「裁判負けた。日本死ね!」しかし、決定的証拠が出て来た!!
- 2018/07/01
- 22:37
「裁判負けた。日本死ね!」とでも言えばよいのであろうか?1審の判決は酷い物であった。ここでは、判決本文を紹介できないが、事実誤認が一杯あった。私は読みながら憤慨するのを抑えられなかった。(長文であり、PDFからワードに変換できるかどうか、まだ試していない。アップは弁護士から止められていた。)瀬木 比呂志氏が「絶望の裁判所(講談社現代新書)」で指摘されている通り、裁判所は現在、右翼全体主義の支配下にあり、裁判所の官僚化が進行している。それゆえ、前例踏襲主義が幅をきかせ、真実を直視した正しい判決を裁判官が出しにくい状況にあるとのこと。民事訴訟を起こした人の内、8割が失望していると。私と証人たちが作った文書を真面目に読んで理解してくれているとは思えなかった。言っては身もふたもないが、友人のS弁護士は「最近の裁判所は質が落ち腐っている。昔の方が優秀な人間が多かった。」と言っている。森友、加計学園を巡る国会論争を見ても分かるように、キャリア組の財務官僚などと言っても一皮むけばただの人。モラルの低い、いい加減な、人間として質の悪い連中がこの日本を支配しているのだ。裁判官は「神の人」ではない。ただの欠点だらけの人間である。日々、精進潔斎して裁判に臨んでいる人間が何人いるだろうか?しかし、私は全ての裁判官が駄目だと言っているのではない。中には良心に従って曇りのない目で真実を見極めようという立派な人物もいるであろう。そういう方たちに今後の司法の改革を期待する。
さて、しかしである。またもや酷い事実を知ってしまった。知能が低く、人の言う事をすぐ鵜呑みにする妻、明子の行為であった。隠れていた被害を発見した。次男の弥寿雄がアリゾナの砂漠の道路で転がり落ちた車から投げ出されて死んだのは2004年3月であった。AIUから2000万円、アメリカのレンタカー会社から1000万円入ったのは、小切手が送られて来て私も知っていた。
ところが、別途、明子は京都府の共済に500万円の保険に入れていた。500万円は2004年4月に私の京都銀行の口座に振り込まれてあったのである。私は全くこの事実を知らされていなかった。これがまるっきり消えて無くなっていた。前の3000万円は本来私名義のものであった。そして、その内1500万円は明子名義の保険に化けていたが、200万円を残して消えてしまった。1300万円と500万円、そして私の稼いだ給料、賞与から約600万円、合計2400万円もの大金がカリスチャペルに取り込まれてしまったのである。これらは、栄三郎、英四郎という残された弟たちの為に使われるべきものである。それをあの悪霊に憑りつかれた偽教会の連中が頭の弱い明子を騙して巻き上げてしまったのである。私はあんな連中に、子供が死んで、その苦しみの代価でもらった貴重なお金をやるつもりは全く無い。連中はその金を使う限り、呪いが続くと考えよ。私も、栄三郎も英四郎も、私の妹、弟たちもそして神も絶対認めない。「泥棒教会め、早く金を返せ!」と言いたい。
(悪霊に憑りつかれた、というのは根拠の無い話ではない。私の弟、憲市は幼い時から霊が見える体質であった。徳島の最後の家は美馬市穴吹町にあったが、戦前からの大きな家を父が買ったものであった。ちょっとした曰くがあったと後で聞いたが、幼稚園児の頃、その家で冬に白い光がふわふわ漂っているのを何回か彼は目撃していたと言う。不思議な現象に何回か会っていたらしい。金縛りは霊現象かどうか、議論の分かれる所であるが、実は私も彼もその家でそれにかかっている。その彼がカリスを見た時に、悪霊が憑りついていると感じたのである。事実、大原信之の事件と言い、普通の教会ではありえない事件が色々起こっているではないか!霊的な背後は絶対おかしいと私も思う。)
控訴ができるかどうかの瀬戸際の所で神は私に決定的な「証拠」を与えてくれた。
後述している、この部分である!!
