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自然災害大国の避難が「体育館生活」であることへの大きな違和感

避難者支援の貧困を考える
大前 治 プロフィール

今の政府は、どう考えているだろうか。

内閣府が2016年4月にまとめた「避難所運営ガイドライン」にも、この国際赤十字の基準への言及がみられる。

しかし、「『避難所の質の向上』を考えるとき参考にすべき国際基準」と紹介しているだけであり、援助を求めることの権利性や国家の責任については触れていない。

災害対策の基本法といえる「災害対策基本法」をみても、住民が「自ら災害に備えるための手段を講ずる」とか「自発的な防災活動に参加する」という自助努力を定める一方で、住民が援助を受ける権利を有するという規定は存在しない。

内閣府が作成した避難所パンフレットをみても、国民が権利を有するという視点はなく、むしろ国民は避難所でルールに従いなさいと言わんばかりの記載に驚く。

リーフレット「あなたのまちの避難所について」(内閣府)
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このように、避難者は作業や役割分担には参加せよと指示されるが、権利者として意思決定プロセスへ参加することは書かれていない。

プライバシーのための間仕切りも、国が責任をもって用意するのではなく、「あると便利です」と案内して自費で用意させようとしている。

避難生活も生活再建も、あくまで「自己責任」が原則であるという政府の姿勢が見えてくる。

 

人への支援か、物への支援か

避難者を含めたすべての個人が豊かな生活を送れるよう保障することこそ、国家の責務であり存在意義である。一人ひとりの暮らしを直接に支える分野にこそ、優先的に国家予算を投入するべきである。

ところが、日本政府が用意する復興支援策は、別の方向を向いている。

たとえば、東日本大震災の復興予算として2011~2016年度に支出された31兆円のうち、被災者支援に充てられたのは僅か6.3%(約2兆円)である。

これは医療・福祉・教育予算を含んでおり、これらを除いて被災者の手に届いた生活支援予算はおよそ3%(約1兆円)程度である。

そのほかの復興予算は、災害復旧や廃棄物処理、復興公共事業、原子力被害の除染作業、産業振興などに支出された。海上自衛隊が弾薬輸送に用いる輸送機(150億円)にまで、「災害対処にも使えるから」と復興予算を流用している。

このように、政府の復興予算は「人への支援」ではなく「物への支援」ばかりである。こうした国費の使い方に、被災者への姿勢がにじみ出る。

今回の大阪北部地震や西日本豪雨でも、「体育館で身を寄せ合う避難生活」の光景は、当たり前のように、あるいは我慢と忍耐の姿として報じられた。しかし、そこには今の政治の問題点が映し出されている。

この光景は、適切な援助を受ける権利を侵害されて尊厳を奪われた姿と捉えるべきである。この国の避難者支援の貧困が表れているのである。

個人の努力でボランティア活動をすることは素晴らしい。それとともに、政府は被災者へ十分な支援をせよと声をあげて求めること、それを通じて政治に変化を及ぼすこともまた、私たちができる被災者支援として大切なことだと思う。