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7月5日から8日にかけて西日本各地が豪雨に襲われた。被害は甚大であり、避難指示と避難勧告は全国で約360万世帯・863万人に発令され、3,779ヵ所の避難所に約28,000人が避難をした(最大時の7月7日時点)。

救助や避難対応にあたった方々の懸命の努力には頭が下がる。その一方で、体育館などへの避難を余儀なくされた人々の生活環境は劣悪であり、個人の努力では解決が困難である。

そこには、海外の避難所の実態とは大きなギャップがあることをご存知だろうか。

災害多発列島・日本において、何が求められているのか再考が必要である。

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エアコン付き6人部屋、個別ベッドの避難所

自然災害時の避難生活の場所としては、床に毛布を敷いて大勢がひしめきあう体育館が思い浮かぶ。エアコンや間仕切りはないことが多い。

大規模災害のたびに報道される光景であるが、これを当然視してはいけない。海外の災害避難所と比べれば、日本の避難所の問題点が浮き彫りになる。

日本と同じ地震国であるイタリアでは、国の官庁である「市民保護局」が避難所の設営や生活支援を主導する。

2009年4月のイタリア中部ラクイラ地震では、約63,000人が家を失った。これに対し、初動48時間以内に6人用のテント約3000張(18,000人分)が設置され、最終的には同テント約6000張(36,000人分)が行きわたった。

このテントは約10畳の広さで、電化されてエアコン付きである。各地にテント村が形成され、バス・トイレのコンテナも設置される。

ただし、テントに避難したのは約28,000人であり、それより多い約34,000人がホテルでの避難を指示された。もちろん公費による宿泊である。

さらに、備蓄を活かして次の物品が避難者のために用意された(※参考文献「防災のあり方についての一考察」中村功 / 松山大学論集第21巻4号)。

通常ベッド      44,800台
折り畳みベッド 9,800台
シーツ、枕      55,000個
毛布         107,200枚
発電設備、発電機     154基
バス・トイレコンテナ   216棟
野外キッチン       107基

実際には、テントの空調の効き方やプライバシー保護などで不十分な点もあるという。

しかし、自治体への任せ切りにせず、国家が備蓄をすることにより全国各地への迅速な対応を可能としている点は、大いに見習うべきと思われる。

2016年にイタリアで起きた地震で設置された避難所の様子は、NHKニュースのサイトに掲載されている。避難所に運び込まれた清潔なトイレ施設などが印象的である。

日本の避難所は「震災関連死」を生み出す

イタリアの例と比較すると、日本での「体育館での避難生活」には次の問題点がある。

・そもそも災害避難用や宿泊用の施設ではない
・1人あたりの面積が狭い
・大人数のため常に騒音や混雑感があり落ち着かない
・1人用のベッドや布団がない、または不足している
・エアコンや入浴施設がない
・調理施設がなく、温かい料理が供給されない

2016年の熊本地震では、地震の後で体調を崩すなどして死亡に至った「震災関連死」のうち45%にあたる95人が避難所生活や車中泊を経験していたという(NHK調べ・2018年5月1日現在)。

劣悪な避難所生活が、避難者の健康状態を削っているのである。

体育館の床の上だけでなく、学校の廊下で寝起きをした例もある。1人あたりの面積が1畳ほどしかない避難所もあり、「難民キャンプより劣悪」という声も出た。

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国際的な基準は、どうなっているだろうか。

災害や紛争時の避難所について国際赤十字が提唱する最低基準(スフィア基準)は、次のように定めている。

・世帯ごとに十分に覆いのある生活空間を確保する
・1人あたり3.5平方メートルの広さで、覆いのある空間を確保する
・最適な快適温度、換気と保護を提供する
・トイレは20人に1つ以上。男女別で使えること

これは貧困地域や紛争地域にも適用される最低基準である。経済力の豊かな日本で、この基準を遵守できないとは思われないが、実際には程遠い。

災害対策予算を確保して、迅速な避難者支援をできるよう資材の備蓄を進めるべきである。

避難規模が大きい場合には、公費で宿泊施設(ホテル、旅館、青少年の家、ユースホステル等)への避難を指示できる予算措置と制度化を検討するべきである。

災害援助を「権利」として捉え直す

なぜ日本の避難所は劣悪な環境なのか。そこには、災害対策や復興支援についての日本と諸外国との考え方の違いが表れている。

実は、前述の国際赤十字の基準(スフィア基準)は、単なる避難所施設の建築基準ではない。

正式な題名は「人道憲章と人道対応に関する最低基準」であり、避難者はどう扱われるべきであるかを個人の尊厳と人権保障の観点から示している。

国際赤十字「人道憲章と人道対応に関する最低基準」(スフィア基準)
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日本語版で360ページ超の冊子は、冒頭に「人道憲章」を掲げており、次のように宣言している。