しかし、平成30年5月2日夕刻、明子が楠堂 由美牧師に改めて確認したところ、彼女は300万円など受け取っていないと証言された。これにより、この時の好伸の言葉は使い込み、即ち業務上横領を誤魔化す為の言い逃れ、ウソであったことが判明した。
ここで、もう一度「経緯」を振り返って説明します。
それから、ちょっとややこしい話であるが、当初私は3000万円の保険金から300万円、明子が好伸に渡したと思っていたが、お金の動きを調べると、そうではなく共済の500万円から出した事が分かった。というのは、住友生命に18年2月頃の保険の取り崩しを調べてもらったが、住友からの出金は無かったのである。不可解な事と思っていたら、京都府民共済の500万円を隠していたことが判明した。どうもそこから出したらしいのである。
これでお金の出所がはっきりした。(キリスト教に入ったと言いながら、全く報告、連絡、相談のない、夫に不従順な妻で、カリスは聖書の教えと真逆な事をさせていた。「大事な事は牧師に相談せよ。どうでもいいことは夫に相談せよ。」という好伸の非聖書的・自己教祖的・カルト的な指導は糾弾されるべきである。)
ここから「経緯」
平成18年1月、岩崎 明子が、浜松市で開催された第41回、日本ペンテコステ親交会の教役者大会に参加した。教役者とは、牧師や伝道師等、教会専従の者を指す。明子は当時、京阪中央教会の支部、木津川市にあった通称、カリスチャペル京阪奈の一般信徒だったが、被告訴人が代表を務める、京阪中央教会、ブランド名カリスチャペルのカリス聖書学校の生徒だったので、教会が参加を勧めた。日本ペンテコステ親交会とは、日本のペンテコステ派(聖霊派とも言う)で単立(特定の教団に属さない個人設立の)教会が集まって作った親睦会の様なものである。
この時、米国から来ていた、ウエンデル・スミス牧師が、伝道活動に参加したいと考える青年達の為に献金を呼び掛けた。明子は当時この教会にはまっていたので、次男弥寿雄が平成16年春、米国アリゾナ州で、交通事故で亡くなった時にもらった死亡保険金3000万円のうち300万円を寄付しようと決心した。
平成18年2月、明子は300万円を持って、交野市郡津の被告訴人の本部教会を訪問した。そして、被告の妻、民子に手渡した。
その後、その金が日本ペンテコステ親交会に渡されず、被告の本部教会のエレベーターの建設代金に流用された、即ち好伸によって横領されたという噂を耳にした。
その当時、教会では「牧師は神に立てられた人だから、絶対的に従うのが正しい信仰だ。」と教え込まれており、牧師を疑うのが憚られ、又当時は被告がそんなことをする人間だとは明子は夢にも思っていなかった。
平成24年2月、隆昭の父一夫が病気と老衰の為亡くなった。彼は和歌山市に住んでいたが、23年7月に木津川市に来ていた。
その年の秋、9月に和歌山市の墓(隆昭・明子夫婦の長男、優と次男、弥寿雄、そして隆昭の母、正江が葬られていた。)を木津川市に移そうという話が持ち上がった。100万円以上の金が必要とのことで、隆昭が預金を調べた所、預金はたった35万円しかないことが発覚した。隆昭が明子を問い詰めた所、明子は3000万円の保険金を1500万円半分ずつ隆昭、明子名義の貯蓄保険にしていたが、明子名義の分1300万円が教会に献金されたらしく無くなっていた。又、隆昭が会社勤務で得ていた収入が殆ど貯金されず、推定で最低額600万円以上が、教会に持っていかれていたと判明した。(更に500万円が持ち去られた事が判明した。)
保険金は元々、隆昭が三男・栄三郎、四男・英四郎の将来の為に取っておこうと決めていたものである。給与収入からの献金を含め、明子から隆昭への相談や報告は一切なかった。家庭は離婚騒動や親子の縁切り騒動が起こり、修羅場となった。
隆昭は怒りが収まらず、カリスチャペル京阪奈の主任牧師で被告の息子、村上 勝利に返還を掛け合いに行ったが、拒絶された。当時、明子は働いておらず、献金は全て隆昭の収入から持っていかれたものである。
平成24年10月21日、勝利の父、被告の村上 好伸に掛け合うべく、交野市の本部教会へ隆昭、明子、英四郎が出向き、好伸、民子(妻)、愛信(次男)と話し合うも拒絶された。
