お茶に魅了されてスウェーデンから移住し、日本茶インストラクターの資格を取得。こだわりの茶器とシングルオリジンの茶葉を携え、嗜好品としての新しい魅力を国内外に発信している。そんな、青い目の日本茶伝道師がお茶を淹れながら語る、BNL日本茶特集の導入編。
「東京中の日本茶カフェをめぐって出合えなかったら、諦めようと思っていました」
日本茶を仕事にしたい──その一心でスウェーデンから日本へ留学したブレケル・オスカル。高校生で初めて煎茶を飲んだ時に感じた日本茶の可能性、その奥深さ。「日本に行けばもっと多様で豊かな日本茶の世界が広がっているはず」と期待したが、目の前にあったのは意外にも平板な世界だった。いろんな産地のお茶を飲んでみたが、おいしくはあっても、どれも似たような味や香りだったのだ。
帰国まで残り数週間になった時、2日間の予定で東京へ。そこで1軒の日本茶カフェを訪れる。表参道にある「茶茶の間」。そこには、シングルオリジン(単一産地、単一品種)の茶葉がずらりと並んでいた。
「ひとつ頼んで口にしたら、今まで飲んできたお茶はなんだったんだろうと思うぐらいに、すばらしいおいしさだったんです。うまみが非常に濃く、独特の香りがある。その余韻が長く残る。二煎目、三煎目もおいしく、変化が楽しめる。まさに『感動の一杯』でした。あのような喜びはなかなか味わえるものではありません。自分の選択は間違っていなかったと確信しました」
オスカルは2013年に再び来日。会社勤めも経験したが、その時に感じたことがある。
「いろんな訪問先にうかがうんですが、日本だからきっと日本茶が出るんじゃないかなと期待するわけですね。ですが、打ち合わせの場で出されるのはコーヒーやミネラルウォーターなんです」
なぜ日本なのに日本茶ではないの? 日本は日本茶というとてもユニークなお茶を作っている国なのに。オスカルさんはそんなシンプルな思いを抱く。
昔はどの会社にも「お茶汲み」という仕事があったものだが、最近は急須でお茶を淹れるところはあまり見かけなくなった。コーヒーの流行や、男女雇用機会均等法、ペットボトル飲料の普及など、さまざまな複合的な要因が考えられるが、そんな時代だからこそ「わざわざ急須で淹れたお茶」は、いま最高のおもてなしになる。
「会議や来客の場で上手に日本茶を淹れるとインパクトがあるのではないでしょうか。それがまたいいビジネスにつながるのではないかと思います」
急須で淹れるメリットは、茶葉がもつ甘みとうまみ、香りを十分に引き出せることにある。百聞は一見にしかず。実際にお茶を淹れてもらった。
オスカルが選んだ茶葉は、自ら立ち上げた日本茶ブランド「Oscar Brekell's Tea Selection」のラインナップのうち「SAKURA SPRING」という煎茶だ。パックを開けて嗅いでみると、ほんのりと花のような香りがする。
「自然に桜の香りのするお茶なんです」
急須に茶さじ2杯分の茶葉を淹れる。水道水を沸騰させてから、70〜80度くらいに冷ます。
準備をしながら、ふとオスカルはこう言った。「ほんとはね、冷水だとすごくおいしいんです」。
冷たい水で淹れるということですか?
「そうです。冷水で淹れると、うまみと甘みだけを凝縮して引き出すことができるんです。ゴクゴク飲むための水出し緑茶とはまた違うのですが。ちょっとやってみましょうか」
熱湯の代わりにとってきた冷水を急須に注ぐ。少しずつ、茶葉が浸る程度になったら手を止める。なみなみとは注がない。
「お茶の葉が水分を吸収するのをじっくりと待ちます。見た目も変わっていきますよ」
3分ほど待つ間に急須の中をのぞきこむと、針のようにシュッと伸びていた「SAKURA SPRING」が、水分を吸って少しずつほどけていく。
「いいお茶は、宝石のようにつやがあるんです」
私たちが普段目にするお茶の葉は、もう少し細かく砕かれていることが多い。それはなぜかと問うと、深蒸し煎茶(深蒸し茶)を扱うお店が多いからだという。
日本茶の中でもっとも一般的な煎茶は、摘んだばかりの生葉を蒸し、それを揉みながら乾燥させて作られる。蒸すことによって酸化酵素の働きを止め、青々とした新鮮な色と香りを保つ。それが紅茶やウーロン茶などの発酵茶とのいちばんの違いだ。
「高度経済成長期に『深蒸し』の製法が開発されました。普通の煎茶の蒸し時間が数秒ほどのところ、深蒸し煎茶は倍以上を超え、1分以上まで長く蒸すお茶もあるんです。そうすると、やわらかい味のお茶を作ることができるんですね。もともとは、台地など日当たりが良すぎる茶畑でとれる、肉厚で少し苦みの強い生葉をおいしいお茶にするために工夫されたと言われています。ただし、長く蒸す分、かたちが崩れやすく、香りが失われやすい。煎茶のほうが産地や品種の特徴が味わえますが、深蒸し煎茶には『毎日のお茶』としての良さがあります」
