<積石>



 
はじめに

 子供のころ、神社などで狛犬や灯篭に小石を積んで楽しんだ。
「石をのっけて、次に来た時まで落ちなければ、健康でいられる」、、、というふうに親戚から教えられた。当時の自分は、なるべく安定した場所に小石を積もうと努力した。うまく積もうとして他の誰かの積んだ小石を誤って落としてしまったり、今自分が拾って積もうとしている当の石ころも、以前誰かが積んで落ちた小石かもしれないと思ったり、そもそも自分が積んだ石が、次来た時にそれだと区別することができるのかどうか?などなどいろいろと考えさせられ、とても奇妙な心もちになった。
 このような神社やお寺、何か特別な場所、賽ノ河原、聖地、観光地などで繰り広げられている「石積み」は、現在に至るまで絶えることなく、広範に観られるものだ。そうして、その意味やルーツがまだよくわかっていない。同時に、ほぼかならず誰もが経験している大変身近な「行為」である。長い間自分はこの石積みにとても興味を抱いてきた。以下考察してみたい。




1・石についての特徴

 まず先述の「石について」でも挙げている石の基本的特徴を以下再び列挙しておく。同時に「積石」の基本的特徴を続けて列挙する。この小石による「積石」文化は、先述の「石」をめぐる文化を踏まえながら考察される。


<石の性質>

 ・固い
 ・変わらない、動かない、腐らない、燃えない、不変性
 ・何処にでもある
 ・同じものが無い
 ・様々な大きさ、状態がありうる
 ・塊を持った存在物
 ・形状の特性―ある種の塊、球状、棒状、何か具体的イメージに類似した形
 ・重さ
 ・割れると鋭利な形状になりうる
 ・様々な物質が混ざり込んでいる
 ・内部への吸収性
 ・無意味、無内容
 ・地中や山の一部、骨格として


<積石の性質>

 ・複数の小石の使用
 ・小石の積み重ね
 ・不特定多数による継続的な行ない
 ・積むという行為性の重視
 ・終わりの無い現在進行形
 ・場所性
 ・重力
 ・積む/築く/埋める/覆う/塞ぐ/つくる
 ・意味の多様性




   
 
2・賽ノ河原の回向(混在文化)―サクリファイス

 代表的な「積石」の例としては、「賽ノ河原」の石積みがまず最初に思い当たるかもしれない。
 賽ノ河原とは一種の三途の河原であり、この世とあの世の境に流れる河原である。多くの「霊場」のどこか、、河原への道、洞窟、山頂などの広い領域において展開されることが多い。基本的には「境界」領域で、しかも小石が豊富にある場所に想定されている。
 一応の意味としては賽ノ河原の和讃などでおなじみなように、幼くして死んだ子供が親のために回向として積む石積みを、そのつど地獄の鬼が崩してしまい、際限なく石積みを繰り返し続ける。が、やがて地蔵菩薩が救済しにやってくるというもので、仏教的な意味合いが付されている。
 「回向」とは、自身の善行が他の別な場所、誰かへの功徳につながっていく(向けられ回っていく)というもので、あの世の死んだ幼子とこの世の母が相互に其々を想い、この境界領域で回向の石積みをするということだろう。この場合、仏教なので、石積みはあくまでも「仏塔」を築きあげることを目的としている様である。つまり寄進で灯篭や仏塔を建てて功徳を積もうとする行為と同列であるわけで、西洋で言えばサクリファイスとして、宝物や神殿や神像や芸術作品を寄贈するのと同じである。それが、ありあわせの小石で、直接自分の手で築かれようとし、つねに鬼に崩されるので、半永久的にサクリファイス的行ないを強いられるわけである。まさに河原の石の数の様に際限がない。見ようによっては、作っては壊れ作っては壊れ、つねに自然に帰してしまう人間の業を見ている様でもある。
 ただし今日このような仏教的な意味づけで納得してしまえる者はほとんどいないだろう。なぜならば現在でも石積みは行なわれるのであり、多くの場合、賽ノ河原の物語とは無関係に繰り返されている。そうしておそらくこの習俗は仏教以前からあり、また仏教以外の広範囲な領域で見られるものでもある。




