電子音楽史に残る名作『Loop-finding-jazz-records』の再発を間近に控えるドイツ人前衛アーティストJan Jelinek。彼の多岐にわたるキャリアをOli Warwickが紐解く。
「このコラージュはオランダの映像制作者ふたりのために制作したんだ」とJelinekは語る。「テープマシンが2台あって、大量のエキゾティカの楽曲やサンプリングした初期の電子音楽を再生した。ミキシングデスクのチャンネルひとつにニュース番組の音をつなげて、それを別のニュース番組に延々と切り替えながら、ランダムにレコーディングしたんだ。だからこのトラックにはDonald Trumpも登場している。ちゃんとキュレーションしたわけじゃなくて、完全にランダムでレコーディングした」
リリースから5年が経過した現在でも"PrimeTime"を聞くと心に響くものがある。世界のニュース番組を網羅した同トラックは、今日においても同様に報道されうるネガティブな要素を大量に含んでいる。まるでこの5年間で解決されたことは何もなかったかのようだ。
Jelinekの制作の基礎になっているのは、収集してきたサンプリング素材を重ね合わせることだ。これまでの活動を通じて彼はこの手法を様々な形で応用し、現在においても極めて独特で素晴らしい成果を生み出し続けている。90年代後半、彼はFarben名義によるスレンダーなマイクロハウスと共にシーンに登場した。しかし、サンプリングに対する彼の才能が示されたのは本名名義によるファーストアルバム『Loop-finding-jazz-records』でのことだった。紗のように繊細なメロディを波打つリズムに重ね合わせ、2001年にリリースされた同作は、当時の"clicks & cuts"系の音楽を見事に超越してみせた。今では入手困難なクラシック作品となっている。アルバムタイトルが示唆しているとおり、アルバムの素材となった音源はすべてジャズのレコードからサンプリングされている。
「僕のリリースの中でエレクトロニックミュージックのリスナーに一番人気があるのは間違いなく『Loop-finding-jazz-records』だね」とJelinekは語る。「でも『Kosmischer Pitch』はロック寄りのリスナーに人気だったし、ラジオ番組用に作っている音楽はドイツで学術系の人たちに受け入れられている。長年やってきたなかで僕の作品やその受け止められ方はすごく多様化しているよ」
『Loop-finding-jazz-records』はJelinekのレーベルFaiticheから4月下旬に再発される。常にコンセプチュアルな新しい試みを行ってきたアーティストである彼にとっては珍しく過去を振り返る行為である。2016年の夏、筆者がJelinekと初めて話したとき、彼はアーティスト・イン・レジデンスの一環でロサンゼルスのパシフィック・パリセーズ地区にあるVilla Auroraに滞在していた。牧歌的な趣の同物件はかつてドイツ人作家Lion Feuchtwangerによって所有されていたが、その後、ドイツ政府によって買い上げられ、現在では様々な分野の芸術家に国際的なハブとなる場を提供している。
このカリフォルニアの地でJelinekがかかわっていたのは『LA Screen Memories』と題されたプログラムだった。そのプログラムには、ハリウッド超大作~無名のインディシネマなどの映画に登場するロサンゼルスのロケーションでフィールドレコーディングを行うことが含まれている。
Jelinekは次のように語る。「普通とは違うロサンゼルスの超リアリズムを顕在化してみたい。この街では映画上と現実世界上で公共の場所の持つ意味合いが違うんだ。街全体がフィクションで描かれたイメージを帯びている。でもこの街でそういう場所を見ていると、少し残念な気持ちにもなるよ。映画で描かれているよりも実際は大したことない場所ばかりだから」
プロジェクトに関連する映画シーンから映像ループを作りだした後、Jelinekは映画本来のサウンドトラックを譜面上に起こし、それをフィールドレコーディングの再生時に用いるのだという。この話が複雑そうに感じたとしても無理はない。なぜなら実際に複雑だからだ。インタビューを行う前、Jelinekは4か月にわたり、ロサンゼルスで撮影された映画からループを制作していたそうで、まだフィールドレコーディングを始めていなかった。2017年の2月に再会したときの彼は、9月にフランクフルトで行われるフェスティバルでの初演を目指して楽曲制作に取り掛かる準備をしていた。
「3か月間ロサンゼルスに滞在して映画で使われたロケーションを探してみると、別のことに気付いたんだ」とJelinekは語る。「映画を見ているときに、自分の知っている場所で撮影されたシーンだと分かると、それからは物語に集中できなくなるんだ。ロケーション探しに夢中になってしまう。ロサンゼルスの人がハリウッド映画を見ると絶対に大変だよ。目にすることになるのは彼らの日常的な環境なんだから」
