首都圏からアクセスのよい温泉地として、観光旅行や社員研修の代名詞でもあった熱海。しかしバブル経済崩壊後、街はみるみる衰退。1960年代には約530万人いた旅館やホテルの宿泊数が、2012年には半分以下に。
この数年で約308万人まで回復したものの、街全体の空き家率は全国トップクラスの約50%、高齢化率は約45%と課題も多く、その状況を「日本の50年後の姿」と呼ぶ声もある。
ところが、そんな熱海ではいま、若者を中心とした移住の動きが活発で、街に活気が生まれているという。
その立役者が、株式会社machimori代表の市来広一郎さんだ。地元を盛りあげるイベントの企画や空き店舗の再生、ゲストハウスの運営など熱海市の街づくりに10年以上取り組んできた。この、ビジネスの手法を用いた「民間主導」の街づくりが熱海の活性化に大きく関わっている。
なぜ、いま熱海に人が集まるのか。そして日本の地方都市に秘められた可能性とは――。
僕は19歳まで熱海に住んでいました。中学生の頃にバブル経済が崩壊、高校時代に一気に衰退がやってきて、街がたった数年で廃墟のようになっていったのを覚えています。
それでも、昔から熱海には「もう一度にぎやかな街になる」ポテンシャルを感じていました。「ゆったりとしたリズムで豊かに暮らす」ことが、この街なら可能だ、という確信に似た思いがあったからです。
熱海を出て、大学時代と会社員となって数年を東京で過ごしましたが、満員電車や道路の混雑に、なんとも言えない息苦しさを覚えていました。
就職直前に旅したヨーロッパでは、人々が街中をゆったり歩き、夜は家族揃って食事をしている。それを見て「豊かな暮らしだな」と感じましたが、その心地よさは熱海とよく似ていていることに気づいたんです。
温泉リゾート地ですから、自然もある一方、外食など街場を楽しむスポットもある。地元を離れたからこそ、その“ちょうど良さ”に気づいたんでしょうね。以来、毎月熱海に通っては小さな喫茶店を巡ったり、海でボーッと過ごしたりしていました。
東京で働きながら感じていたのは、日本全体に漂う閉塞感です。僕には国を変えるような大きなことはできないけれど、自分の足元を変えることならできるのではないか。そう考え始めたら仕事が手につかなくなり(笑)、会社を辞めて熱海に戻る決意をしたのが28歳のときでした。
人脈も十分な貯金もないゼロからのスタート。あるのは勤めていたコンサル会社で培ったビジネス手法を用いて街づくりに関わりたい、という思いだけです。
戻ってみてショックを受けたのは「熱海は何もない街だ」と地元の人たちが口を揃えて言うことでした。そんなはずはない、まずは熱海でいま何が起こっているか知ることから始めようと、地域で面白い活動をしている人を取材し、ウェブサイトで情報を発信する「あたみナビ」という取り組みをはじめました。
実際に取材を進めてみると、何もないどころか面白いことをやっている人がたくさんいる。この街は必ず変わる、と日々確信は強まっていきました。