政党不信が深刻である。とりわけ「野党」への不信の広がりとその深さは、前代未聞のレベルに達している。総選挙で躍進した立憲民主党への支持も5%程度で伸び悩み、希望の党が解散してできた国民民主党にいたっては、支持率は1%にも達していない(参考)。こうした傾向は少々のことでは変わりそうにない。
「野党がだらしないからだ」。こう言う人がたくさんいる。たしかにそうかもしれない。しかし、「だらしなさ」加減があまりにひどいので、「野党ぎらい」が高まっている、という説明だけでは、この不信の底の深さは理解できないように思える。
このエッセーでは、既存の「野党」だけに一方的に責任を負わせるのではない仕方で、「野党がきらい」という雰囲気について考えてみたい。
麻生太郎財務相は先日、6月24日の講演で、「はっきりしていることは10代、20代、30代前半、一番新聞を読まない世代だ」と指摘したうえで、「新聞読まない人たちは全部、自民党(支持)だ」と述べ、物議を醸した。
たくさんの調査が示しているように、年代別の自民党支持率では、「若者」の支持率の方が断然高い。近年、「政治に関心があります」と言って、講義の後に私に話しかけてきてくれる学生はだいたい「保守」だと名乗る。
ジェンダー、歴史認識、憲法改正など、いずれの論点でも変わらない。かつてのように「問題意識がある学生は左」ではまったくない。政権与党が18歳選挙権にかなり前向きだったのも、この傾向をよく把握してのことだろう。
たしかに新聞を読む/読ないが政党の支持に与える影響はあるかもしれない。しかしここでは別の視点で考えたい。自民党を支持する10〜30代世代の「コミュニケーションのあり方」という視点である。
いまの「若者」は、物心がついたときから「コミュ力」(コミュニケーション能力)が強調されてきた世代でもある。
学校でも職場でも、ナチュラルに感じよく会話ができれば、ものごとは円滑に進む。社会の流動性が激しくなり、かつてのようにずっと同じ職場で、同じメンバーと仕事をすることが当たり前でなくなれば、即座に当たり障りなくフレンドリーな関係を作り、その場の「空気」をうまく読み、それを継続する「コミュ力」がその分だけ評価されるのも当然ではある。
実際、大学のAO入試や、企業・公務員の就職試験で、集団討論(グループ・ディスカッション)を取り入れているところも多い。大学の教員のなかにはゼミの運営に苦労している人も少なくないので、「この学生がいれば、ゼミの討論がうまくいくだろうな」という印象は重要な判定基準になる。