JelinekがFarben名義で最初に制作していたのはクラブミュージック的な4つ打ちの音楽だったが、しだいに彼は特定の目的を持つアカデミックなプロジェクトに多く携わるようになっていった。近年では多数のプロジェクトと並行してラジオドラマを手掛けている他、コレオグラファーとの共同制作も行っている。「自分がミュージシャンだなんて思っていない。僕にはまずコンセプトがあって、そのコンセプトをもとに作業していくんだ。例えばラジオ用の作品なら、すごく厳密なコンセプトがあって、その中で僕が数か月前くらいに考えていたアイデアを実現してみようとする」
Jelinekは2012年以降毎年、ドイツのテレビ・ラジオ局であるSWRのシリーズ番組『Ars Acustica』の音楽を手掛けている。番組用に初めて書いた音楽は『Kennen Sie Otahiti?』と名付けられた。50年代から70年代までのドイツ旅行記をコラージュしたものだ。それ以降も彼は、フィリピンで人里離れた場所に住むタサダイ族や広島平和記念公園など複数のテーマを探求してきた。現在制作中だという次のプロジェクトは、インタビュー時に生じる沈黙にフォーカスしたものとなっており、話者が返答を考えているときに生じる音を使ったコラージュとなるそうだ。
「僕はそれを促進プロセスって呼んでいる」とJelinekは語る。「話し手の声色やマイキングによって、そういう沈黙の瞬間が美しく聞こえることがある。僕はそれをコラージュで浮き彫りにしようとしているんだ。だからといって、話し手の沈黙を馬鹿にしているわけじゃないからね。話し上手な人たちばかりだから」
Jelinekの実験には遊び心と好奇心に満ちた一面がある。それが特に表れているのが'Gesellschaft Zur Emanzipation Des Samples'、すなわち、'サンプリング解放協会'だ。Gesellschaft Zur Emanzipation Des SamplesはJelinekの夢想する架空の集団で、有料で参加するメンバーがサンプリング著作権の問題に直面したときに経済的支援を受けられる、という組織だ。
2009年にGesellschaft Zur Emanzipation Des Samplesがリリースした「Circulations」の付随テキストでJelinekが問うているように、Marvin Gayeの"Sexual Healing"を流すメリーゴーランドをフィールドレコーディングした場合、それは著作権侵害となるのだろうか?「Circulations」の制作ではこの問いにもとづき、Jelinekが使いたいと思っていたサンプリング素材を公共の場所に設置したスピーカーで再生し、その場所でフィールドレコーディングを行った(同作でJelinekはGesellschaft Zur Emanzipation Des Samplesの匿名メンバーだと記されている)。
「考えていたのは公共の音を規定するということ」とJelinekは語る。「公共の場所という雰囲気を作り上げて、そこで録ったサンプリング素材を合法なものにしたかった」
このようにJelinekは屋外での活動も可能なのだが、彼のディスコグラフィーの中心となっているのはスタジオ内での多様なプロジェクトだ。その多様さの中で唯一一貫しているのは予測不可能性だろう。2014年のLP『Farben Presents James Din A4』は、Jelinekの台頭した00年代初期ミニマルシーンを好むファンにとって驚きだったに違いない。James Din A4ことDennis Buschが多数の作品を生み出していたのは2000年から2007年の間で、多くのアルバムを主に自身のレーベルEselから発表していた。それにもかかわらず、彼は多くの人から見過ごされ、一部のカルト的存在にとどまっていた。ハンブルクにあるレーベルがJelinekにコンタクトを取り、Buschのトラックを1曲リミックスすることを打診したところからこの話は始まったのだが、彼はその申し出をさらに発展させることにしたという。
「僕としては1曲だけリミックスしても意味がなかった」とJelinekは語る。「James Din A4のアルバムから1曲だけ取り出したら、その時点でうまくいかなくなる。アルバム全体が必要なんだ。アートワークも含めたすべてがね。そうしないとJames Din A4のリリースから魅力がなくなるよ」
