今、自分はカイロプラクティックの仕事に従事しています。
カイロプラクティックとは、ごく簡単に言うならば「米国式の整体」とでも申しましょうか。
アメリカ発祥のメソッドなんですね。
つまり、東洋医学でなく西洋医学にルーツをもつ、広い意味でいうところの「整体」です。
ところで、何がどうしてこの業界に身を置くこととなったのか?
今回は、そんな自分とカイロプラクティックとの出会いについて、お話しさせていただきます。
もとはカイロプラクティック院に通う患者側の人間だった
自分も、そもそもは患者側の人間だったんですね。
カイロプラクターになった動機で、いちばん多いのがコレではないでしょうか?
長らく腰痛に苦しんでいた時期があったんですね。
それは、20代の頃。
年に数回は、ギックリ腰を繰り返してしまうような人間だったんですよ。
特に23歳の時に酷い状態に…。
今でも、忘れられない辛い思い出です。
慢性腰痛になったきっかけ
そもそも何がきっかけで、長い間、腰痛と戦うハメになってしまったのか?
それは15歳の時に起きたアクシデントがすべての始まりでした。
高校一年生の頃、実は野球部にいたことがあるんです。
それは、練習前の柔軟体操中に起きました。
腹ばいになって股関節を伸ばすストレッチをしていたときのこと。
同級生のT君が不意を衝く形で、いきなり僕の上に覆いかぶさって来たんです。
いたずらというか、スキンシップというか。
でも、彼は自分の体重の持つ「殺傷能力」について、理解が少しばかり足りなかったのです。
100キロを超える人間が普通サイズの人間にいきなり乗っかったら、いったいどういう結末が待っているのかを。
僕の腰は、その瞬間、あっけなく逝きました…。
人間、本当に「腰が抜ける」瞬間があるんだと身をもって知ることとなったのです。
それも、齢(よわい)15歳にして。
でもね。
不思議とT君のことは恨んでいないんですよ。
良いヤツだったから。
まあ、その時の心境を例えて言うのなら、
動物園の熊にちょっと甘噛みされちゃったって感じかな。
もしくは、
ゴリラに見初められて、軽くハグされたちゃった♡って感じ。
※T君、ごめんなさい(笑)
自分の不注意でもあります。
もし、飼育員だったら、コレ殉職してましたね。
でも、今こうして冷静に考えてみると、これ「事故」っていうより「事件」だよな。
23歳のときに人生を大きく左右しかねない腰痛になる
15歳で発症してしまったギックリ腰以来、慢性腰痛と戦う人生がスタート。
毎年、忘れたころにプチギックリ腰を繰り返すようになってしまったんです。
そして、23歳のときに「悪夢」が僕を襲うのです。
とうとう「腰椎椎間板ヘルニア」になってしまったのです。
腰椎椎間板ヘルニアを患い、苦しい日々
あれは、忘れもしない、ある日曜日のドライブ中に信号待ちをしていた時のことです。
いつもだと、何か動作の拍子で「ギクッ」ときて発症するのがお決まりのパターン。
それが、ただ座っていただけなのに、何かが「グニュッ」とずれる気持ち悪い感じがしたんです。
それから、程なくして、これまでに経験したことのないような「気持ち悪い痛み」が腰のあたりを襲ったのです。
正直、本能的に「越えてはいけない一線を越えてしまった」ことを理解しましたね。
そして、時間差で襲ってきた「坐骨神経痛」。
こんな風に脚が痺れたことなんて、経験したことありませんでしたから。
いったん路肩に車を停めて、「いつもと違う症状」に言いようのない不安を感じずにはいられないのでした。
「人生終わったな」と、正直思いましたね。
痛くて座れない、眠れない日々
ヘルニアをやってしまってからというものの、夜は痛みが酷くなって眠れない。
そして、座ると脚のしびれが憎悪する。
車の運転なんかは、もってのほか。
おまけに小学校の修学旅行以来の便秘にも悩まされることに。
だけど、立っているといくぶんか楽。
さらには運動すると、もっと楽。
いちばん楽になるのは、なんと筋トレ後だったのです。
経験的にいろいろな法則を知ることとなり、結果、以下の生活習慣が成立することとなったのです。