その時、被告の好伸から「本部教会とカリスチャペル京阪奈は独立採算の別の宗教法人だから、本部(好伸)は関係ない。」と言われた。(これは後日、法務局で全部事項証明書を挙げた時に虚偽であることが判明した。カリスチャペル京阪奈は交野本部教会の「従たる事務所」となっていた。)
又、上記の300万円はペンテコステ親交会、教役者大会の財務担当であった泉キリスト栄光教会の楠堂 由美牧師に被告が渡した、と告げられた。
しかし、平成30年5月2日夕刻、明子が楠堂 由美牧師に改めて確認したところ、彼女は300万円など受け取っていないと証言された。これにより、この時の好伸の言葉は使い込み、即ち業務上横領を誤魔化す為の言い逃れ、ウソであったことが判明した。翌5月3日、京都教育文化センター(京都市左京区聖護院川原町4-13)での恵那レーマ・ミニストリー京都聖会(神内 源一師)の会場で我々は楠堂師にお会いして、証拠資料として「証明書」をもらった。又その時、楠堂師は当時財務担当(証拠資料を参照されたし:第41回教役者大会の一部写し)とは名目上なっていたものの「金銭には一切タッチしていなかった」と証言した。
本部教会訪問後の出来事、流れをもう少し詳しく述べよう。
1.被告の教会の献金政策と財務の状況
被告の教会は什一献金といって収入の十分の一を出させる方針があり、その他様々な名目の献金もあるが、これが比重的に大きくなる。(カトリックは自由献金、日本基督教団は会員制的な自発的月例献金。何万円もの高額献金は要求しない。)月収35万円のサラリーマンなら月3万5千円と宗教としては結構高額で一般家庭には負担の大きい金額である。ボーナスや臨時収入が出たら、又その十分の一である。家賃や家のローンを払っている家庭ではこたえる金額である。年収500万円なら50万円。しかもこれだけでは済まない。クリスマス献金、イースター献金、感謝献金、と献金の名目は一杯あり目白押しである。
(被告は「これをしない人間はクリスチャンではない、又これをしない信徒は神が病気や事故でお金を奪い十分の一と同じだけ持って行く」と、韓国の巨大教会のチョー・ヨンギという牧師の説を押し付けていたが、他の教会はそうではなかった。)600万円というのは収入から逆算した什一献金部分だけである。結局、岩崎家から消えたのは1900万円以上という途方もない金額であった。(⇒2400万円に膨らんだ。)
被告は当時「10の教会を持ちたい。」という願望があって、最大拡大時、7つの教会を持っていた。登記簿謄本を見ると、銀行から何億円という借金をしていた。総会の記録を見ると毎月の返済が300万円近かった。周囲の人間にも「借金が返せなくて自己破産するかも知れない。」と漏らしていたと聞く。妄想に近いヴィジョンとかいう物に突き動かされて、お金がいくらあっても足りない状況であったことが想像される。そういう中で起こった事件であった。被告には刑事告発を免れた余罪がある。
2.本件、横領された300万円についてのその後の出来事
平成25年春から平成11年当時の信徒の住所録を頼りに、自分が殆ど一文無しにされた事、ネットで知り明子も認めた、被告の娘婿、元牧師の大原 信之が犯した信徒女性への強制性交罪を被告が隠蔽していた事実を手紙にしたため、こちらへの支援とこの教会が危険であることを訴えた。それによって、元執事の木下 良一氏を始めとする元教会員の方たちから声が掛かり、話を聞きに行ってこの教会の実態がはっきりと分かった。
手紙を送った人の中で、同じカリスチャペル京阪奈に居た西嶋 一也氏(京都府相楽郡和束町長井26)から救援の依頼があった。同じような騒動が家庭で起こっていたのである。妻が教会べったりになって家庭生活に支障が起きていた。2人の娘さんから「お母さんは家を出て行って」と言われる状況で、又高額献金にも悩まされていた。最終的に、木下氏から貰った資料によって奥さんも目が覚め、脱会することが出来た。
その西嶋氏が、ひそかに教会の牧師たちの言動などを記録していた。それを整理して隆昭にくれたのであるが、その中に明子がくだんの300万円が本部のエレベーターの支払いに流用されたうわさを聞いて西嶋氏に話していた記事があった。
隆昭が主導し、泉キリスト栄光教会の楠堂師にアポを取り平成26年7月5日(土)の夕方訪問することになった。和泉市に行く前に、阿倍野の阿部ベルタというビルで、岐阜から村田牧師が来て月初めに開いている「充満セミナー」というものに出席した。これは和歌山市の岩崎 憲市(2番目の弟)がいつも来ている会で以前から誘われていた。(「充満」とは聖霊が充満するという意味でクリスチャンの一派で使われている。)