Jelinekは気に入っているJames Din A4のトラックを集めて、全体として意味を持つリミックスアルバムを作り上げた。その結果アルバムは、4つ打ちキックを軸にしていながら、朦朧とさせるサンプリング素材やダビーなエフェクト処理を施した異質なトラックを収めた怪作となった。Jelinekの他作品と同様、野趣と特異な印象に溢れていながら、Buschのけたたましい原曲の雰囲気に通ずるものがあり、Buschの活気に満ちたパッチワークを彷彿させるカバーデザインが採用された。
同アルバムが発表されるまで、Farben名義の活動は2枚のEPを除けばほぼ休止状態となっていた。しかし、90年代後半にJelinekへ確固たる評価をもたらした名義こそ、このFarbenだった。Farbenは人気レーベルだったKlang Elekrtonikとサインを交わし、一連のEPが発表され、称賛を集めていくことになった。
「ミュージシャンとしてやっていこうとは一度も考えていなかった」とJelinekは語る。「本当にびっくりしたよ。1996年にエレクトロニックミュージックを作り始めて、その2年後にはリリースしているんだから。何もかもがすぐに過ぎ去っていって、さらに2年後には音楽で生活できるようになっていた」
Jelinekは当時を「テクノとハウスの黄金期」としている。彼がまだ20代前半でベルリンへ移り住んだばかりの頃だ。ピークタイムのDJセットにこっそりとミックスされる実験的な音楽が大切なインスピレーション源だったという。そのときの体験が彼のキャリアにおける初期衝動だったのかもしれないが、当時のFarbenの音楽にまでさかのぼるには現在のJelinekはクラブ生活から距離を空け過ぎていた。彼は次のように語る。「Farben名義のライブをよくお願いされるよ。でも今の僕は毎週クラブにでかけていないから、Farben名義でライブをしても嘘っぽいものになると思う。1年後には考え方が変わっているかもしれないけど、今はライブをしても意味がない」
近年、Jelinekの活動の中心となっているのがコラボレーションだ。その中でも特に知られているのが、日本人ビブラフォン奏者Masayoshi Fujitaとのコラボレーションで、2010年の『Bird, Lake, Objects』と2016年の『Schaum』という魅惑のアルバム2枚を生み出している。ベルリンで知り合ったふたりは後にスタジオに入って即興でセッションを録音したり、コンサートで演奏したりするようになった。
「ライブパフォーマンスに対するMasaのアプローチはすごくいいよ」とJelinekは語る。「Masaは従来と違う方法でヴィブラフォンを演奏するんだ。金属のチェーンとか、ホイル紙、おもちゃなんかを使ってね。すごく実のあるコラボレーションだよ。ライブパフォーマンスをするとき、僕らは何も準備していないことがほとんどだけど、いつもびっくりするくらい良いライブになるんだ」
Faiticheは、かつてなく多忙な活動を行っているJelinekの中核を担うレーベルだ。しかし、それ以外にも彼はコズミッシェの影響を取り入れたバンドGroupshowに参加している他、ギャラリーやコンサート環境などあらゆる形のライブ活動も繰り広げている。さらに彼は今年中にコラボレーションアルバムをもう1枚完成させて発表しようとしている。そのコラボレーション相手となるのは日本のドローンアーティストAsunaだ。Jelinek自身が認めるように、彼は新しいアイデアに対する自分の欲求を常に満たそうとしてきた。
「あるときから、ひとつのプロジェクトが進行中なのに、新しいプロジェクトのことを考え始めるようになった。進行中のプロジェクトを素早く終わらせないといけなくなったのはそれからだね。そうしないと訳がわからないから。大抵そういうプレッシャーを自分にかけるようにしている。他の人から『Masayoshiとのコラボレーションアルバムを2016年の秋までにリリースして』って言われてそうしているわけじゃない。自分が抱えられるプロジェクトの数よりも多くのプロジェクトが思い浮かぶんだ」
Faiticheは2008年に始動し、無名だった初期電子音楽のパイオニアUrsula Bognerによる作品を収めたアルバムを発表。JelinekはBognerの息子と偶然出会い、60年代に残された彼女のレコーディングやスコアのアーカイブがあることを知ったそうだ。以来、レーベルはJelinekの様々なプロジェクトを送り出す手段となっており、『Temple Vinylbox』には彼が手掛けたラジオ用の作品などが収められている。ヴァイナル4枚組である同作品に並行して、Jelinekはデジタル版で実験的なリリースをしようと考えた。それは、ヴァイナルのリリースにダウンロードコードが付けられている慣行に対する彼なりの意思表明だった。
「音楽フォーマットの利用方法に生じる矛盾って面白いと思う」とJelinekは語る。「自分のレーベルからリリースしてきたものには大抵ダウンロードコードを付けていない。ダウンロードコードを付けてしまうとヴァイナルそのものはレコード棚に入れるだけの物体になってしまうでしょ」