話をうかがっているうちに、急須のお茶が注ぎごろになる。
「少ししか出ないので、ケチと思われるかもしれませんが」と冗談を言いながら、人数分の茶碗に注ぎ分ける。
「最後の一滴まで注ぎきって......」
冷水で淹れた「SAKURA SPRING」は、それまでに飲んだどんな日本茶とも違っていた。芳醇な香りと、こっくりとした濃い味わい。「わあ、すごい」「桜餅みたいだ」と声が上がる。
「香料はまったく入っていません。これが品種の力です。ワインだとブドウの品種に注目しますよね。お茶も同じなんです」
おもてなしの場面でぜひ使ってほしいのが「蓋置き」だ。
「せっかくのお茶の時間なのですから、美しさや上品さにも気を配りたいですよね」
蓋置きを使うのには機能的な理由もある。冷水で淹れた「SAKURA SPRING」をいただいたあと、オスカルは二煎目を今度はお湯で淹れた。二煎目は、一煎目とは別のお茶ではないかと思うほど、味わいに変化があった。
「一煎目はうまみと甘みを濃く引き出しましたが、二煎目は渋みと苦み、甘み、うまみのバランスがよくとれたお茶になっていると思います。香りも先ほどよりわかりやすくありませんか?」
二煎目を楽しむあいだ、オスカルさんは蓋を急須に戻さず、蓋置きの上に置いていた。注いだ後の急須に蓋をしたままだと、中の茶殻が熱で蒸れてしまい、次に淹れるときに苦みや渋みが強く出てしまう。
「蓋を開けて熱を逃がしてやると、三煎目、四煎目も雑味が出にくくなります」
たかが蓋置きと侮れない。オスカルさんが三煎目を少し熱めのお湯で淹れる。上品な苦みとさわやかな渋みが広がる。
「効率よく打ち合わせしなければいけないときもあると思いますが、そうした中でも一言、みなさんと会うことを楽しみにこのお茶を選んだんですよということを伝えると、場の雰囲気がよくなるのではないでしょうか。例えば『SAKURA SPRING』なら、『春から始まるこのプロジェクトの成功を祈って、桜の香りのお茶を選びました』とか」
それぞれの茶葉にストーリー性があるのがシングルオリジンの良さのひとつ。しかしシングルオリジンはまだそれほど普及していない。生産量も極めて少なく、統計はないが、おそらく1%にも至っていないのではないか。
「ひとつには単純に、シングルオリジンが新しい発想だからです。もともと茶園には複数の個体のお茶の木が植えられていました。畑の段階で、すでにブレンドになっているわけです。また、製茶問屋で製品化される際も、複数の産地の茶葉をブレンドすることが一般的です」
オスカルが「感動の一杯」と出合った日本茶カフェ「茶茶の間」は、2005年の開店時からシングルオリジンのみを扱っているが、当時は「シングルオリジン」という言葉すらなかったという。日本茶の世界をピラミッドに見立てるなら、ペットボトル飲料の普及などで裾野は広がったが、頂点が欠けていた。そんな中で、味も香りも異なるそれぞれの品種を単品にしたらおもしろいのではないかという発想が出てきた。
「みんながみんな、毎日シングルオリジンの高級茶を飲まなくてもいいんです。私もよく『そんなに日本茶にこだわっているのならペットボトルのお茶は飲まないんでしょう?』と聞かれますが、もちろん飲みます。水分補給や、外出先で手軽にお茶を飲むためのものとして。ティーバッグにも、回転寿司に置いてある粉末のお茶にも、中級のブレンド茶にも、それぞれちゃんと役割があります。ただ、トップも創造しなければいけない。トップが進化するほど、日本茶というジャンル全体が豊かになっていくんです」
これからは淹れ方を教えるセミナーに活動の範囲を限定せず、例えば音楽や映像と組み合わせたアートインスタレーションなど、新しい日本茶の表現にも挑戦してみたいという。「最初は東京で開催します。その後ニューヨークやロンドンでも。そして、いつかは母国スウェーデンで毎年開催されるノーベル賞の晩餐会で披露したい」と、今後の夢を語った。
ただ単に、日本茶を飲む人口を増やしたいわけではない。ウィスキーのシングルモルトのように、お茶のシングルオリジンも、深い味わいを楽しむ嗜好品として、世界的に認められることを目指したいと話す。「いつか『ブレケル・オスカルという人物がいて、日本茶のシングルオリジンを全世界に広めた』と言われるようになれたらすごく嬉しい」。
オスカルが日本茶に見ているものは、旧態依然とした過去の文化ではなく、未来へ向けた変化の可能性だ。「日本茶と豊かな付き合いがしたければ、ぜひ急須でお茶を淹れてください」という勧めに従って、たまにはゆっくりと、会社の打ち合わせの場でも急須で淹れたお茶を楽しんでみよう。