元U-20ホンジュラス代表GKコーチ・Yoji Yamano
【選手】立正大学体育会サッカー部 → Palm Beach Pumas(アメリカ)→ CD Lenca(ホンジュラス)
【GKコーチ】立正大学体育会サッカー部 → アルビレックス新潟シンガポール(シンガポール) ※GKコーチ兼選手 → アルビレックス新潟ユース →Real Sociedad(ホンジュラス)→Parrillas One(ホンジュラス)→Real Sociedad → U-20ホンジュラス代表GKコーチ ※U-15ホンジュラス代表GKコーチ兼任
ずっと一途に「プロサッカー選手になる」という夢を追い続けるも、大学卒業後、Jリーグチームに入団する事はできなかった…(2002年。当時「22歳」)。夢に破れ、「もうサッカー辞めよう」と決意するも、母校の高校サッカー部でコーチを務める中で、再び「サッカー」に対する情熱を取り戻す。
半年間のコーチ業の後、2002年9月より中国へと渡る。自身の人生の中で「初」となる、「海外生活」が始まった。そしてこの選択が人生を一変させる。中国の地でも「プロサッカー選手になる」という夢を追い続けたが、「外国人GKは中国プロサッカーリーグに参加する事ができない」という中国サッカー協会で定められた規則があるため、チャレンジする事さえできなかった。規則を変えてもらうべく中国サッカー協会に単身、乗り込んで交渉もしたが、「中国でGKとしてプレーしたいなら、中国人になるしかない」と言われ断られる。万事休す。しかし僕は決して諦めなかった。絶望的な状況の中、中国語を習得しながら天津市内の大学でトレーニングに励み、チャンスを信じてひたすら待った…。
中国で待つ事「1年」。天津の語学留学先で知り合ったアメリカ人の友達から1本の国際電話が入る…。「アメリカでプロサッカーチームのトライアウトのチャンスが見つかった」との一報だった。中国ではサッカー協会の規則もあり、挑戦する事さえできなかった。1年間、待ちに待ってようやく巡ってきた「チャンス」。僕は迷わず「アメリカ行き」を決断…。2003年12月。旅行カバンにサッカー用具だけ詰め込み、初めてアメリカに渡る…。
アメリカでは苦難の連続だった。そもそも文化に馴染めない。国全体を覆う「負のオーラ」に悩まされる。その後も数々の国を渡り歩いたが、アメリカは残念ながら最も自分に合わなかった。2005年6月。ついにアメリカを出る決心をする。…が、次の行き先が決まらない。しかしルームメイトがたまたまホンジュラス人で、彼の「父がYojiにチームを紹介できる」という言葉だけを頼りに、未知の国・ホンジュラスへと初めて足を踏み入れる事となった…。
ホンジュラスに初上陸。しかしせっかく来てみたら「父がYojiにチームを紹介できる」という言葉は嘘だった事が判明…。僕は突然ホンジュラスの地に1人、取り残される事となった。もちろん、知り合いは皆無…。しかも治安が悪く危険な国なので、うかつに行動する事さえできない…。それでも僕の心は決まっていた…。「このままプロになれないなら、死ぬのと同じだ」…僕は正に死ぬ覚悟で、ホンジュラスでたった1人、プロを目指した危険な活動を開始した…。
活動は困難を極めた。何度も失敗し、絶望し、時には命の危険にもさらされた…。お金も底をつく…。しかし、僕は初めての海外生活の地である中国、そしてここホンジュラスにて、人生における最も大切なものを学んでいた…。それは…「根性」でも「忍耐」でも「努力」でもなく…「笑顔」。
数々の修羅場を「笑顔」でどうにか潜り抜け…。2005年12月…。とうとう「その瞬間」はやってきた。ホンジュラスの地で「日本人初」プロサッカーチームと契約締結。その時、僕は「26歳」になっていた…。本気で「プロになりたい」と思い始めた中学1年生の時から数えて13年の歳月を経て…ついに人生最大の「夢」が実現する。
人生は本来、楽しいものだ。一度しかない人生…「笑顔」で生きた方が得に決まってる。「笑顔」は全ての不可能を「可能」にする。「ありえない!がある!」人生を「笑顔」でとことん楽しもう!!
