内面世界から外面世界へ

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幼少期から、グルーシェンカは呑み込みの速さが超人的だった。何事にも吸収が早く、他人なら時間が掛かることでも、短期間であっさり習得することが出来た。名門貴族の家に生まれ豪邸に暮らし、教育の環境が最高だったので、他者から抜きんでるのは当然のことだった。周囲からは天才と絶賛され、本人も自分は天才であると思っており、他者の評価と自己評価が合致しているのだから、その認識に誤りなど無く、疑問を差し挟む余地などないと考えていた。そしてその絶賛のままに年端もいかない少女がスタンフォード大学に入ることになり、それなりに優秀な成績を収めたのだが、グルーシェンカはその後に約束されていた成功の道を固辞し、故郷のウクライナに帰ることにした。自分は呑み込みの速さが超人的なだけで、模範解答だけ憶えたらそこで頭打ちになる人間だとわかったからだ。最初の呑み込みがやたらによいだけで、グルーシェンカの知力の天井は低いのだった。

このところグルーシェンカは憂鬱だった。二冊目の本を出版するという流れになってしまい、それを執筆しているのだが、これまた秀才の作文に他ならないのである。一冊目の時はラテン語の文献の引用を多用するなどして誤魔化したが、今回はもはや凡人であることを隠し通せない気がしていた。卓越したソーシャルスキルにより、華麗な人脈を持っていたが、天才と僭称することで人を惹き付けているだけだから、いずれガッカリされて人々に愛想を尽かされるのは間違いない。そもそも友達が非常に多いとは言っても、親友はひとりもおらず、例外的に親しいのはカチェリーナだけだった。そのカチェリーナは生来の自閉性が原因で親からネグレクトされたため教育を受けてないから、育ちの違いでグルーシェンカの方が現時点では知力が上だったが、本当はカチェリーナの方が天才的な頭脳を持っているとグルーシェンカは感じており、いずれカチェリーナがグルーシェンカに失望するのも明らかだった。現在の天才少女という立ち位置が早晩崩壊するのが確実だったので、その不安で目眩がするほどだったのである。

カチェリーナは最近グルーシェンカがつれないので自殺することにした。鈍感なカチェリーナでも気づくほど、明らかによそよそしいのである。学校で友達がひとりもおらず、この名門貴族の一員になることが唯一の拠り所だったのだが、こうやって一緒に暮らしていると育ちの悪さを見抜かれているに違いなかった。実の家族から疎まれ、学校では友達が一人もいないのだから、この暖かい家庭の住人たちもそろそろ我慢の限界であろうし、愛想を尽かす頃である。ウクライナ最高の美少女と謳われ、あらゆる悪事を働いた親の遺産で世界的大富豪になったが、生まれてから15年間ゴロゴロしていたのが祟って、もはや手遅れである。カチェリーナのために改装されたこの豪邸の一室のソファーに座り、命を絶つ前にこの空間の愛おしさを懐かしんだ。カチェリーナはベルサイユ宮殿を摸した城を作り、かつてはそこに住んでいたわけだが、あまりにも空疎な生活だった。この家は、本当の意味で家庭環境が素晴らしく、愛情と教養で育まれていた。カチェリーナにとって、ようやく人間性の豊かな理想の場所にたどり着いたのだが、やはり自閉症の自分にはふさわしくないらしく、そろそろ旅立ちの時間が来たようである。