 
3・墓―封じる/隠す

 ある研究者によれば、そもそも「積石」の起源は、死体を埋葬する時の「原始葬墓制」の習俗に由来しているのだという。かつて多くの地域では風葬によって埋葬され、死体は一時的に石積によって遮られたという。洞窟や穴の入口を積石で塞ぐのである。腐乱した死体を一端隔離するのは、衛生的な面からも、感情的な面からも、死んでまもない「荒魂」を鎮めるという霊的な意味からも必要とされた。一定期間隔離されて白骨化した遺体は、あらためてしかるべき場所に埋葬(改葬)され「和魂」として以後敬われた。
 その様な習俗の残存形態が現在の洞窟などでみられる賽ノ河原の石積みであるという。
 神話レベルでは古事記の中で、イザナギの黄泉の国の道を封じる石積みにその端緒が象徴されているとする。
 その真偽や普遍性はともかくとしても、死者や悪霊への恐れを封じるための石の使用―積石―というニュアンスは確かに原初レベルでは重要に思える。かつて人類は死や死者や荒魂や黄泉の国を恐れ畏怖したのであり、例えば縄文時代の「屈葬」-死体を折込んで壺などに詰める(場合によっては縛って大きな石がのせられていた形跡もある)もその表れだとする。 石には元来霊を封じ込める力があるとされ、石器時代以来、死者の埋葬には石が用いられることになっているのだろう。
 さらに言えば、霊を封じる力―霊力のある石は、おそらくひとつぶひとつぶ行為が積み重ねられることによって、より強く発揮されると感じられてきたふしがある。小石の使用は単に「手軽な」ということだけではなく、一回一回、ひとつぶひとつぶの行為性、願い、祈りが重層し、より多く込められやすいという側面もあっただろうと予想される。
 現在でも死者を棺桶に入れる際、蓋に「石」で釘を打ちつける習俗にその名残を観ることができるかもしれない。一回一回「石」で叩くことによって、箱を封印し、死者の霊を封じ鎮めようというのだろうか?



 4・境界性―境のカミ、

 このような原始葬墓制に由来するという積石は、死者の埋葬される場所―死者の世界―黄泉の世界―あの世とこの世の間―つまり「境界領域」で営まれることになったと類推できる。境界領域には石―遮るための石積が結びつく。
 これは村境の境界を守る「境のカミ」とも繋がることになる。境界を守るカミと塞ぐための積石が結びつく。賽ノ河原の「賽」は賽のカミにつながるとも言われる。境界領域での石積みと、賽のカミや道祖神などはどちらがもともとのルーツなのか?(おそらく石積みが先か?)不明ではあるが、それらはなだらかに繋がっている。
 「原始葬墓制」、「黄泉の国の遮断」、「境のカミ」、、はいずれも原始自然信仰の内にあり、所謂仏教とは無縁であるというか、それ以前にルーツがあると考えられる。
 それが仏教化―国家仏教が庶民の暮らしにより根付いていく時代になって、別な意味合いが不可されてくると考えられる。




 



5・仏教―地蔵、仏塔、供養
 
 境界を封じ守る石の霊力は、境のカミや道祖神、シャグジなどにつながり、ついに仏教化し石地蔵に転化する、、と考えることができる。村境などに置かれる石地蔵、六地蔵や賽ノ河原で活躍する地蔵菩薩、現在よく見られる水子地蔵などはその流れにあるだろう。場所によっては道祖神と石地蔵が共存していたりすることもある。これらの造形物に共通しているのが石でできているということである。村境に木彫の地蔵が置かれるということはまずない。それゆえ境界領域につきものの遮る霊力としての石―積石の性質がその本質に流れているのだろう。*(「道祖神」自体は石造以外にも例えば「藁人形」などがあり、穢れを村境から外へ放逐する習俗と、内へ侵入してくる穢れを封じようとする習俗が重層していて複雑でる)。
 仏教化してくると境界領域に(墓もふくめ)、お参りしたり、お供えをしたり、手入れをしたりすることが「供養」となっていく。供養とは何らかのものや行為や心を捧げることである。
 荒魂を畏怖し封じるための原始の「鎮魂」が仏教の「供養」に置き換わる。
 そこでなされる行為は善行を積む「回向」とつながり、地蔵を置いたり、地蔵に供えたり、仏塔を建てたりするおこないが奨励され定着する。もともとあった石積みの習俗と結びつき、先述の賽ノ河原の回向のような意味合いが、まわりまわって、「石積み」に付与されることになったと考えられるだろう。いわば、後発後付けの仏教的意味合いが、ブーメラン的に始原以来の石積みへ付着―再解釈されたわけであり、文化の推移の複雑さをあらためて思い知るのである。
 供物を供える―捧げることと、回向すること、また回向する行為としての仏塔を築くこと―石を積むことは、ほぼ同位であると言えよう。しかし先述したように、現在の我々がはたして仏教的なニュアンスの回向で石を積んでいるのか?あるいは原始依頼の鎮魂―封じるニュアンスで積んでいるのか?いずれとも違っている様に思われて、なおこの積石文化は複雑怪奇である。