『Temple Vinylbox』には80分を超える音楽が収録されており、CDの収録可能量を超えている。そのため、同作に適したデジタルフォーマットを探していく中で最終的にJelinekが至ったアイデアが、USBスロットのついた70kgのコンクリートブロックを作る、というものだった。
Jelinekは次のように語る。「デジタルというメディアに対して矛盾しているよね。持ち運びのできないデジタルサウンドを提示してみたかったんだ。ひとつの場所から動かせないモニュメントみたいにね。ヴァイナルのボックスセットもそれなりの大きさになるでしょ。それと同じことをデジタルでやってみたかった。「それなら70kgのUSBブロックだろ」って思ったんだ」。このコンクリートブロックは現在までにベルリンにあるふたつのギャラリーに設置されたが、Jelinekとしては公共の場所へ無期限に設置するのが理想だそうだ。
他にもJelinekはエキゾティシズムという考えに関心を抱くようになっている。その点は彼が手掛けるラジオドラマに表れており、前述のプロジェクト「Circulations」の大部分でもエキゾティカの作品からサンプリングした素材が音源として使われている。ここのところエキゾティシズムという考えにまつわる議論が盛んに行われている。特にDon't DJは自身のリリースや様々なフェスティバルでのトークでエキゾティシズムを話題に挙げている。Jelinekは次のように語る。「ここしばらくはエキゾティカに夢中になっているよ。でも今はエキゾティカに対する関心が高まっているし、すごく人気になってきているから、僕も同じようにフォーカスすべきかどうか悩んだよ」
彼が手掛けたラジオ用作品第2弾『Dialoge Sur Anthropologie』(人類学に関する対話、という意味)の基盤となっているのは、熱帯雨林のフィードレコーディングを人工的に作り出したものだ。本物と人工物が混ざり合ったサウンドの中でJelinekが明らかにしたのは、エキゾティックな響きにするために西欧のクラシック音楽がスティールドラムや他の楽器で再解釈されるという、初期のエキゾティカ作品の奇妙な矛盾であり、それがJon Hassellによる70年代の"第四世界"の音楽(民族音楽と西洋の実験音楽を融合させた音楽)という考えとどう異なるのか、ということだった。
Hassellの活動についてJelinekは次のように語る。「新しいアプローチだった。当初のエキゾティカのように(彼の音楽も)現地で流れている音楽を忠実に再現するものではなかったからね。ワールドミュージックのおかげもあって、エキゾティカは伝統的な西欧音楽からかけ離れた全く新しくて面白い方向性を示したんだ。今だと、そういうエキゾティックな架空の音楽と民俗学関連のレコーディングが混ざり合ったものがあるよ」
Jelinekが次々と新しいものに関わっていくタイプの人間であることを考えれば、『Loop-finding-jazz-records』の再発までに長い時間がかかったことは驚きではない。ディストリビューターの強い要望により15年前の作品を振り返ってみた後、彼は「Tendency」のB面に収録されたトラックを新たに加えることで再発という行為に折り合いをつけることにした。そこには当時の作品で彼が個人的に気に入っているトラック"Poren"が含まれている。
「『Loop-finding-jazz-records』はひとつの制作アイデアに従っているんだ」とJelinekは語る。「そのおかげでいい結果を残せたんだろうな。どの曲もしっかりとデザインされた物みたいに、偶発的な要素は一切なく、すべてが調和するようにまとめられている。だから楽しめると同時に実用性のある音楽になっていて、仕事をしながら聞いたり、メールを書いているときに聞いたりできる」
Jelinekのファンにとってこの再発は嬉しいニュースだ。しかし、現在の彼の活動範囲を考えると、『Loop-finding-jazz-records』は端正に形作られたサンプリング素材と言えるのかもしれない。つまり、丁寧に配置されていながら実は壮大な作品の一部に過ぎないのかもしれない。Jelinek曰く、彼はキャリアプランを立てていないのだという。しかし、その活動を全体として見てみると、彼は素晴らしい作品群を生み出し、新要素はいずれも予測不可能でありながら示唆に富んでいることが分かる。そうした数々のプロジェクトをつなぎ合わせているのは、エキゾティックなサウンドとそのサウンドに至る制作手段を追い求める彼の飽くなき姿勢なのだ。
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