蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

私は蓮の落胤である

本記事で100回目の投稿となります。記念の100回目ということで、自分自身のことを少しだけ話そうと思います。

 

私はブログ記事を書く上で、なるべく理性的かつ客観的な文章になるよう努めてきたつもりです(一部のジョーク記事と雑感を除けば)。今回は私自身のことを書くということで、感情的かつ多少キツイ表現を含むことになると思います。文調もラフなものになります。ご了承ください。

  

 

私は父方・母方の両祖父母共に創価学会員の家に生まれた3世会員である。父母は2世会員。父方・母方、両家共に昭和20年代後半に入会。戦後間もない頃からの、祖父母の代からの活動家一家に生を受けた私は……まぁ敗戦処理で登板したようなものかな。

 

両家とも経済的に余裕のない中で学会活動に明け暮れ(特に父方)、地域の活動拠点として機能し、家族はまともに機能しなかった。

 

父方の祖父母は性格的に苛烈かつ強情で、昔の学会員の典型例と言えるだろう。祖母と義父(私から見た曾祖父)との関係が悪く、家を飛び出した先での入会だったそうだ。母方一家は、酒乱の夫(私から見た祖父)に困った祖母が、様々な宗教遍歴の末、入会したと聞いている。

 

草創の世代、小説人間革命の世界が私のルーツだ。小説人間革命の世界と違うのは、我が家は報われなかったという点、また人間革命が起きなかったという点にある。まぁ事実は小説よりも㋖なり、じゃなかった奇なり。

 

父方一家には娘(私から見た伯母)がいるが、30代で勘当されている。両親 (私から見た祖父母) との関係が上手くいかなかったらしい。そりゃ昭和一桁生まれの活動狂いの家庭に生まれれば無理だ。ちなみに独身。今年で68歳くらいになるはずだが、この世代の女性で独身は珍しいだろう。一応今も生きているらしいが、私は話したことがない。父とも絶縁していて、父が伯母と(つまり父にとっての姉と)まともに連絡をしたのは、祖父の葬儀の時くらいだろう。

 

母には弟(私にとっての叔父)がいる。母と叔父との仲は良くない。叔父夫婦には子供がいない。不妊治療を行っていたそうだが実らず、母方の家系はここで途絶える。子供の有無で人生の価値が決まるとは思わないが、当人たちが望んでいない結果になったのは事実だ。

 

私の母は、私と兄弟を本当によく殴った。蹴り飛ばされたこともよくあった。父がそれを止めることはなかった。創価の世界では活動家で信頼されていたようだが、酷い人達だった。泣いて横たわっているにも拘らず蹴飛ばされたことを今でも思い出す。私の兄弟は殴られた痛みで体育の授業を休んだこともある。毒親、虐待の家庭だった。物心両面の暴力があった。

 

父は酷いマザコンで、母はそれが気に食わなかったようだ。嫁姑のトラブルもあったらしい。夫(私から見た父)が味方してくれない、家の中が居心地のよくない母にとって、活動した分だけ褒めてくれる創価の組織は気分が良かったのだろう。家族には全員から嫌われている。

 

創価学会はやたら「母」を称賛するが、宗教狂いの専業主婦を量産しただけなのじゃないかと思うことがある。創価学会曰く、母は太陽らしい。太陽、そうね、少し離れたところにあると(家庭外かつ地区内とか)ありがたみを感じるのかもね。あまり近いとガンマ線(信心)で人を殺す。それが太陽。

 

酒乱の父親に殴られて育った女にまともな子育てが出来るとは思わないが、それでも宗教活動がなければもう少し、最低限あいさつくらいはしてやる関係になれただろう。

 

父も母と同様、まともな情操教育を受けていない。昭和一桁の活動家の両親から、罰と義務を強要され生きてきた。活動する癖に父親から良い体験談を聞いたことがない。愚痴はよく聞いたけれど。

 

今更学会から離れられないのだろう。失敗と負けを認めることができないのだ。適応障害で休職したこともある父だが、一向に報われることのない活動をやめることはない。哀れな話だ。哀れな話なのだが、伴侶のキチガイ御信心を止めることなく、家族を道ずれにしたのだから同情はない。

