アイヌ差別の現状――民族への差別と民族の内なる差別

民族内差別の多様性

 

以上からは、これまでの人生に和人からの差別の経験が拭いがたく刻まれているアイヌの人々がたしかに存在していることがわかる。しかしながら現在、アイヌ差別は和人とアイヌの関係性だけで完結するような状況ではない。

 

誰がアイヌ民族かということは和人よりもアイヌの人々の間で認知されやすい。なによりアイヌというエスニック・アイデンティティを抱え続けるのはアイヌ自身である。そのため、アイヌ社会の内側で互いに偏見をもったり、差別が起きるという事態が徐々に確認されつつある。さらに和人養子や和人配偶者の場合など、アイヌ社会のなかでは少数派として存在する和人たちの存在も見過ごすことはできない問題を生む。

 

次は、こうしたアイヌ社会内部の多様性とはどのようなもので、いかなる差別を生み出しうるのかをみていきたい。

 

 

アイヌ社会における和人差別

 

和人よりもアイヌの人々のほうが多数派となる場面として、アイヌ協会などの民族活動の場がある。アイヌの配偶者をもつ和人妻・和人夫がこうした活動に参加した際、アイヌの血筋にある者から、アイヌ語で和人を意味する「“シャモ”のくせに」と差別的な言い方をされることは、それほど珍しいことではない現実がある。

 

また、「夫が亡くなったら、自分はただのシャモだから、アイヌ文化関係の団体から抜けるべきではないかと後から入ってきた若い人たちにいわれた」というように、アイヌとの婚姻によって家族を築く和人配偶者の立場は、本人だけがアイヌの血を引いていないという点でも、アイデンティティのゆらぎを経験しやすい状況にある。この点については、和人配偶者がアイヌ社会においては和人として退けられ、和人社会においてはアイヌ側の人間として退けられることから“ダブル・アウトサイダー”としての側面を持つことが指摘されている。

 

 

結婚相手にはアイヌを避ける

 

結婚の際にアイヌ民族内部からその相手を選びたがらないという傾向は、男女どちらの側からも把握できる。アイヌ男性側からは、「もし妻がアイヌだったら結婚しなかったかもしれない。相手の女性がアイヌだったら恋愛の対象にならないというのでは失礼だし、差別のようになってしまうが、子どものことを考えると普通の人がいい」という証言がある。

 

この“子どものこと”という部分には、子どもにアイヌの身体的特徴である「体毛の濃さ」や「彫りの深さ」が遺伝してほしくないという意味が込められている。アイヌ社会には、自らの民族の血を薄める戦略として和人との結婚を望み、アイヌ同士での結婚を避けたがる人々がいることを確認できる。

 

この傾向はアイヌ女性の側でより顕著で、「アイヌのおばあちゃんたちに“シャモと結婚するだよ”とよくいわれた」という話が多いように、年長世代から和人と結婚するように教え込まれ、「物心ついたときには毛深い人とは結婚しないと思っていた。見た目でアイヌとわかる人は嫌だと思った」といった意識を形成しているパターンが目立つ。

 

 

否定的な感情からアイヌ性の隠蔽へ

 

アイヌとしての自分自身に対して、否定的な感情を抱くケースも当然存在する。両親ともアイヌという家庭に生まれた女性が、「母さんと父さんの子に生まれたから、私こんなにみっともなくて、毛深く生まれた」といってしまったことを後悔していると打ち明けてくれたことがあった。

 

彼女は同時に、「肌(外見)から差別されたり、軽蔑されたりするのは嫌だから、絶対アイヌの人としか結婚しない」という気持ちや、和人とは結婚しないのではなく「できない」というふうにも話しており、アイヌであることに否定的なエスニック・アイデンティティがうかがえる。

 

他方、アイヌに対する否定的な感情を、客観的に「アイヌ民族」そのものに対して抱いている人も一定数存在する。たとえば、「当時のアイヌの方のイメージとしては、着るもの、家のなかがだらしないと思っていた。飲み会の時のだらしない姿もすごく嫌だった」、「小さい頃に、アイヌ民族は汚いというイメージがあった。お祭りで酔っ払ってふらふらしている人がいて、だらしないイメージが残っている」といったものがある。

 

こうした人々のなかには、外見でアイヌと判断されやすい人々が差別されているのを見かけることで、自分自身がアイヌであることを隠蔽するケースがある。民族差別も民族内差別も経験したくないためにアイヌであることを公表しないのである。

 

