
では、8号もまたテンタクルズの2人のようになることができるのか?これが本作のストーリーのゴールですが、そこで障壁になる存在が登場します。本作の黒幕、ネル社です。
ネル社は何を実現しようとしていたのか
ネル社の正体は滅んだ種族である “ニンゲン” の作り出した人工知能「タルタル総帥」でした。そしてタルタル総帥が実験によって作り出そうとしたのは次の世代の人類(ポストヒューマン)です。彼の考えるポストヒューマンとは「主体性が存在せず、組織のために還元される、皆同じパーツ」であるという考えです。先ほど説明したタコの性質にも近いように見えます。だからネル社は考え方の相性がいいタコを拉致して自分たちの目的の「パーツ」に使っていました。
こうして見るとネル社の本当の正体というのはこの「考え方」と言っても過言ではないでしょう。この考え方を体現するために彼が選んだモデル、それが「90年代のサラリーマン的価値観」でした。ネル社の実験場とはブラックな90年代のサラリーマン社会、「24時間働けますか?」の再現なのです。90年代で時間が止まった世界。90年代を彷彿とさせる駅名やステージの浮遊物にも現れています。
移動手段である深海メトロの乗客はサラリーマンや学生たちばかり。つまりこれは通勤電車です。働き続けるサラリーマンにとって家は「寝るためだけに寄る場所」。ですからこの世界に家はありません。あるのは職場(実験場)と電車と、駅の「ホーム」のみ。職場と電車の中だけで生きる生き物、それがサラリーマン。
職場(実験場)課せられる不条理なノルマも忘れてはいけません。そしてお金(NAMACOポイント)のやりくりが滞れば返済に追われる日々。『オクト・エキスパンション』に借金の概念があるのは極めて重要な「再現」なのです。ゲーム中では消費者金融じゃなかっただけマシですね。「約束の地」という ”一発逆転” をダシに働かされ続ける福本マンガ顔負けの地下世界、それが深海メトロと実験場なのです。
ではこのブラックな世界に居続けるとヒトはどうなるでしょうか。目の前の状況に答えることしかできなくなり、いずれ主体性は完全に消滅するでしょう。この様子はネル社による「消毒」によって表現されています。実験場を彷徨う、生体反応のない、ゾンビのように主体性を失った消毒されたタコたちはネル社の実験の「成果」なのです。
では彼らが作ろうとしたポストヒューマンは消毒されたタコなのでしょうか?結論から言えばそれは “過程”です。そしてそのポストヒューマンの真の姿は『スプラトゥーン』の歴史の中で描かれることのなかった圧倒的暴力、ミキサーとともに登場します。
「ネリモノ」とは何か
消毒されたタコたちは会社によって最終的に ”すり潰され” 「ネリモノ」になります。ネル社にとってネリモノこそがもはやヒトにはヒトと感じられない存在であり「完璧な世界を導く新人類」、かつてのニンゲンを超えたポストヒューマンなのです。そしてネリモノによって覆い尽くされた世界こそが「約束の地」。主体性どころか意識もなく、組織への貢献、課せられたことをただこなすだけのパーツによって満たされた世界です。争いは生まれず、ナワバリも主張することもない、「ネリモノ」というインクだけで100%塗りつぶされた世界。極めて90年代的な言い方をすればそれは「人類補完計画」でしょう。
物語後半、タコである8号とイカであるアタリメ司令がミキサーにかけられネリモノに加工されそうになるシーンに違和感を感じ多人も多いのではないでしょうか。デンワ(タルタル総帥)はイカとタコを区別せず、混ぜ合わせネリモノに加工しようとします。イカとタコを区別しない 、それは 一見それはヒメとイイダが至った境地と同じように感じられますが、決定的に違うことがあります。それはイカとタコ、お互いの種族、個性、そして存在を尊重するという考え方がネリモノにはないということです。「ネリモノ」とは8号が憧れ目指したハイカラスクエア、イカ世界、つまり 『Splatoon』の考え方とは対極に存在するモノです。
