●『レインボー戦隊ロビン』と『海賊王子』
1966年夏休みに劇場用アニメ『サイボーグ009』が封切られた時期、石ノ森章太郎と東映動画はテレビアニメでもタッグを組んでいた。石ノ森章太郎が関わった最初のテレビアニメは、1966年4月から67年3月までNET系列で放映された『レインボー戦隊ロビン』である。
これは石ノ森章太郎個人ではなく、トキワ荘グループが作ったアニメと漫画の制作会社「スタジオ・ゼロ」が東映動画から原案と構成を受注したもので、キャラクターデザインは石ノ森章太郎と藤子不二雄(当時はFとAに別れていない)が担当、全体の設定にはつのだじろう、鈴木伸一も加わっている。『レインボー戦隊ロビン』はアニメの放映に先立って、その漫画版が「少年マガジン」に連載された。漫画の作者は「風田朗」(フータローをもじったもの)という名義だったが、現在では石ノ森章太郎名義になっている。
子供向けのアニメや特撮ものは、原作となる漫画があり、その人気にテレビ局や製作会社が目をつけてアニメ化・ドラマ化する場合と、TV番組としての企画が先にあり、漫画にする漫画家が決まってコミカライズされる場合とがある。後者の場合も、企画段階から漫画家が加わって、基本のストーリー作りやキャラクターデザインをする場合もあれば、漫画家あるいは雑誌社から、こういう漫画を描くからアニメにしないかと持ちかける場合もある。
アニメの企画が決まるとコミカライズして雑誌に連載することは、60年台半ばにはメディアミックスとして確立されていた。TV局としてはアニメの宣伝になるし、雑誌社としても売上アップにつながるし、さらに権利ビジネスへの関与もできる。小説で出版社主導のメディアミックスが本格的に展開されるのは、1976年の角川映画『犬神家の一族』からだが、その10年以上前から、少年少女向けの雑誌とテレビ局とはメディアミックスを展開していたのだ。
『レインボー戦隊ロビン』は、後の「戦隊もの」の遠いルーツとも言える。レインボー戦隊はその名の「虹」が示すように7人の戦隊で、隊長のロビンは地球人の母とパルタ星人の父との間の子で、6体のロボットを率いて、地球をパルタ星の侵略から守る。
さらに、ひと月遅れて1966年5月から、NET系列で放映された東映動画制作の『海賊王子』も石ノ森章太郎が原案を務め、「少年キング」と「まんが王」に漫画版が連載された。漫画版の作者は「いずみあすか」名義で、これは石ノ森が赤塚不二夫と合作するときの名だ。『海賊王子』は同年11月まで放映された。『レインボー戦隊ロビン』と『海賊王子』の漫画版は、コミックスでは出ていなかったので、ぼくが読むのはだいぶ後になってからのことだ。
ここに挙げたアニメがすべてNET系列で放映されているのは、東映がNETの大株主でもあったからだ。東映はNETの下請けの制作会社ではないのだ。
石ノ森章太郎原作のテレビアニメとしては、『サイボーグ009』が68年9月に終わると、10月からは『佐武と市捕物控』が翌年9月まで放映された。これも東映動画で、NET系列で放映されたものだが、原作の漫画が先にあるので、コミカライズではない。
『佐武と市捕物控』は1966年に「少年サンデー」で連載された後、68年4月に創刊された「ビッグコミック」にその場を移して長期連載となる。アニメは大人向けのもので、夜9時から放映されていたが、半年後に7時からになった。ぼくは9時からのときは見ていなかった。
東映動画での石ノ森章太郎のアニメは以上だが、その他に、67年9月から68年1月までフジテレビ系列でピー・プロダクション制作の『ドンキッコ』も放映さていた。
●東映アニメ『幽霊船』『海底3万マイル』
1966、67年の劇場用アニメ『サイボーグ009』に続いて、69年の東映まんがまつりでも石ノ森章太郎原作のアニメが制作・公開された。『空飛ぶゆうれい船』である。このアニメは映画館へ見に行った。「石森章太郎原作」だったので、見たくなって親に頼んだのだと思う。
原作は石ノ森章太郎が1960年に描いた『幽霊船』で、映画を見た後にはこの原作が読みたくて、いきつけの書店に行ったのだが、普通のコミックスの単行本として発売されていなかった。店主に探してもらうと、虫プロ商事から出ていた「石森章太郎選集」のなかにあるとわかった。ところが、これは箱入りの上製本で、普通のコミックスが当時220円とか240円だったのに、たしか400円くらいしたので、小遣いでは買えず、親にねだった記憶がある。
翌70年夏の東映まんがまつりも、石ノ森章太郎原作の『海底3万マイル』だった。ジュール・ヴェルヌの『海底2万マイル』とは関係がなく、石ノ森によるオリジナルのストーリーだ。原作の漫画は「少年画報」に掲載されたが、実際には石ノ森が描いたものではなかった。そのせいか、単行本では出ていなかったので、僕は存在も知らず、のちに角川書店の「石ノ森章太郎萬画大全集」で読むことになった。
このように、1966年の劇場用アニメ『サイボーグ009』とテレビアニメ『レインボー戦隊ロビン』から69年の『海底3万マイル』まで、石ノ森章太郎は東映動画とは密接な関係にあった。
東映でアニメ化された石ノ森作品のなかで、『レインボー戦隊ロビン』『海賊王子』『海底3万マイル』は先に原作があったのではなく、メディアミックス戦略として漫画を描くという仕事だった。石ノ森章太郎はそういうことが得意だというイメージが確立されていたのであろう。
こうした関係があったので、東映テレビ部から覆面ヒーローものの企画に参画しないかとの打診があったのだ。毎日放送から東映テレビ部に子供向けの番組を制作しないかと打診があったのは70年夏というから、『海底3万マイル』が公開されていた時にあたる。
●『仮面ライダー』決定
東映で『仮面ライダー』のプロデューサーとなる平山亨は1929年生まれで、東京大学を卒業して1954年に東映に入社、助監督を経て監督になった。しかし、当時の映画界は1958年をピークに一気に観客動員数が減っていく時期にあたり、平山は東映の京都で時代劇を何本か監督するものの、東京のテレビ部に異動となり、プロデューサーとしてテレビ映画を担当する。最初のプロデュース作品は1966年の水木しげる原作の『悪魔くん』で、この時から講談社の「少年マガジン」とのつながりができた。平山はその後、『キャプテンウルトラ』『仮面の忍者 赤影』『ジャイアントロボ』『柔道一直線』など、少年向けテレビ映画を次々と手がけた。
平山が毎日放送の新しいテレビ映画について、石ノ森章太郎のもとへ相談に行ったのは、テレビ部部長の渡邊部長の指示があったからだった。半年ほど前に講談社のパーティーで石ノ森章太郎に紹介されて名刺交換をしていたので、初対面ではない。
東映の渡邊は、石ノ森のマネージャーである加藤昇から「これまではテレビ化され、商品化されても、原作者にしか権利がなかったが、制作会社も権利を持つべきだ」と言われていた。石ノ森サイドとしては、原作者が全ての権利を持つほうが収入は多い。加藤の狙いは「次に何かありましたら、石ノ森に仕事をまわしてください」ということにあった。そんな背景もあり、渡邊は新番組にあたっては、石ノ森章太郎に頼もうと決めたらしい。
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