加えて、アイヌ性の隠蔽は、親から子どもにおこなわれることもある。わが子への血筋の告知は「避けている」、「自分の方から子どもに伝えるというのは今でも難しい」と語る壮年層の男性には、父親として苦悩する親心がうかがえる。告知によって子どもがアイヌというエスニック・アイデンティティを否定的にとらえないかどうかという配慮と、差別を被らないかどうかといった懸念が入り混じっている。

 

 

エスニック・アイデンティティの弱まりと差別

 

以上のように、アイヌであることを否定的に捉え、差別が起きないように影を潜めて生活する人々がいる一方で、混血が進んでいる現在では、アイヌというエスニック・アイデンティティをそこまで意識せずに生活するアイヌの人々も多い。とりわけ若い世代からは、「自らアイヌだと主張する人は、ずるい人が多い」、「アイヌであることをなぜそこまで気にするのか」、「アイヌという言葉を自ら差別的だと思っている方がおかしい」というように、アイヌであることには立脚しない意見が集まる。

 

しかしこうしたなかで、次のような考え方は問題になってくる。あるアイヌの青年男性の語りである。

 

「やっぱりその血が濃いとか薄いとかって、顔を見るとわかるんですけど、ちょっとひどいというか、ちょっと濃いめの人はそういうふうに。いじめというか。結果的に、アイヌというそのものに対していじめられてたわけではないんですね。やっぱり外見だったり、ちょっと性格が少し変わってたりして、アイヌだからというのではないと思うんですよ」。

 

かかる考え方には、アイヌとしての血が濃い人に差別が起きた場合、「アイヌそのもの」に対してではなく、「外見」が「性格」と同等のものとして、あたかも自己責任であるかのように位置づける意識が伏在している。アイヌの人々の間でエスニック・アイデンティティが相対的に弱くなってくると、“アイヌ民族の個人化”が進行し、結果として民族内外における差別が助長されることにもなりかねない。

 

 

“アイヌ差別”は終わらないのか

 

私たちは、民族差別と民族内差別が入り混じる現代のアイヌ差別をどう解釈したらよいだろうか。一つには、今後、ますますアイヌと和人との混血が進み、世代交代によって民族差別は徐々に影を潜め、その代わりにお互いにアイヌであることを認知しやすい民族内差別が強まっていくのではないかという考え方がありうる。

 

しかし、アイヌとしての若い世代では、たしかに和人からの被差別経験は減っているけれども、アイヌであるのにその伝統や文化を知らなかったり、披露できなかったりすることが、新たなかたちで批判の種となり、「ばかにされた」、「あの屈辱は忘れない」という経験を語ってくれた若者もいる。今後、アイヌ差別が単純に民族差別から民族内差別へとスライドしていくとはいいがたいだろう。

 

もう一つの考え方として、民族内差別は民族差別と表裏一体の関係にあり、和人からの差別がいまだに根強いからこそ、その影響がアイヌ同士の間に波及し、互いに差異化しあうという状況を生み出し、民族内差別として湧き起ってきているという見方が成り立つ。そうだとすれば、民族内差別は、いまもなお和人からの差別や偏見がアイヌの人々を苦しめていることの証左である。民族内外を含むアイヌ差別をなくすためには、何よりもまず、現存する和人とアイヌの間に生じている民族差別の解消に努めなければならない。

 

ヨーロッパで移民に対する迫害が深刻化したり、トランプ政権の誕生によって人種間の対立がクローズアップされるようになっている今日、アイヌ民族に向けられる差別についても、その動向に十分に注意を払っていかなければいけない。しかし、冒頭の内閣府による全国調査でも明らかなように、アイヌ民族に対する国民の理解は建設的な議論ができるほど進んでいないし、成熟もしていない。

 

今後は、大きなズレとして生じていたアイヌと和人それぞれの意識の差―現在でも、アイヌの人々のほうが圧倒的に多くアイヌへの差別や偏見があると回答している―という状況に一人ひとりの国民が改めて向き合い、理解を深めていくことが求められているのではないだろうか。

 

※この論考は、小内透編『先住民族の社会学 第2巻 現代アイヌの生活と地域住民―札幌市・むかわ町・新ひだか町・伊達町・白糠町を対象にして』(東信堂、2018年)に書いた第7章を改編したものである。また、図4に関しては、野崎剛毅「教育不平等の実態と教育意識」小内透編『現代アイヌの生活と意識―2008年北海道アイヌ民族生活実態調査報告書―』(北海道大学アイヌ・先住民研究センター、2010年)より引用した。

 

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