昨年12月2日に「父の状態が良くないので」とネットを離れ、半年以上が過ぎました。
結論から言うとその翌日、12月3日に父は亡くなりました。
実は、11月の下旬から、父の食事摂取量が少し落ちていました。父のような状態で摂取量が減るということは、すなわちお迎えがすぐそこ、ということです。
私は、父に限って言えば「口から食べられなくなったら無理な延命はせず、静かに見送る」と決めていました。
年老いて、認知症の末期で食べられなくなって死んでいくのは、非常に自然な終わり方でありましょう。
それに父は83歳でしたから、その終わり方ならそれは天寿を全うしたと言えるとも思っておりました。
そう決めていたのに、実際に食べる量が減っていく父を見ていたら「何とかして生きていてもらいたい」と思ってしまいました。
私は父を失うことが怖かったのです。大好きな父には、寝たきりだろうが何だろうが、生きていてほしかったのです。
食べられなくなっていく父をただ見守るだけというのは、非常に辛い時間でした。終末期に「無理な延命はしない」という選択は、自然で合理的ではありますが、選択した当人はともかく、介護者としては、このまま死なせていいのか、過激な言葉になりますが「見殺し」に近いのではないか、そんな思いが浮かんでは消え消えては浮かび、私は必死な思いで、父の口元にスプーンを運んでいました。ひとさじでも多く食べてちょうだいと祈りながら。
そして12月2日は、ちょうど訪問診療の日でした。
私は先生に「延命はしないと言っていたけれど、もう少し、父と一緒にいたいです」と言いました。少し涙ぐんでしまったと思います。
先生はしばらく考えて「それじゃあ経鼻で栄養を入れようか。でもそれで1週間延びるか、1ヶ月延びるかはわからないよ」と仰いました。
「お願いします。管はしないと言っていたのにすみません」
「あやまることないよ。いざ死期が近いとなったら、何とかしたいと思うのが人間でしょう。ましてや親御さんだものね。じゃあ月曜日にやりましょう」
先生と私は父のベッドの横でそのような会話をしました。父にこの話がわかるわけがないのですが、「もしかしてわかっていたの?お父さん!」という出来事が
翌日(亡くなる当日)にありました。