英語競技ディスカッション(Policy Determining Discussion)についての私見を綴っていきます。
はじめに
初めまして。神戸大学英語研究部の元メンバー、三嶋です。
大学1年生の時に私は「英語競技ディスカッション」に出会い、約3年間ディスカッションに関わり、考えてきました。このブログでは拙くはありますが、この3年間で得たものを主にこれから英語競技ディスカッションに携わっていく人に向けて更新していこうと思っています。(勿論、全くディスカッションと関係のない方にもディスカッションを知っていただければ嬉しいですし、有益な情報を発信できればと思います。)
初回の本記事では、英語競技ディスカッションを知らない方に向けた紹介と3年間この競技に関わってきた中で個人的に思っていることをつらつらと記していこうと思うております。駄文長文お付き合いください。
英語競技ディスカッションとは
人に大学で何をやっているかを聞かれると「英語でディスカッションしている」と答えていますが、大抵「ふーん、難しそう」という顔をされます。まあ確かにパッと聞きだとかなりイシキ高そうですね。
英語競技ディスカッションは「PDD(Policy Determining Discussion)」と呼ばれるものを英語で行うものです。簡単に言えば、政策(Policy)を決定する(determine)ディスカッションです。
ルールは意外と簡単です。
この二つだけなんです。
どういう競技なのか
“競技”と付くからには勿論、結果が出るものです。どのように結果が出るかというと、5~8人ほどで組んだテーブルの中で最も議論の進行や結論を得ることに貢献した人(Best Contributer)を”ジャッジ”と呼ばれる上回生が決定します。
関西と関東にディスカッション連盟がそれぞれ設置されており、学生が運営を行なっています。議論する内容はこの両連盟によって1年に2回設定されます。内容は刑事論題(死刑制度の是非、少年法制定の是非、etc…)や医療論題(安楽死の是非、人工妊娠中絶の是非、etc…)、教育論題(体罰の是非、いじめ問題の解決策、etc…)など多岐に渡ります。
年に一度(7月)全国大会があり、関西・関東の予選を通過した上位それぞれ3名が出場します。昨年は関西から神戸大学・同志社大学・関西学院大学、関東から東京大学・早稲田大学×2が全国大会に出場しました。全国大会以外にも関西関東と別々で2泊3日の泊りがけの大会があったり、各大学主催の大会があったりと大学間での交流も行なっています。
どんなスキルが身につくとされているのか
話は少し変わりますが、この競技では主に3つのスキルが身につくとされています。あくまでも「されている」だけなので身につかないものは身につかないと思いますが…。
複数の人間が話せば、当然意見の対立や議論の混乱が発生することは当たり前です。ディスカッションではそれを日常的に取り扱う(ディスの言葉では「トリートする」と言います)ため、例えば対立している意見の共通点・相違点をまとめてどこから解決していくべきかを示したり、今やるべきことと後でやるべきことを明確にすることで今やるべきことだけをテーブルで行わせたりする、などの「議論を前に進めていく力」が自然と身につきます。
今後の記事でも書いていきますが、ディスカッションの大きな特徴の1つとして「ロジックを用いて立証をする」というものがあります。"ロジック"とはディスカッションでは主に“三角ロジック”と呼ばれるもののことを指します。
ここで少し三角ロジックについて補足しておきます。三角ロジックは主張(Claim)、客観的事実(Data)、なぜその客観的事実が主張を導くのかという推論(Warrant)の3つから構成される論理的な思考をする上での基本的なモデルです。例を示します。
このロジックが正しいのかどうか、またこの主張にわざわざ三角ロジックを用いる必要があるのかについてはひとまず置いておきます。しかしこれも立派な三角ロジックと言えるでしょう。もっと一般化するとしたら「A=C」を主張するために「A=B」であるという客観的事実を引っ張ってきて、「B=C」であると示すことで「A=C」であることが確認できる、いわば三段論法を簡単に視覚化できるツールです。もちろん三角ロジックは多層的になることも多いです。例えば上のロジックであれば、以下のようにロジックが連なります。
このように三角ロジックは推論(Warrant)を掘り下げていけば、何個も連なっていきこの層が深くなればなるほど論理が明確になっていきます。当たり前ですが。
こうした思考法はちょっと前に流行ったロジカルシンキングというものの一つだと思います。考えてみれば当たり前のことでも筋道を立てて要素に分解し、「なぜ」「どうして」を的確に説明する力がこの競技では求められるので、ある程度の思考力というのは身につくのかなと思います。
3時間、英語で話したり聞いたりします。英語競技ディスカッションをやっているのはほとんどが日本人なのでネイティブ並みの英語を習得するのはこの競技をやるだけではかなり難しいと思います。しかしそれなりの文を組み立てる力やディスカッションでよく使う専門用語などのボキャブラリーは多少身につくと思います。しかしながら筆者自身の英語はゴミレベルなので、大手を振って英語力が身につきます!とは言えません…。
英語競技ディスカッション界の実情
