早いもので父が他界してから一週間が経った。通夜、葬儀、初七日等、悲しむ暇もないくらい慌ただしく一週間が過ぎたような気がする。
父の死後何日かしてからその時思ったことを残しておきたくて涙をボロボロ流しながら日記のようなものを書いたけれど、ブログを開いてその記事を見るたびにその時の悲しみがこみ上げてきて辛くなったので一旦下書きに戻してしまった。ブックマークしてくれた方やスターをつけてくれた方、特に貴重なカラースターまで使ってくれた方は消えてしまう結果になってしまい申し訳ないですごめんなさい。でもその時の温かいコメントはとても嬉しかったし救われました。
父の死はあまりに突然で、本当に予期せぬ死だったので受け止めきれることができなかった。倒れた日も母と二人で買い物に出かけていたらしい。帰って晩御飯を食べ、テレビを見ていたら急に倒れ、すぐ母が発見して救急車で病院に運ばれたけれど約8時間後に息を引き取った。
死因についてここであまり詳しく書くのは少し違う気がするので書かないけれど、そういう病気があるということを僕は初めて知った。手術の施しようもなく、ただただ死を見守るしかできないあの時の心境は、辛い以外の何物でもなかった。
一週間経って、僕は少しは落ち着いた気がする。少なくとも父の写真を見て涙することはなくなった。葬儀に使われて今も家に飾ってある父の写真は自然体でとても良く写っていて、手を挙げて「よぉ」って言って出てきそうなくらい良い顔をしている。親戚や集まってくれた方が写真を見てそんな風に言ってくれた。
僕が少し落ち着くことができたのは、妻と子供がいることが大きいんだと思う。このブログでは言っていなかったけれど僕には小さい女の子の赤ちゃんがいる。今も一緒に僕の実家に泊っているけれど、やはり新しい家族ができたことは僕の心の支えになっているんだと改めて思った。でも、母は違う。母は、何十年と付き添った夫を亡くしたのだ。父はまだ64歳だった。これから先10年20年と一緒に生きていくはずだった夫を亡くし、一人になってしまった母の悲しみとショックは息子の僕でも計り知れない。
慌ただしかった日々が少し落ち着き、悲しむ暇が出来た。母は父の写真の前に座り、父(写真)を見ながら声に出さずにずっと何かを長いこと話している。そして肩をがっくり落とし、頭を垂れて涙ぐんでいる。そんな母を見ているとやはり僕も辛い。これから先の母のことを考えると心配になる。
こんな時に母の傍にずっといてあげられたらどれだけいいだろうと思う。でもそれは現実的ではなくて、実際には明日にはもう福岡に帰らないといけない。兄も明日帰る。家には母一人。僕の実家は田舎特有の大きな家なので、一人で住むにはあまりに広すぎる。僕らが帰った後一人になってしまう母が心配だ。とても。
仕事を辞めて地元に帰るということも、少し考えはしたけれどそれも現実的ではない。僕は今の会社を辞めるわけにはいかない。経理未経験の私を採用して一から教えてくれている会社に恩を返さないといけないし、そもそも私は今の会社がとても気に入っている。それに父の葬儀に立派な供花を送ってくださり、遠いところ経理部長も課長も通夜にきてくださった。これから一生懸命働いて会社に貢献していかなければならない。
ただできるだけ実家には帰ろうと思う。兄は遠くにいすぎてなかなか帰ってこれないけれど、僕は二つ隣の県にいるだけだ。当面毎週末帰ろう。何ができるかわからないけれど、今は傍にいてあげることが一番大事な気がする。
人の命はいつどうなるかわからない。天災もそう、事故もそう、病気もそう。身近な人、大切な人と一緒にいれることは、それは当たり前のようで奇跡の連続なんだと、今はそう思う。当たり前のようで奇跡的な日々を、そして自分が心から大切に思う人たちを、これから一生懸命大事に守っていかなければならない。いいや、守っていきたい。父を失った今、そんな風に思ってる。
(fin)