最終決戦、世界をネリ返そうと企むネルス像との戦いが「ナワバリバトル」として表現されたとき、『スプラトゥーン』というIPの歴史は大きな変化を迎えます。この瞬間、ただのイカしたスポーツとして表現されてきたナワバリバトルの本質が「多種多様な個人が、自分自身の存在を認め、主張する」ことなのだと明示されたのです。今、イカのコミュニティの敵だった8号が、ハイカラスクウェアに憧れ、イカの世界を目指し、その世界をネリ返そうとする悪と対峙し、ハイカラスクウェアの守護者になる — — 。
それは彼/彼女個人の自由だけでなく、ハイカラスクウェア、そして『スプラトゥーン』が表現した自由を守るための戦いです。『スプラトゥーン』が表現した自由は全てのプレイヤーが理解しているはずです。自由なファッション、自由な戦い方、そしてイラスト投稿という名のグラフィティによる自由な表現 — — スプラトゥーンというIPに 、これらの自由を守ろうとした “本当のヒーロー” が誕生する瞬間を、『オクト・エキスパンション』のプレイヤーは目撃するのです。
クリア後に始まる “真のエンディング”
『オクト・エキスパンション』クリア後、プレイヤーは通常プレイ中でもタコの姿を取れるようになります。ただし、「互いの存在を認め合う」というテーマを突き詰めれば、タコの姿がただの「着せ替え」ということになってはいけません。イカとタコは別の存在であり、それは着せ替えられるものではなく、別の個人としてプレイヤーに認識されなければ、『オクト・エキスパンション』のテーマの本質が伝わらなかったことになってしまいます。
これは『オクト・エキスパンション』クリア後のオープニング画面です。これは地下世界から脱出した8号の視点であり、いつもとは違うオープニング風景であることに気がつくはず。つまりこれから操作するキャラクター(タコ)は、今まで操作していたイカとは別の個人、別の人格であることを意識させる演出なのです。
さて、事件は解決したのち、8号はイカの世界でも無事に「ナワバリを主張できている」でしょうか?そしてイカの世界はタコを尊重し、受け入れることができたでしょうか?その答えがもうすぐ明らかになります。2018年7月21日、スプラトゥーンの世界では「イカ vs タコ」のフェスが開催されます。
イカ、タコそれぞれが自らの存在に誇りを持ち、自らを主張するナワバリバトルが実現します。これこそがタコがイカ社会で受け入れられた結果の世界であり、我々の世界で2pacとNortrious B.I.G.が見ることが叶わなかった、2つのコミュニティが認めあう理想の世界でもあります。これが『オクト・エキスパンション』、真のエンディングなのです。これを読んでいるあなたもぜひこのエンディングに参加し、自らのナワバリを主張してください!
岩田社長が作り上げた任天堂のパーパス、その未来
任天堂が掲げるCSR方針「任天堂に関わる全ての人を笑顔にする」は故・岩田聡社長が生前に作り上げた任天堂のカンパニービジョン、パーパスであり、これこそが岩田社長が任天堂に残した本当の遺産です。
「多様性」に関わる項目は職場環境の実現の中で触れられていますが、これまでも「ファイアーエムブレムif」で同性婚を段階的に導入するなど、多様性に関する回答をゲームの中にも反映させつつあります。そして「任天堂に関わる全ての人を笑顔にする」というパーパスが、『オクト・エキスパンション』として結実しました。有料DLCであることはこの施策が一つのテストであることを表していますが、いずれこの成果はスプラトゥーンの海外展開やそのほかの任天堂IPにも反映されることになるでしょう。
今後任天堂がどのようなIP運営方針を掲げるのかはわかりませんが、少なくとも私にとって『スプラトゥーン』IPはただのおしゃれでイカしたゲームではなくなりました。その主張に共感し、尊敬でき、心から支持を表明できるゲーム、それが『オクト・エキスパンション』であり『スプラトゥーン2』なのです。