Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

20年間引きこもっていた友人にロスジェネの呪いを見た。

実家近くの床屋で友人Fと会った。Fは今年で45才、新卒で入った会社、確か教材を取り扱っている出版社だったと思うが、そこでの激務で心身を壊し、入社初年度で退職、以来20年ほど実家に引きこもっていた。その20年間、彼が何をしていたのか僕はほとんど知らない。そんなFと久々に再会したのは昨年の夏で、社会復帰に向けてチャレンジしようとしている彼を僕は応援していた。一方的な想い込みかもしれないが、彼とは特別な関係だと思っている。小中高と同じ学校に通っていたが同じクラスになったことは一度もない。高校3年の秋の幾日かの放課後、音楽室にあったピアノで連弾をして遊んだだけだが、その、「くるみ割り人形」を弾いた時間は、受験ムードに息苦しさを覚えていた僕をずいぶん軽くしてくれた特別なものだ。

僕の記憶によれば、Fは昨年末にアルバイトを始めていたのだが、状況は変わっていた。「4月から正社員として働いている」床屋の順番待ちのソファで漫画に落とした目線を上げることなくFは言った。僕は職場や仕事について質問したが「勘弁してくれよ」と彼は答えなかった。正社員になったというわりに声のトーンが暗いのが気になったが、そのままにしておいた。すると突然、Fは「給料いくら貰っている?」と尋ねてきた。リアルな額をいうべきか、気をつかった額を言うべきか、真剣に悩んでいると彼は「俺の給料、新卒のときとほぼ同じなんだよ」と自嘲気味にいった。答えを求められていないことに安堵しながら、どういうことだよ、と言葉をうながした。嫌な予感がしていた。Fは「おかしいだろ?今年45才になる正社員に20万しか払わないなんて」と言った。嫌な予感テキチュー。無資格で「ほぼ」職歴もないから仕方ないよ…何もない45才のオッサンが正規雇用してもらっているだけラッキーと思わなきゃ!とは言えなかった。その代わりに僕は「給料いくらなら満足なんだよ?」と尋ねていた。「最低手取り35万」という回答に、僕は思わず「無理だー!」と口に出してしまう。僕は今、管理職(部長)で労務管理とコスト削減に悩む毎日を送っている。そんな部長としての僕が顔を出してしまったのだ。無理無理無理、少なくともウチの会社じゃ未経験者にその額は払えない、きっつー、と。するとFは重い言葉を口にする。「20万が俺の価値なのか」と。

違う。とも言い切れなった。去年、Fがアルバイトを始めたときに僕はこんなことを言った。インディーズで、いい音楽をやって幸せそうなバンドもたくさんあると。それはメジャーな生き方以外にも生きる道はあるという意味だったのだが、伝わっていなかったみたいだ。そういえば、あのとき、Fはそれでもメジャーの方がいいと呟いていたっけ…。僕はFに無理に20年を取り戻そうとせずに、進んでほしかった。20年のロスは想像以上に残酷なほど大きいと思ったからだ。その時間を社会人として生きてきた僕と社会に触れていなかった人間との差は決して小さくはない。ましてや彼はAGE45。新卒というわけにはいかない。「何もしなかった国が悪い。無責任だ」と前置きしてから、Fは続けた。就職活動をしているとき、氷河期で入りたい会社・業界に入れず、入れる会社に入ったのが、そもそも失敗だった、個人ではどうしようもなかった、時代が、運が悪かった、その結果20万しか価値のない人間になってしまった、と。話を聞きながら、僕はこれがロスジェネか…と複雑な気持ちになっていた。大学時代ふざけていた僕も、Fと同様に就職戦線で苦労し、運輸から飲食・食品という希望とは程遠い業界で今までやってきている。その一方、シビアな時代でも、自分の希望した道を歩いている者もいる。シビアな時代というのは、完全に道が閉ざされているのではなく《ハードル》が高くなっているだけなのだ。まあ、ツイていない、時代が悪かったというのは事実としてあるのだけれど、なんだか、Fの話を聞いているうちに、自分の20年間が否定されているような気がしてきた。僕は、「あのさ、いつまでも時代のせいにしてちゃダメだと思うぞ」とFに言った。確かにあのころはしんどかった、それは事実で、国は何もしなかったかもしれないけれど、あれから20年も経っているのもこれまた事実で、あの頃を生き抜いた人間は、ツイてなかったことも受け入れて皆、なんとかサバイブしてやっている、いつまでも時代が悪かったといっているのは、逃げているんだよ、と。「そんなことはわかっている」とFは言った。僕は追い打ちをかけようとしたけれど、Fに「愚痴を聞いてくれてありがとう」と言われてしまって何も言えなくなってしまった。

僕たちはロスジェネといわれている。失われた世代と。Fは不幸なことに、そのうえ20年という長い年月まで失ってしまった。若ければ…という仮定は虚しいだけだ。現実の僕たちは40代半ばで、残酷だが、その年月を取り戻すのはほとんど不可能だ。だから僕は彼に世間とはちょっとズレたところで居場所を見つけてほしいと願っていたのだ。お金に換るできない自分の価値を見つけてほしいと。髪を切る順番が来て、席を立つFに「いろいろあるかもしれないけど、頑張ってよ」と声をかけることしか出来なかった。高校時代、あの夕暮れの音楽室、「くるみ割り人形」の連弾で、僕とFはそれぞれのパートを弾いていた。人生もそれぞれが任されたパートを奏でていると捉えられたら、いい。人生の折り返し地点をターンした僕は最近そういうふうに考えている。そういえば「くるみ割り人形」の連弾に失敗し、それをごまかすために11PMのテーマをダバダバダバって即興でやったのがいちばん楽しかった。いつからだろう?失敗を楽しめなくなってしまったのは。失敗を、再起不能な失敗と思い込んでしまうようになったのは。

Fはロスジェネに呪われている。でも僕はFについてはポジティブに考えている。呪いも解けると信じている。なぜなら本人は20万の価値しかないと嘆いているが、とりあえずスタート地点に立つことはできているし、Fには、僕らには、失われていないものもまだまだたくさんあるのだ。ピアノ連弾は人生に似ている。相棒が走りはじめたり、運指に問題があったら、演奏や言葉で伝えて気づかせるのがパートナーの役目。失われたものをいつまでも嘆いているほど人生は長くないし、人生は後悔のためにあるんじゃないってことを早く彼に気付いてほしい、そんな祈りをこめた言葉をこれからも僕は彼にぶつけていく。嫌われてもかまわない。床屋で髪を切られながら、そう、僕は誓ったんだ。(所要時間32分)