*災害や紛争の避難者には尊厳ある生活を営む権利があり、援助を受ける権利がある。
*避難者への支援については、第一にその国の国家に役割と責任がある。
(国際赤十字・スフィア基準「人道憲章」より)

つまり、避難者は援助の対象者(客体)ではなく、援助を受ける権利者(主体)として扱われるべきであり、その尊厳が保障されなければならない。

これは避難者支援の根本原則とされており、人道憲章に続く個別の基準にも貫かれている。

たとえば、避難所の運営や援助の方法については、可能な限り避難者が決定プロセスに参加し、情報を知らされることが重要とされる。避難者の自己決定権が尊重され、その意向が反映されてこそ有益な支援が実現できるからである。

避難者の意向が把握されず、供給する側と受け取る側とにギャップが生じた例は数多い。

衛生状態の悪い中古の下着が善意で寄付されたり、逆に、生理用品が必要だという声が行政に反映されない事態も過去に起きた。こうした事態も、自己決定権の尊重と意向聴取によって解消しやすくなる。

そしてまた、援助を受けることは避難者の「権利」であると位置付けることによって、それに応じることは国家の「義務」であると捉えることが可能になる。

避難所を設置して心身の健康を確保することは、国家が履行するべき義務である。劣悪な避難所をあてがうことは義務の不履行として批判されなければならない。

今の政府は、どう考えているだろうか。

内閣府が2016年4月にまとめた「避難所運営ガイドライン」にも、この国際赤十字の基準への言及がみられる。

しかし、「『避難所の質の向上』を考えるとき参考にすべき国際基準」と紹介しているだけであり、援助を求めることの権利性や国家の責任については触れていない。

災害対策の基本法といえる「災害対策基本法」をみても、住民が「自ら災害に備えるための手段を講ずる」とか「自発的な防災活動に参加する」という自助努力を定める一方で、住民が援助を受ける権利を有するという規定は存在しない。

内閣府が作成した避難所パンフレットをみても、国民が権利を有するという視点はなく、むしろ国民は避難所でルールに従いなさいと言わんばかりの記載に驚く。

リーフレット「あなたのまちの避難所について」(内閣府)
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このように、避難者は作業や役割分担には参加せよと指示されるが、権利者として意思決定プロセスへ参加することは書かれていない。

プライバシーのための間仕切りも、国が責任をもって用意するのではなく、「あると便利です」と案内して自費で用意させようとしている。

避難生活も生活再建も、あくまで「自己責任」が原則であるという政府の姿勢が見えてくる。

人への支援か、物への支援か

避難者を含めたすべての個人が豊かな生活を送れるよう保障することこそ、国家の責務であり存在意義である。一人ひとりの暮らしを直接に支える分野にこそ、優先的に国家予算を投入するべきである。

ところが、日本政府が用意する復興支援策は、別の方向を向いている。

たとえば、東日本大震災の復興予算として2011~2016年度に支出された31兆円のうち、被災者支援に充てられたのは僅か6.3%(約2兆円)である。

これは医療・福祉・教育予算を含んでおり、これらを除いて被災者の手に届いた生活支援予算はおよそ3%(約1兆円)程度である。

そのほかの復興予算は、災害復旧や廃棄物処理、復興公共事業、原子力被害の除染作業、産業振興などに支出された。海上自衛隊が弾薬輸送に用いる輸送機(150億円)にまで、「災害対処にも使えるから」と復興予算を流用している。

このように、政府の復興予算は「人への支援」ではなく「物への支援」ばかりである。こうした国費の使い方に、被災者への姿勢がにじみ出る。

今回の大阪北部地震や西日本豪雨でも、「体育館で身を寄せ合う避難生活」の光景は、当たり前のように、あるいは我慢と忍耐の姿として報じられた。しかし、そこには今の政治の問題点が映し出されている。

この光景は、適切な援助を受ける権利を侵害されて尊厳を奪われた姿と捉えるべきである。この国の避難者支援の貧困が表れているのである。

個人の努力でボランティア活動をすることは素晴らしい。それとともに、政府は被災者へ十分な支援をせよと声をあげて求めること、それを通じて政治に変化を及ぼすこともまた、私たちができる被災者支援として大切なことだと思う。