※前ブログに、世界各国を渡り歩いた詳しい活動内容を記録。→【★★★「26歳」からのプロサッカー人生!山野陽嗣の「笑顔」で不可能を「可能」にするブログ!★★★日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→??? 】
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☆☆☆ 各種メディア・記事掲載情報 ☆☆☆
◎ <平成ラヂオバラエティ ごぜん様さま> 【ぶち広島人 】 2006年10月2日放送&【11月13日放送 】
◎ <足球之夜>中国中央電視台(CCTV) 【人生充满可能性 】 2009年2月号
◎ <週刊サッカーダイジェスト> 【波瀾万丈の流浪GK 】 2011年5月24日号
◎ <立正大学グリーンブック> 【サッカーへの夢を育んだ立正。その恩返しに選手を育てたい 】 2012年版
◎ <La Tribuna>(ホンジュラス) 【Exportero japonés de Marathón 】 2012年7月4日発売(西・英語のみ)
◎ <ニッカンスポーツ> 【日本の真逆/ホンジュラス 】 2012年7月4日発売
◎ <La Prensa>(ホンジュラス)【私は日本人。けど、ホンジュラスと共にいく】 2012年7月31日発売(翻訳付)
◎ <ひるおび!>(TBS) 【ロンドン五輪2012予選リーグ第3戦「ホンジュラス戦」特集 】 2012年8月1日放送
◎ <La Prensa>(ホンジュラス) 【残念。ホンジュラスは日本に勝てた】 2012年8月2日発売(西語のみ)
◎ <Diez> 【レアル・ソシエダの成功の影に日本人・Yoji Yamanoの存在】 2013年5月10日(スペイン語)
◎ <El Heraldo> 【ホンジュラスと共にW杯に出場するのが夢】 2014年6月8日(スペイン語)
◎ <COACH UNITED>(コーチ・ユナイテッド) 【「GKセミナー動画」&「対談記事」】 2015年1月
◎ <アスリートナレッジ>
【林卓人は、優れているからこそ語られない/ 山野陽嗣のGK分析『林卓人(サンフレッチェ広島)』】 2015年7月
【日本人GK最大の弱点とは○○である/山野陽嗣( @yoji_yamano )のGK分析『林卓人(サンフレッチェ広島)』】
◎ <中国新聞> 【GK専門指導 故郷で再出発 世界へ羽ばたく選手を】 2015年8月11日
◎ <フットボールネーション(漫画)>
【GKの「プレジャンプをしない動き直し」】 2015年10月23日
【単行本8巻】 2015年10月30日
◎ <東和空のスマイル会議>(RCC) 【RCCラジオ番組に出演します!】 2015年11月15日、22日
◎ <サッカー批評>【サッカー批評79『Jリーグとスーパーリーグに見るGKの実力差。中国サッカー界で急成長を遂げる「ゴールキーパー」育成事情』】】 2016年2月27日
◎<ココスポ サッカー王国>(RCC) 【GK目線から広島GK林卓人選手、佐藤寿人選手などについて語る!】 2016年3月9日、10日
◎<サッカーキング>
【日本対韓国戦、勝者の次なるステップ-櫛引政敏にみるGKの可能性-】 2016年2月1日
【なでしこジャパン、明日へ、次に歩むための提言-福元のハイボール処理は正しいのか-】 2016年3月14日
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◇◇◇ 主な出来事、獲得タイトル等 ◇◇◇
◆ 2010年1月。ホンジュラス大統領官邸にて大統領(当時)ロベルト・ミチェレッティと対面。
◆ 2010年5月より、【アルビレックス新潟シンガポール】のGKコーチ兼選手に就任。2011年には「リーグ杯で初優勝」を飾り、同クラブ史上初タイトルを獲得。シンガポール杯でも初の「準優勝」。Sリーグではクラブ史上最高順位(当時)の4位。
◆ 2012年1月より、【アルビレックス新潟ユース】のGKコーチに就任。
◆ 2013年より、ホンジュラス1部リーグ(J1に相当)の【レアル・ソシエダ】、【パリーヤス・オネ】のGKコーチに就任。レアル・ソシエダではクラブ史上初の「準優勝」と「リーグ最小失点」を達成。
◆ 2014年2月。日本人初【ホンジュラスサッカー協会公認GKコーチングライセンス】を取得。
◆ 2014年5月。日本人初【U-20ホンジュラス代表 】GKコーチに就任。※U-15ホンジュラス代表GKコーチも兼任。
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