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村上春樹氏の作品は好きではないので、だからこそドリー氏の書き込みにも共感したし、実際とても面白い書き込みだと思ったわけですが、テレビに映っているドリー氏(この状況でテレビに出ちゃうという選択も含めてですが)を見ていると、このレビューでは触れていない村上春樹があることを思い出しました。
村上春樹の小説は、実はかなり高度な哲学的考察が行われていて、それはハイデッカーの哲学であったりします。また、日本における文学思想の歴史の上に乗っ取り、村上春樹自身が生きてきた時代を反映し、さらにその先を考察する構成にもなっています。「色彩~」に関しては、庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」へ対抗した作品でありました。そもそも「赤ずきん~」事態が、日本における思想史(それに乗っ取った文学史)のひとつの時代を集約した作品でした。つまり時代の転換点を表現しています。「色彩~」はそれに対抗した(「色彩~」が書かれた時代の)思想史、文学史の転換点を表現しています。
と言うところからわかるように、村上春樹が描く小説は直接的な表現には何も表されておらず、その裏に暗示された部分に本質があります。それも表面的な表現とは全くかけ離れた本質であり、それは長い歴史の上に立った時代の本質です。ところがその一方で、表面的な表現も、しっかりと時代の流行を表現していたりもします。この二面性が完璧であるところが、やはり村上春樹のすごいところであることは認めざるを得ません。同じハイデッカーやるなら、もう少し他の方法つかって欲しいとは思いますが、でもこの方法によって、ハイデッカーの「ハ」の字も知らない人が、その思想にそうとは知らずに触れるという現象もまた、村上春樹の狙いなのかもしれません。
という事で、ドリー氏のレビューは笑えたし、よく書けていたし、実に良い「色彩~」の宣伝にもなっているわけですが、その一方で、一面的、表面的、わかりやすいの三拍子をそろった物でもあります。
二層構造を(多層構造かな)を成功させている村上春樹とは、やはりレベルが違うという事は認めざるを得ません。
まあ、ネットでアンチやる分には、この程度で十分でしょうが。
かなり読書量もあるようですから、もっと突っ込んで考察したのをまた書いてください。
それから、ネットであれ、テレビであれ、メディアをつかっていると言う現実を軽く考えない方がいいでしょう。現代はネットのおかげで誰でも発信者になれますが、メディアの本質は、ネット社会以前と以後と、実はほとんど変わっていません。ドリーさんがその辺を上手に操れることをお祈りしています。
村上春樹氏の作品は好きではないので、だからこそドリー氏の書き込みにも共感したし、実際とても面白い書き込みだと思ったわけですが、テレビに映っているドリー氏(この状況でテレビに出ちゃうという選択も含めてですが)を見ていると、このレビューでは触れていない村上春樹があることを思い出しました。
村上春樹の小説は、実はかなり高度な哲学的考察が行われていて、それはハイデッカーの哲学であったりします。また、日本における文学思想の歴史の上に乗っ取り、村上春樹自身が生きてきた時代を反映し、さらにその先を考察する構成にもなっています。「色彩~」に関しては、庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」へ対抗した作品でありました。そもそも「赤ずきん~」事態が、日本における思想史(それに乗っ取った文学史)のひとつの時代を集約した作品でした。つまり時代の転換点を表現しています。「色彩~」はそれに対抗した(「色彩~」が書かれた時代の)思想史、文学史の転換点を表現しています。
と言うところからわかるように、村上春樹が描く小説は直接的な表現には何も表されておらず、その裏に暗示された部分に本質があります。それも表面的な表現とは全くかけ離れた本質であり、それは長い歴史の上に立った時代の本質です。ところがその一方で、表面的な表現も、しっかりと時代の流行を表現していたりもします。この二面性が完璧であるところが、やはり村上春樹のすごいところであることは認めざるを得ません。同じハイデッカーやるなら、もう少し他の方法つかって欲しいとは思いますが、でもこの方法によって、ハイデッカーの「ハ」の字も知らない人が、その思想にそうとは知らずに触れるという現象もまた、村上春樹の狙いなのかもしれません。
という事で、ドリー氏のレビューは笑えたし、よく書けていたし、実に良い「色彩~」の宣伝にもなっているわけですが、その一方で、一面的、表面的、わかりやすいの三拍子をそろった物でもあります。
二層構造を(多層構造かな)を成功させている村上春樹とは、やはりレベルが違うという事は認めざるを得ません。
まあ、ネットでアンチやる分には、この程度で十分でしょうが。
かなり読書量もあるようですから、もっと突っ込んで考察したのをまた書いてください。
それから、ネットであれ、テレビであれ、メディアをつかっていると言う現実を軽く考えない方がいいでしょう。現代はネットのおかげで誰でも発信者になれますが、メディアの本質は、ネット社会以前と以後と、実はほとんど変わっていません。ドリーさんがその辺を上手に操れることをお祈りしています。
ネット上でみんなから乗りに乗せられて気持ちよくなられているんだなぁ~というのがよくわかり、反吐が出ました。
特に、ツッコミどころを探すために本を読んでいるあたり(鉛筆で書き込みまで!)。
批判するためにのみ、その作品を読むことの愚かしさ、無意味さ、
人の作品をこき下ろすことでしか自己表現を成しえないことの虚しさは感じられないのでしょうか?
物語とは、その人の身になり、血肉になっていくものです。
人を刺す時は自分も刺される覚悟でおられた方がよろしいかと思います。
その覚悟が、貴方にはないように感じるのですがいかがでしょうか。
とにかく、アンチ自体は結構です。
人にはいろんな感じ方、受け取り方があります。
ですが、人に乗せられて浮かれている様子は、村上春樹のオシャンティーな表現以上に寒々しく私には映りました。
批判するにも誠意が必要だと、私は感じます。
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