 6・原始信仰(恐山、川倉地蔵堂にみる)

 ここで実地に青森県の恐山や川倉地蔵堂・賽ノ河原での石積みの在り様を観ていきながら、その複雑怪奇な様相を考察していきたい。

 このような霊場では、石によるあらゆる所作が重層並列してみることができる。
 通常の回向の様に積まれる石積みだけでなく、積んだ石積み自体が依りしろとなり、祈りの起点、対象物となり、亡き霊が投影される。時にそれは具体性を増し、亡き人の面影を再現したり地蔵になったりする。遺品である服やヨダレかけが取り付けられたり、手ぬぐいがまかれたりして具体性が増す。
 石の積み方もいろいろで、細かい小さな石がピラミッド状に集められ積まれる場合もあれば、大きな石が組み合わされ、その石の凹凸が亡き人の表情を再現したり、場合によっては一部加工されたりしている。また美しい模様の石が単体で立てられ礼拝の対象にされていることもある。石でつくった礼拝の対象物の前や上に、さらなる小石を積み上げて「供物」とするものもある。石が擬人化されるかと思えば、その横には石が供物とされ積まれ集めあれている。石は、置かれ、立てられ、積まれ、集められ、築かれ、つくられ、供えられ、、様々な所作に用いられている。

 このような特殊な霊場空間では、これまでこの列島で歴史上あらわれてきた様々な石に関する信仰形態の残存物が、折り重なり並列され融合し相互に混ざり合っている。創造と崩壊がまさに現在進行形で半永久的に入り乱れており、ある意味で大変「創造」的な空間であると言える。

       
       
       





 
7・さざれ石―君が代

 ところで、「君が代」の歌詞にはさざれ石が大きな巌に育って、苔むしるまで永続繁栄していく様が歌われている。この詞自体は、古今和歌集に収められており、古い時代から祝賀の際などで歌われ親しまれてきたものだという。
 通常議論になるのは「君が代」の「君」がなにをさすのか?といったことが多いわけだが、ここでは「さざれ石」のありように関して少々触れてみたい。
 石が育っていくというのは非科学的であると批判されているらしいが、石がくっついて大きな塊になるということは、実際にある(長時間かけてのことだが)様だ。つまりその「さざれ石」とは、学術的には「石灰質角礫岩」と言い、石灰質が長い時間の間に溶け出して小石を結びつけ、大きな塊を形成したもののようである。
 君が代の大いなる苔むした岩が、このような小石のあつまった脆弱そうなぼつぼつでこぼこの「さざれ石」なのかどうか。やや意外な印象を受けるのだが、「君が代」のそれは、あくまでもただの「小さな石」という意味のようでであって、小石が大きな巌に育っていく、まさに霊的なイメージとしてあるらしい。
 ただし、小石が長い年月を経て複数集まって大きな巌になるのだという解釈をする説もあるにはあるそうだ。
 小石が集められ大きな塊を形成する様は、上述の「恐山」などでは良く見られる光景だ。ただしここではすぐにバラバラになって砕け散ってしまうのだが。
 しかし、よく考えてみれば、小石が無数に集められ、大きな塊を形成・維持し、植物である苔がまわりを覆うというイメージは、なかなか捨てがたいものがあり、いかにも日本列島の造形精神にかなっているように思える。
 一見脆弱なようで、切り別れつつ結びつく多層的な生動感に満ち満ちた「全体」。それこそまさに「二重性の造形」といえるだろう。
 国歌の中で、「積石」が歌われ、民族の理想像と「二重性の造形」(としての巌)が重ねられているとすれば、それはとても興味深いものである。