 

我が家は経済的にとりわけ裕福ではなかったが、無駄極まりない財務や新聞の多部購読があった。未来部なぞとうにいなくなった後も、未来部向けの新聞を購読していた。「家族のための財務」と両親は言ってきたが、家族が幸せになることはなった。そもそも、家族というシステムに魅力を感じる人生にならなかった。母は父に内緒で数百万円の財務を勝手に行ったことがある。父母で酷い喧嘩になった。馬鹿げた話だ。

 

私はイカレタ両親のもと、小学校に上がると同時に朝晩の勤行をしないと飯も出ないような生活を送った。朝勤をしないと学校に行けず、夜勤をしなければ風呂に入れず。「罰が当たるぞ」と呪詛のようにいわれ、信心とは「やらなければいけない」ことだった。と言うよりも、生きること=やらなければならない、義務であった。

 

疑問を感じても、何か考えることがあっても、罰と義務が私を離さなかった。創価の家に生まれる以上の罰もないだろうと今は思う。理性を働かせて普遍化するならば、碌な情操教育を受けていない両親と思想を偏狭にさせうる宗教のコンビは最低だということになる。

 

あの両親のもとに生まれれば、創価の有無に関係なく、心地よい人生とは無縁な生活を送ることになるだろうが、創価学会あるいは宗教活動の存在は、状況をよりシビアなものにした。

 

父と母に何度も創価の現状や教義の不備、あるいはこれまでの不満を訴えたが、変わることはなかった。馬鹿は死ななければ治らないというが、死ななければ治らないのは狂気だ。彼等は死ぬまで変わらないだろう。

 

八王子含め、多くの学会員、創価家族を見てきたが、素直な感覚、自らの人生を持てる環境に生まれた者はまだマシな待遇だったのだろうと思う。

 

まぁ、創価の組織に身を置く愛する近親者と自身の信仰観・組織観との間で悩む人は、それはそれで非常に辛いだろうと思う。切りたくない絆も、譲れぬ感性もあると。素直な感覚がある人ほど衝突したとき問題を激化させやすい。そういうケースも観た。

 

創価の家に生まれて気分の悪い人生を歩んで……そういう方は中々表に出てこられない。創価学会の繁栄、創価学会の活動家の満足感とは、多くの犠牲(本人の望まぬ犠牲)の上に成り立っているのだと、私は知った。

 

ある後輩は15年間引きこもりの兄を抱えて悩んでいた。鬱から休学寸前、役職を追われた後輩もいた。高等部時代からの活動家だったが、組織との関係、自分の人生に悩み、大学に来られなくなった後輩もいた。全員、私が直接受け持った後輩だ。

 

彼等は皆、公明党議員の子息だった。学会組織は彼等に何もできなかった。否、反対に追い詰めた。私は似た様な境遇だったから対応できた。彼等が無事に卒業出来て良かった。すごい疲れたが。

 

 

私は個人的な興味・関心から、教義、仏教、あるいは宗教全般について調べたりするが、それらが本当に厳しい環境においては時に無力であることを知っている。

 

強めの例え話をする。味覚障害者が味を楽しめないように、視覚障害者が景色を楽しめないように、ある種のファクターがあると信仰を楽しめない(あるいは信仰で変われない)のだろう。逆は必ずしも真ならず。信仰を楽しめない人に問題があるとは決して言わない。知性や教養を楽しめない連中が活動を楽しんだりするけどね。

 

日蓮の教えは、法華経は、あるいはゴーダマの残したものは、素晴らしいものかもしれない。高貴な蓮だ。だが残念なことに高貴な蓮は、時を経るにしたがって幾人かの落とし子をもうけた。各種仏教団体、日蓮系団体。それ等が残した教義経典。

 

日蓮正宗創価学会。彼等は日蓮のあるいは法華経の落とし子だ。1等目立つ出世頭で状況によっては慈悲深かったかもしれないが、最も下劣で低俗でもあったろう。

 

そんな連中のとりわけ酷い場所に生まれ育った。私は蓮の落胤である。