英国は欧州連合(EU)離脱=BERXIT=をめぐって、3度目のオウンゴールを演じてしまった。1度目の誤りは、BREXITの国民投票の実施であり、2度目の誤りはメイ首相が総選挙前倒しを強行して少数与党に転落したことだ。そして、3度目の誤りはソフト離脱を選択したメイ首相にデービスEU離脱担当相、ジョンソン外相という強硬離脱派が反旗を翻し、退陣したことだ。
これでメイ政権の危機はさらに深まり、BREXITは一層、混迷する事態になった。このままでは、2019年3月の離脱期限までに何も決まらない「無秩序離脱」の恐れも出てきた。そうなれば、外資流出によるポンド危機など英経済は致命的な打撃を受ける。BERXITとは一体何だったのか、英国民に後悔(BREGRET)が広がるだろう。
ソフト離脱路線に強硬派が反旗
BERXITをEUとの前線で仕切ってきたデービス担当相とジョンソン外相の退陣は、英国内にある強硬離脱かソフト離脱かの基本的対立をいまさらながら浮き彫りにした。
メイ首相が選択したのは、EUとの間で「自由貿易圏」を創設するというものだ。その代わりに、農産品や工業製品の規格や基準でEUと共通ルールを採用する。離脱に伴い関税同盟から脱退するが、北アイルランドとアイルランドの国境で煩雑な税関手続きが発生しないよう、EUと連携するとしている。
英国とEUとのサプライチェーンが分断されることを警戒してきた英経済界は、自由貿易圏の創設を中心とするソフト離脱路線の選択に胸をなでおろした。
ところが、英国からの独立を掲げてきたデービスEU離脱担当相は、これに反発、退陣した。続いて、ジョンソン外相もソフト離脱を「英国をEUの植民地化する」とこきおろし、「EU離脱の夢はついえつつある」と批判して退陣した。
メイ首相にすれば、デービス、ジョンソンという強硬派を最前線に配して、手ごわいEUとの交渉を有利に導きたいという思いがあった。英国との経済関係が深く、英国に理解を示してきたドイツのメルケル首相でさえ「良いとこ取りは許さない」という強い態度を示していただけに、EUとの離脱交渉は一筋縄ではいかなかった。
EUのバルニエ首席交渉官との交渉で強硬姿勢を貫いてきたデービス担当相やジョンソン外相にすれば、はしごをはずされたという思いもあるかもしれない。
EU懐疑派の系譜
もっとも、強硬離脱派の急先鋒で国民投票の勝利を導いたジョンソン外相は、もともとEU残留を主張していた。保守党内のライバル、キャメロン首相と対抗するために信念をまげてまで野に下った野心家だ。国民投票でEU離脱が決まっても、ポスト・キャメロンの首相の座争いには加わらず、今回の辞任劇もデービス辞任の後に続くなど「日和見主義者」といえる。
もともとEU離脱という英国の将来を揺るがす大きな選択をリスクの大きな国民投票に委ねたキャメロン首相に政治家としての大きな問題があった。ブリュッセルのEU官僚嫌いで有名なサッチャー首相でさえ、こんな安易な選択はしなかったはずだ。
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