- 会社帰りは一駅早く降りて、ひたすら歩くようにする
- 毎夕食後に必ず筋トレをする
- テレビゲームは立ってプレイ
それと、もちろんカイロプラクティックに通院することに。
15歳のときも、そうやって回復を図ったのです。
本能的に手術という選択肢が怖かったんですね。
当時の腰の手術は、実際とてもリスクがありましたから。
だから、やるだけのことをやって、それで駄目だったら、医者に行こうと。
緩解するのに6カ月かかった
地道にカイロプラクティックに通い続けて、しかも、人生で初めて腹筋が6個に割れてきた頃。
そう。ちょうど発症から半年した頃でしょうか。
やっと腰痛と脚のしびれがすべて治まったんですよ。
でも、そこに辿り着くまでに6カ月もの我慢の歳月を要してしまったのです。
今となって考えると、自分が自分で処置できたら2,3カ月も待たさなかったかなと。
そのくらい、今の医学って進歩しているんですね。
30歳を過ぎてカイロプラクター養成学校に
そして、30歳を過ぎたころ念願のカイロプラクター養成校に入学を決意することとなったのです。
しかし、その頃も相変わらず慢性腰痛を抱えて暮らしていたんですよね。
ついでにヘルニアの症状も消失してからは、カイロプラクティックともすっかりご無沙汰。
正直、自分の腰が果たしてどこまで持ち堪えることが出来るのか?
他人様の腰どころではないのでは?
不安がつきまといました。
無事卒業して、いざ現場へ
カイロプラクティックの学校で、身体のことについて詳しく学んだことが、結果的に自分の腰を守る結果となったのです。
痛みやしびれの原因を正確に理解して、正しいアプローチによって回復まで導く。
いわゆる治効機序というやつを知ることとなったからです。
もちろん自分の身体にも応用が利きますから。
今までの経験則にもとづいて、自己流でやってきたことを理詰めで検証してみました。
- 会社帰りは一駅早く降りて、ひたすら歩くようにする
⇒筋肉に血流を促し、回復を早めるきっかけに
- 毎夕食後に必ず筋トレをする
⇒内容はともかく、腹部の筋肉を鍛えたことが腰の負担を軽減させた
- テレビゲームは立ってプレイ
⇒立った方が椎間板の物理的負担が少ない
そして、何よりも回復へ大きく貢献してくれたことが「気持ち」。
運動や筋トレによって、ポジティブな思考になったことで、脳から「成長ホルモン」の分泌が促された結果、損傷個所の修復が促進されたのではと推察します。
※成長ホルモンとは…
成長ホルモンは、脳下垂体前葉から分泌され、文字通り、小児期には体の成長(骨や身長を伸ばす、筋肉の強化)を促すホルモンとしてよく知られていますが、 成人になってからもたんぱく質合成を促進する作用があり、体の修復、疲労回復に重要な役割を果たすことが知られています。
あと、コレもとても重要。
カイロプラクティックの仕事で、そこそこカラダを使っていること。
これが自分の場合、腰痛のコントロールにいちばん貢献しているはずなんですね。
最後に
15歳という若さで腰痛持ちの仲間入りをしてしまった自分。
さすがに23歳で椎間板ヘルニアにまでなってしまった時は、人生に絶望しかけました。
しかし、自分なりに良かれと思って実践していた習慣が、実際にプラスに働いていたこと。
さらには「治す側」の人間になったことで、かえって自分の腰のコンディション維持に繋がっていること。
これらが条件として重なり合ったことで、現在、QOLをいっさい落とすことなく生活出来ていることに繋がっているのです。
ただ、少しばかりの「運の良さ」も感じずにはいられません。
たまたま、「タチの悪くない」腰痛だったのも、不幸中の幸いでした。
いわゆる「危険な腰痛」でなければ、やはりポジティブな気持ちをもって動いてしまった方が回復を早めるのです。
かつての僕と同じように、今現在、腰痛を抱えて困ってらっしゃる方へ。
「危険な腰痛」でないことが分かったのであれば、弱い部分を鍛えるくらいに考えてしまった方が、回復を図れるものなんですよ。
もっと、積極的に攻めましょうよ。
2018.7.12