 8・穢れを祓い清める

 賽銭箱に賽銭を投げいれたり、葬式の野辺送りの際、時お金をばらまいたりする理由として、お金―貨幣に自身の穢れを吸いこませ、投げ捨て、穢れを祓い清めるためとする説がある。
 澄んだ池や井戸の水中にコインを投げ入れるのもその「穢れの浄化」作用につながっているのだという。
 そう考えると、この「石」も同じようにある種の吸収力を持っているとされてきたので、同じように自身の穢れを吸いこませて、祓い清めるために、ふたたび手にした小石を手放し置く、、、という解釈があり得る様に思える。
 つまり神社やお寺や聖地で石を積むのは、自分の穢れをそこに置いてくる―祓い清めるためであるという解釈。それはある意味で、冒頭の自分の幼少期の記憶―次来た時まで積んだ石が落ちなければ健康でいられる―という話とつながってくるものだ。それゆえか、積石周辺に散乱する小石が、既に一度誰かに置かれて―落ちた石の様な気がして、それをふたたび自分が拾いあげることに、ややためらいを感じた当時の心もちに納得する。それら「使用済み」の小石は、誰かの穢れが既に付いている計算になるわけなのであり、自然の石であって既に自然の石ではないのである。
 ただ賽銭と違うのは、賽銭は「投げられる」ものなのに、石積みは「置かれる」、「積まれる」ものである点だ。冒頭の自分の幼少期の記憶でも、「次来た時まで落ちないように置く」という、「いかに置くか」というのがひとつのポイントになっているのであって、なお検討を要する。それゆえこの石積みの習俗は、単に賽銭が小石に置き換わっただけということでは済まされないのである。
 *逆にこの石積みの習俗が、コインに置き換わったとしか思えない様な現象はしばしば目にすることができる(神木や巨石の溝にコインを埋め込むなど)。



 9・実存的解釈(今・ここ・自分)―縁をむすぶ・メディウム

 先述までの原始葬墓制、原始信仰、仏教信仰、それらの混合形態などとは別な角度から、石を積む行為の本質を考察してみたい。


距離をはかる

 例えば、自分の目の前に何か異質なもの、空間がある時、人はどうするだろうか?
 じっと見つめ、指でつっつく、なでる、つかむ、、、あるいはもっと危険性のある何かであれば、そばに落ちている小枝や小石を使って間接的に「調べ」ようとするに違いない。
 子供が犬の糞やカエルの死骸を小枝で突っついたり、池や沼に小石を投げ込んでみたり、河の流れに流木や葉っぱを流してみたりするところのもである。
 このような行為は、「他者」に対して自分との距離をはかろうとするもので、見えない裏側や内部を観ようとしたり、質感を試したり、水の深さや、流れの速さを体感しようとするのであろう。
 これは「他人」に対しても同じで、子供がじゃれたり喧嘩を吹っ掛けたりして相手との距離をはかり関係を形成していくように、大人が握手をしたりあいさつしたり何か問いかけたりするように、「他者」に対してのなんらかの行為が起点となって「交流」がはじめられるのである。
 「石積み」をこのような視点でとらえかえすなら、あながちそれほど外れてはいないことが理解されるに違いない。「他者」である神社やお寺の神々や祖霊に対して、簡単な挨拶をする。人間に対してのように言葉かけや握手のわけにはいかず、犬の糞の様に棒で突っつくわけにもいかず、池のように小石を投げ込むわけにもいかないので、何かを捧げる―供える―置く。供え物の時もあれば小石の時もある。とりあえずそこにある小石をひろって一定の場所に置くという行為。これはおそらく畏敬の対象である、ある種の空間―「他者」に対して行なわれるもっとも最初の行為であり、自分と他者の「ファーストコンタクト」の証なのである。