睡眠薬をテーブルの上にどっさり並べて準備をすると、カチェリーナはグルーシェンカを呼んだ。
「おまえに見捨てられたので自殺することにした」
「なんのことでしょう」
「やはり育ちが悪い人間は何をやっても相手にされないと確信した。おまえも心の中ではずいぶんわたしを馬鹿にしていたのだろう。わたしの遺産の半分はくれてやるから、貴族だけでワイワイやるがいい」
そしてカチェリーナはグラスにウオッカを注ぎ、睡眠薬のシートからカプセルを取りだしていった。
当然ながらグルーシェンカはそれを制した。
「待ってください。カチェリーナ様は誤解されているようです。わたしがカチェリーナ様を避けていたのは、カチェリーナ様から見捨てられるダメージを少しでも減らしたかったからです」
「なぜわたしがおまえを見捨てないといけないのだ」
「わたしは近いうちに二冊目の本を出すことになっているのです。それを書いてるのですが、まさに平凡極まる内容なのです。天才という設定のわたしが、こんなゴミを世に出したら、正体がバレて、誰からも見捨てられるのです。カチェリーナ様だって、わたしを相手にしなくなるに違いありません」
「だからわたしが愛想を尽かす前に自殺に追い込んで、遺産を手にしようとしたわけだな」
「それはないです」
「その二冊目の本の草稿でもあるんなら見せろよ」
グルーシェンカは躊躇っていたが、やがてその草稿が入ったノートパソコンを持ってきた。
カチェリーナはそれを読んでみることにした。さすが稀代の秀才らしくいかにも頭のよさそうな文章ではあった。ソーシャルスキルについて書かれた本だったが、人間が他者や世界をどのように認識しているかについてわかりやすく説明されていた。この世界に生きるわれわれに完全情報は与えられてないので、断片的な情報を元に、想像力でいかに補って生きる必要があるのか、きちんと書いてあった。
「悪くないと思うぞ。世の中の仕組みはいちいち説明してくれないから、自分で想像して補うしかないというのは、以前のわたしなら目から鱗が落ちる内容だっただろう」
「現在は目から鱗が落ちなかったんですね。平凡な内容だと思って、愛想を尽かしたわけですね」
「いや、いろいろ想像して補えというのは、おまえから口酸っぱく言われていたからな。気づいてないタイプの人にはこの本は有益だと思うぞ」
「天才的な本でないと駄目なんです。これを読んでわたしを天才だと思いましたか」
「そう言われると難しいな」
カチェリーナは腕組みをした。
想像力で世界を理解していくことを丹念に説明した素晴らしい本だと思ったが、天才的な認識が示されているかというと、そうでもない。
そのあたりの感想を正直に述べることにした。
「このまま出版しても良書ではある。有用でもあると思う。だが、天才的な本が出したいのだろう。それにしてはマニュアル本みたいに結論を書きすぎている。天才は問題提起をすればいいのであり、結論はさして書かなくていいのだ。天才的な問題提起こそが、読者を知的興奮に導くものなのだ」
「おっしゃる通りです。だから出来れば天才的な思考が出来るカチェリーナ様に共同執筆者になって欲しいのです」
「学校で友達がひとりもいないわたしがソーシャルスキルについて書くのか」
「出来ない人ならではの視点があるんです。たとえばリザヴェータ姉さんと共同執筆なんて出来ません。あの人は社交性が高いし、愛情に溢れていて温厚な優しい性格で、注意力も高く落ち着きがあり、視野も広い。そういう自然体でバランスのいい人がソーシャルスキルを理論的に考えるのは出来ないんです。姉さんは共感的に世界を見てるので、いちいち理屈で考えないんです。だから理屈っぽくて、想像力や人間性に欠陥があるカチェリーナ様の視点が欲しいのです」
「やりたくなくなった。おまえ一人でやれよ」
「どうしてもカチェリーナ様の天才的な頭脳が欲しいのです。決してお世辞ではないです。わたしは呑み込みが速くて何でもすぐに習得できるので、すごい天才だという誤解を受けてますが、カチェリーナ様の方が思考力は高く、本当の天才です。このままこういう切れ味の足りない本を出したら、わたしはニセモノの天才という実態が露わになってしまうので、とても不安で夜も眠れないのです。だからカチェリーナ様にご指導を賜りたいのです。でも、わたしなんかどうせ見捨てられるんでしょうね。わたしがニセモノの天才だと笑われる滑稽な姿を楽しむんでしょう」
「おまえがそんなに頼むなら協力するよ。力になれるかはわからないが」

