山本一郎(個人投資家・作家)

 Hagexさんとの付き合いが始まってから、14年ほどになります。

 こう書くと、すごく親しく、頻繁に会って話をする仲だったと思う読者も多いかもしれません。ただ、Hagexさんも私もネット民であり、ウォッチャーでありました。当時、幾つかのあだ名(ハンドルネーム)を使い分けていたHagexさんと初めて会ったのは、ネットでお互いを個体認識してから実に8年の時間が経過していました。

 当時、私は「切込隊長」を名乗っていたものの、すでに結婚をし、子供も生まれたばかりだったので、ネット社会特有のハンドルネームによる活動から、徐々にリアル社会に受け入れてもらえるような実名での活動に切り替えていた時期でした。でも、Hagexさんからしてみれば、私は「切込隊長」であり、そのハンドルネームを捨てても「元隊長」なのです。

 つまり、「あー、あの切込隊長さんですか。その節はお世話になりました」「え、あなたがZoffさん?? あれってHagexさんのことだったの? 知らなかった」みたいな関係です。私にとって「岡本顕一郎」という名前では認識されず、あるコミュニティーでは適当なハンドルネームで、また別のコミュニティーでは全然違う名前で呼び合う、いわばディスプレーの向こう側にいる人でしかなかったわけですね。そして、出された名刺に記された実の名前とお堅い会社など組織のロゴで苦笑することになります。

 しかしながら、彼も私も同じネットコミュニティーにいて、ホワイトハッカーの連中や違法ダウンロードの監視をやるボランティアをしていましたが、もうまったくお互いの名前も素性も知らないまま活動していたんですよね。そして、彼が「Hagex」として活動し始めた2003年よりもずっと後の2011年ごろ、前述のやりとりが行われた某大学教授のささやかな宴会で、面識を得るに至ったわけです。

 会ったことがないのに共通の話題があり、それどころか、同じ事件を見て、その解決に協力することはネットではよくあるのです。ネットで起きる変な事件、変わった人たちの書き込み、ヤバい問題などなど、ネットという広大な場所だからこそ、Hagexさんたちと私は「同じ興味や関心を持ったネット民の集団」として知り合うことができます。そもそも、ネット上ではなぜ、お互いをハンドルネームで呼び合い、リアル社会の立場を述べなくても、そこで積極的に活動している誰かを信頼することができるのでしょうか。

 会ったことのない人を殺す事件を、皆はビビります。でも、会ったことのない人と協力し、信頼して、場合によってはかなりの時間と費用と労力をかけて問題に取り組む――これが、ネット社会の良さであり、理解のし難さでもあります。信頼関係も築けるネット社会なら、人を殺すような事件が起きてもまったくおかしくないのがネット社会なのです。

山本一郎氏
 実際に会うと、はにかみ屋で、穏やかな人柄に見える人物が、ネットでは過激で、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いをし、大胆な行動で鳴らしていることもあります。逆に、いつも乙女チックな書き込みで、物腰が静かで、ネット内では信望を集めて多くのユーザーやハッカーを束ねている人が、実際に会ってみると巨大な体躯(たいく)をアロハシャツで纏(まと)い、指が何本かない人であって、むしろ会ったこの場で写真を撮られないよう腐心する、といった具合です。

 大手企業の研究職あり、霞が関の技官あり、博士課程を出ても無職あり、無粋な書き込みを連発する妙齢な女性あり。これがネット社会の醍醐味(だいごみ)であり、リアルなのです。

 Hagexさん刺殺事件は、そういうコミュニティー全体をも驚きと嘆きと失望に落とし込みました。こんなところで死ぬ人ではなく、運が悪かったとしか言いようがない。メディアでは、会ったこともない人と誹謗(ひぼう)中傷の「応酬」をして殺されたという事件の特異性を書き、そこに「ネットの闇」と報じていました。まあ、確かにそれはそうかもしれない。さて、私らネット民は闇から光を見ていたのでしょうか?