さて、ここまで英語競技ディスカッションをやれば、ロジカルシンキングができるようになって英語が喋れるようになってミーティングでも活躍できるようになって最高じゃん!とポジキャンばかりしてきました。もちろんディスカッションに関わり社会人になっていった先輩方を見ていると、華々しい名前の企業のインターンに合格したり内定をもらったりと各方面で優れた業績を残していらっしゃる方も多いです。
しかしディスカッション界(関東の大学に関しては詳しくないのでここでは関西のことを指します)にはかなり大きな問題があるなと個人的には思っています。
1. 議論の固定化
ディスカッション・議論というものは本来、流動的・可変的なものです。2度と同じような議論というものは起こらないと思いますし、もし起こるのならばそれは議論ではなく台本の読み合わせのようなものでしょう。悲しいことに現在の英語競技ディスカッションではこの台本の読み合わせのようなものが平気で行われています。ジャッジをやっていて30回ほど同じような議論を見ました。これは異常なことだと思います。
なぜなのか考えてみるとこれはディスカッションという競技の性質そのものに原因があるのではないかと思います。
英語競技ディスカッションでは3時間で結論を得ることを目的としているため、議論の手順があらかじめ定まっています。「定まっている」というか、ディスカッションをやる人間がまず教え込まれる議論の手順があって、それをみんなが使うので「定まっている」といった感じです。この「議論の手順があらかじめ定まっている」というのは決して悪いことだとは思いません。競技である以上、ある程度のルールや定石みたいなものはあるはずですし、それがディスカッションを円滑に進めている部分は多かれ少なかれあると思います。
では何が問題なのか。それはあまりにも「定まっている手順」を過信し、思考を停止しているという点です。一番最初に教わる議論の手順は最低限ディスカッション界でよく使う概念や思考法を身につけるためのものです。決してそれが全てではないはずで、議論の内容によってはむしろ現実的ではない建設的ではない議論に発展する可能性も孕んでいる手順なのです。
例えばディスカッションの考え方として”Objection”という概念があります。これは反駁・反論のことで、大半の場合は先ほど説明した三角ロジックを用いて人の主張や立証に対して反論を述べる行為です。Objectionは何かしら論理的な主張に別の論理をぶつけていくものなので議論の質という点においてはとても信憑性を高くするものだと思います。しかし、このObjectionを「議論の信憑性・論理性を高めるため」ではなく「先輩にこう教わったから」「Objectionを出しておけば評価されると思ったから」などと言った理由で出すことの方が普通になっています。そのようなObjectionのどこが議論の進行や結論の内容に貢献しているのでしょうか?それならまだ黙っている方が議論の進行に貢献していると思います。こうした「先輩がやっていたから」「そう教わったから」という理由でディスカッション界で使用される概念や思考法を鵜呑みにして利用するプレイヤーがあまりにも多い。
ただ現在これを解決するには全プレイヤーの意識を変えていかなければならないため簡単なことではないのかな、と思います。
2. 議論の形骸化
これは議論の固定化とも少し関連しているとは思いますが、議論の中身に関する話です。先ほど述べたように英語競技ディスカッションでは様々な論題が設定されています。「教育論題」と一口に言っても教育という分野には様々な問題が横たわっているため、とにかく話すことだらけです(個人的にはプログラミング教育の導入と初等教育からの英語教育の導入などそもそもの教育システムを変えていくような話題がホットかなと思います)。
しかしこれまた残念なことに現在の英語競技ディスカッションではこうした論題のコンテンツに対して考えようとする姿勢が希薄すぎます。こうした姿勢が原因で議論の中身よりも「議論を上手にしている」という状態を重視しようとしている風に思えます。
もちろん議論を円滑に進めるスキルはこの競技で身につくものですし素晴らしいスキルだとは思います。しかし世の中の議論は「議論をするために議論をする」ためのものではありません。「何かしらの結論を得る・意思決定をするために議論をする」というのが本来の”ディスカッション”なのではないかと私は思います。
本当に問題意識を抱いているトピックや自分の中で面白いと思えるようなトピックというのが見つからない人はぜひもう少しだけ情報をキャッチするアンテナを遠くに伸ばしてほしいと思います。日経新聞でもNewsPicksでもまとめサイトでもなんでも構いません。こうした引き出しの多さが議論をもっと議論らしくする大切な要素の一つなんだと思います。
おわりに
これだけつらつらとディスカッションについて文句を垂れてきましたが、やっぱりディスカッションという競技がこのような状態で廃れていって欲しくないし、まだ改善することができる状態だと思うからこそ、こんなに書けるんだと思っています。不定期ではありますが、これからもぼちぼちディスカッションをやっている人が少しでも何かを得られるような記事を書いていきたいとは思っているのでお暇な方はお付き合いください。拙文にお付き合いいただきありがとうございました。また次回。
質問や相談なども気軽にどうぞ〜