それから、どうやって改稿するかという議論になった。
「カチェリーナ様が加筆するとすれば、どんなことになるでしょう」
「おまえが書いた草稿には、モラルの視点が欠けている。かつて人類社会では、ソーシャルスキルの低い人間が善人と扱われていた。たとえば馬鹿正直は評価が高かった。おまえのように裏表がある人間は蔑まれた。でも、今日の社会では馬鹿正直は障害者で、おまえみたいな小狡い人間が持て囃される。善悪という物差しで人間を判断する文化が消滅したんだ」
「ソーシャルスキルが低い方が道徳的に正しい、という結論でしょうか」
「だからおまえは秀才の作文しか書けないんだよ。結論はいらないんだ。天才は問題提起だけして、後は読者に委ねればいいんだよ」
「善悪はどうでもよくなって、空気が読める能力の有無が人間評価の軸になっているという現状を指摘し、そしてその指摘だけにとどめ、倫理的な細々とした検討はいらないわけですね」
「そうだ。サンデル教授みたいなディベートごっこはしなくていい。ああいうチマチマした議論は天才になれなかった人間特有のものなんだ」
「では人間観の変化の理由には踏み込まないわけですね」
「それは書いてもいいよ。書くに値する認識が示せるなら書けばいい。ソーシャルスキルは婚前交渉のためだ。結婚する気もないのに女を口説いて、どれだけたくさん抱けるかという問題だ。晩婚化が進んでるから、結婚より婚前交渉の方がセックスの楽しみの核になる。婚前交渉こそが人生であり、結婚は人生の体裁を整えるための付録だ。だからソーシャルスキルが人生の決定的な鍵となる。婚前交渉が出来ない時代だと、もう少し精神的な愛があったんだ。どうやって愛する相手と精神的に繋がれるかというテーマがあり、それが文学や芸術の源泉だった。教養主義が衰退したのも、婚前交渉こそが人生の目的になったからだ。童貞と処女が愛を語るのが教養主義の本質だったんだ」
「精神とか内面への関心が薄れ、ソーシャルスキルという外面的なテクニックに移行しているという考えは面白いですね。ソーシャルスキルは自閉性の否定という側面がありますが、それに伴い教養主義もなくなった。そういう認識だけ示して、倫理的な判断は差し挟まないわけですね」
「倫理的なディベートは天才のやることじゃないんで、やらなくていい。自閉性が疎まれていく経緯だけ説明すればいい」
「内面世界は死んだのですね。では、外面世界とはなんぞやというと行動力なんです。社交性とは行動力であり、この素質が強いと人望が生まれるんです。行動力自体に価値があるんです。その行動の中身はスカスカでいいんです。人生に目的などないんで、その目的の無さに不安な人が多いんです。だからこそ行動力やリーダーシップが必要なんです」
「その視点は面白いじゃないか。それを軸にして書いたらどうだろう」
「たとえばわたしがお友達をフットサルに誘うとみんな付いてくるわけです。フットサルに価値があるかどうかわからないし、ないのだろうけど、行動力のあるわたしが目的を提示すると、それに惹かれるわけです。フットサルに価値がなくても、行動力のあるわたしに付いていくことに社交的な価値を見いだすんです」
「世界に意味がないからこそ、行動力のある人間が持て囃されるんだな」
「三島由紀夫が割腹自殺したのは、行動力のない人間が行動力を身につけようとした悲劇だと思うのです。内面世界の住人が表に出てもニヒリストにしかならない。わたしのように社交性が高くて、つまらないフットサルでも楽しめる人間でないと駄目なんです。わたしはフットサルがつまらないからと言ってニヒリズムをこじらせることはないですし、友達と遊ぶのを楽しむだけです。みんなとコミュニケーションすること自体が楽しいのだから、フットサルの価値とかどうでもいいんです」
「なかなかまとまってきたな。生きる意味を信じられるのは天性の才能なんだろうな。そういう人物を中心に人間関係が出来上がるんだろう」
「だから行動力のない自閉症がベルサイユ宮殿を建てても誰も遊びに来ないで廃墟になるわけです。あんなに美しいお城でも城主が自閉じゃつまらなくて誰も付いてこない。自閉症の城には誰も来ないというタイトルにしましょうか」
「なんか知らんが元気が出てきたようだな」
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