夕方伺った時、我々は失敗をしてしまった。明子は日本ペンテコステ親交会への献金について「あれはどうなりました?」というような曖昧な聞き方をしたのである。楠堂師は「あれのお陰で助かっているよ。」と返してきたので、当時彼女がお金を扱っているものと思っていた我々は「流用されずにきちんと入ったのかな?」と思ってしまったのである。
ストレートに「好伸氏から300万円預かりましたか?」と訊けばいいものを曖昧な問いかけをして、しかもここで現金を扱っていなかったという事実を知らなかった我々はとんでもない誤りを犯してしまったのである。又、隆昭はこの教会が主体で2000年に行ったイスラエル・ツアーに楠堂師と一緒に参加していたので、根掘り葉掘り訊くのは失礼かな、という気持ちがあり、やはりストレートに訊けなかった。何となくモヤモヤした気持ちで帰って来てしまったのである。
その翌年、平成27年であったと思うが、我々が一文無しになった事を知って、カリスチャペル京阪奈を脱会した八木 徹子さんのお宅(奈良市右京3-5-16)を訪ねる事があった。その時に、やはり彼女から「お金がエレベーターに流用されたという噂が本部の方で流れていた。」という話を聞いたのである。やはり怪しい、という気持ちが隆昭には湧いて来た。
平成28年9月、我々は宗教法人 京阪中央教会を相手取って民事訴訟を大阪地裁に起こした。宗教の絡んだ詐欺まがい事件で、難しいので弁護士が尻込みして付いてくれなかった。仕方なく本人訴訟で臨んだ。中身は洗脳により明子が持って行った600万円、家庭崩壊寸前まで行った事への慰謝料400万円、その他献金70万円と50万円、そして横領疑惑としての300万円であった。その当時は、被告が楠堂師に頼みに行って、300万円は日本ペンテコステ親交会に入ったものとするようにと口裏合わせをしたのでは、と楠堂師をも疑っていた。(申し訳ありませんでした。)
平成29年、裁判で、3~4月頃、被告 村上 好伸は「300万円は日本ペンテコステ親交会に渡した。」としか言わないので、我々は「渡したのなら、日本ペンテコステ親交会の通帳を取得して、岩崎 明子から確かに300万円入金した記録があることを示せ。」と要求したが、言を左右にして実行しなかった。裁判所にも「文書提出命令の申請」を出したが、裁判所もなぜか動かなかった。其のうち裁判長から7月7日に「本人尋問」をすると通告された。
同年5月25日、楠堂師に「通帳の有無の確認を6月に神戸キリスト栄光教会に行った時、お願いします。」と依頼した。
当時は7月7日に「本人尋問」が迫っており、楠堂師の動きでは間に合わないと思ったので、5月末、大会の事務局長だった神戸キリスト栄光教会の菅原 亘牧師に手紙を書いた。
菅原師から返事が来たが「古い話で当時の資料は全部捨ててしまった。入金の記録も無い。」というものだった。
同年6月、我々が法律の専門知識無く戦っている姿を見て、C弁護士が助け舟を出してくれた。性急な審理で早く片付けようという裁判所の態度が変わったように思えた。
10月23日付の準備書面でやっと被告側から菅原師所管の日本ペンテコステ親交会の通帳の写しが提出された。但し、100万円ずつ5回、計500万円入金された記録はあるものの、明子が被告に託した300万円がこの内の一部だと証明出来るものではなかった。
その証明の元となる現金出納簿に当たる物は出して来なかった。
平成29年12月、裁判長が和解を呼び掛けるも、当方は同意したが、被告は拒否した。
平成30年1月19日、本人尋問。
同年4月20日 判決
我々の請求を「教会は献金につき圧力など掛けていない。請求する理由が無いから却下する」という理不尽な物であった。裁判長は被告の非を認めたから和解勧告を出したのではないか、なぜ一方的に我々を全否定するのか?という一般人の常識からは考えられない結果であった。(又、後日貰った判決文には事実誤認が何か所もあったので愕然とした。)多額の献金をさせた事について裁判所は「教会からの圧力は無かった。」としたが、献金呼びかけのチラシで「献金しないと地獄に落ちるぞ」等と書いて圧力をかける馬鹿はいない訳で、実際はかなり執拗な要求があったのであるが、そんなものはビデオで毎回牧師の発言を撮ってでもいない限り証明できるものではない。最初から裁判を起こすつもりで教会に通い始める人間などいない。マインドコントロールを掛けられていた明子は一文無しにされたという自覚すら無かった。こういう事について民事の裁判官は全く洞察力が無かった。(目は節穴)一文無しにされ家庭がバラバラになりかけた被害者への同情心も無かった。形式的な法律論で、木で鼻をくくったような判決で本当に我々は落胆した。本当に残念な事である。
一方で、この300万円に関する裁判官の態度は、我々が裁判官を疑いたくなるほど、なぜか被告に非常に優しいものであった。
民事での控訴期限が迫ったので、5月2日(水)夕方、楠堂師へストレートな問いかけの電話を架けて、被告が楠堂師に300万円を渡した事実がない事を確認した。これにより、被告が「確信犯」であることがはっきりした。
更に5月3日(木)にお会いした時に、楠堂師が「お金は一切触っていない」というので、不審に思い5月5日(土)、神戸キリスト栄光教会の三田ホーリーチャペルに礼拝の為訪れていた菅原牧師に電話を架けてその点を質問したが「お金は誰か他の先生がやっていただろうけれど、私は憶えていない。」という回答であった。
又、10月23日の通帳の件を尋ねると「村上 好伸が頼みに来たので捜したらあった。」ということであった。昨年、5月末は真面目な対応はしてもらえなかったものと思える。
更にその後、5月18日(金)、泉キリスト栄光教会の楠堂師をC弁護士、明子と共に3人で訪問して突っ込んだ話をした時、楠堂師は「お金は事務局長だった菅原先生がやっていたと思う。」という発言をされた。
上記の菅原氏の発言との何という不一致であろうか!正直言ってこのペンテコステ親交会という団体は訳が分からないとしか言いようが無い。この二人がお金を触っていないと証言するなら、可能性のある人物は、あとは実行委員長くらいしかいないであろう。
また楠堂師は「300万円もの大金を神戸キリスト栄光教会まで好伸が運んだなどという事は考えられない。銀行振り込みにするのが安全を考えれば普通である。」という趣旨の発言をされた。通帳には銀行振り込みの形跡はなかった。
3.被告訴人の余罪
下記の件はいずれも犯罪行為であるが、教会の誰もが告訴しなかった。
①「アジア宣教会議」の宣教師派遣資金の業務上横領事件
上記の木下 良一氏、福田 武利牧師(奈良市朱雀3-4-6)の証言である。
金銭の管理を被告訴人が独占し、他の人に明らかにしなかった。宣教に行く人に渡るべきお金が一部抜かれていた。このため、第二の立場であった知多半島中央キリスト教会の向井芳太郎牧師は好伸に不信感を抱いて決別したという。
②献身者の栗崎 路(あゆむ)君への個人的献金の業務上横領事件
木下 良一氏の証言である。
ある信徒から栗崎君にあげるべく好伸に託したが、本人に渡っていなかった件。その人が栗崎君にお金を受け取った?と聞いた時それが分かったので、好伸に問いただすと「調べておく」と言ったきりになったという事件である。
③枚方市村野である施設の建設が中止になっても目的献金のお金を返さなかった詐欺まがい事件
元婦人部長(匿名希望)と福田 武利牧師の証言
普通であれば、当然計画は中止になったのだから、その資金は一旦信徒に返すのが筋である。それなのに被告訴人はそれを取り込んで返さなかった。
④元娘婿で元牧師の大原 信之の強制性交事件の隠蔽
木下 良一氏他複数の証言
ネットに被害女性の名前がアップされて気の毒な事になっているが、元献身者の井原 由美子さんが犠牲者である。被告訴人はこの事件が表ざたになって信徒が逃げ出すのを防ごうと虚偽の説明を信徒に行っていたとの事。又、大原と娘の芳香をアメリカに送ってほとぼりが冷めるのを待つ戦術を取った、つまり隠蔽を図ったとされる事件であった。
当時は「親告罪」とされていたし、事が事だけに告訴が無かったものである。
⑤農地の不正売買事件
西嶋 一也氏の証言である。
木津川市加茂町銭司(ぜす)の農地を購入するに当たって西嶋氏(代々の農家)の名義を貸してもらった。売却する時も同様であった。これは農地法違反行為(懲役刑)である。西嶋氏にはこれが違法行為であるとの被告訴人からの事前の通知は無かった。