 
あいさつ・しるし・自己主張


 このようなコンタクトの行為は、「今・ここ」に「自分」が「参った・いる」という事実を主張しようとするだろう。ただなにもしないで、鳥居をくぐって出て行くのではなく、何か自分の「痕跡」をのこしていこうとする。自分が拾った石つぶては、ひとつとして同じものはなく、一個の塊の存在であり、そこに、それを選び拾い挙げた自分自身の「因果」を瞬間的に込めるのであり、その自分と「ここ」と「今」の因果を「もの」―証として「置いて」くるのである。
 「今・ここ」を強調するのが、そこの現場で手に入れる小石のありようであり、「ここ」のものを拾いあげる点が重要である。ただ、それは、高校野球で甲子園の土を持って帰ろうとしたり、何か当地の記念品を持ち帰ろうとする行為。あるいは「ここ」に来た「しるし」―記念に写真を撮ったりする行為(結局、それは視覚世界を切り取りコンパクト化して持ち帰り所有しようとする欲望と重なっている)とはその質を異にしている。
 拾った石は持ち帰られず、「ここ」にもどされる―場所を変えて―ある選ばれた位置に置かれるのである。けっして所有されることはない。
 コレクション化―所有とはおそらく真逆の回路にそれ(石積み)はあるのではないだろうか。
 一方で、例えば、ここに来た「しるし」として、あるいは道程の無事安全を祈って積まれる山頂のケアンは、この積石とかなり共通のものがある。
 「あいさつ」の様でもあり、「今・ここ」の「しるし」のようでもあり、しかし決してその「しるし」を所有しようとはしない。
 さらに比較すれば、それは供物を供える時の何か願いを祈願する心持とも、異なっていると考えられるだろう。
 願いを供物に込め供えるということよりも、もっと原初的なもので、願いや意味以前の、、「あいさつ」や「しるし」のようなもの。*(写真の「名刺」の供え物などは、端的な自己アピールであり、現世利益的な供物の奉納に近い)。
 


 
9・後天的付加価値、新陳代謝、循環の輪の具現化

 石を積む行為は、先行する石の積まれ様に啓発され増進される。そこで石を積むことが、その空間―特別な場所―のシステムに参加した証となる。何も無い所でいきなり石が積まれる―無意味に―ということは通常皆無である。
 積石は既にある積石に習うのであり、そこに後天的に付け加える、積み重ねるのである。
 今、ここで自分が拾って置かれる石は、かならず先行する既に置かれた石を踏まえている。踏まえながら触発され、踏まえながら他にどの場所に石を置くのが適当か選択し(規定され)ている。そういうことからすれば其々の無数の小石は全てなんらかのかたちで因果律により結びつけられているのである。そしてこの因果律は終わりが無く完結することがない。つねに新たな「石置き」を呼び込み、システムを増大させ、またその吸引力を強めている。
 つまり石が積まれれば積まれるほど石を積むに足るものになっていくのである。
 このような後天的付加価値の行為が行為を呼び込む仕組みは、石積みにかぎらないことは先述してある(オミクジ結び、様々な供物の奉納、金箔貼り、民芸品の「なれ」など)。
 ただ石積みの場合いくつか特徴的なことが垣間見える。


 ・一つとして同じ石が無い。
 ・重力とバランスによって積み重ねられ維持されている。
 ・つねに崩れ、また拾われるので、膨張するだけではなく循環しているとも言える。


 特に重力とバランスにかなっていなければならないので、凹み、穴、溝、などのマイナス面は石が詰められ、プラス面はいずれ限度で崩れてしまう。総体として其々異なる小石同士による、無数の重力とバランスの因果律の総合体が形成されていく可能性がある(しかもそれは不特定多数の人間による積み重ねの結果なのである)。
 無理があれば崩れ、崩れた小石はまた拾われ置かれる。重力とバランスの理にかなっていればそこにとどまり続ける。それゆえ積み/崩れ/拾い、、、の循環構造が現出している点、この「石積み」のもっとも興味深いところである。他の供物であれば古くなれば、地に落ちて汚れれば破棄されることが多い。しかし小石は半永久的に無くならず、いつまでも拾われ、積まれ、崩れ、拾われの循環を繰り返し続ける。いわば重力とバランスという自然の摂理によって、たえず積み石が淘汰され、ある「飽和状態」に達するとその許容量を越えることはない。しかしその積まれている石の一粒一粒自体は絶えず刷新され続けていて、さながら細胞の新陳代謝を連想しさえする。
 新陳代謝―循環のサイクルの中で、重力バランスの「理」に基づいた石の積まれ様は、しだいにその精度を増し、結果する因果律の総体は、もはや偶然の産物とはいえず、単独の作者の思惟ではない、自然物とも人工物とも異なる、後天的付加価値特有の優れた姿を獲得していくのである。
 石積みの飽和点で、重力の理法の反映された「姿」が立ち現れる。その構成要素である小石はつねに入れ替わり循環し続け留まることがない。生成流転しながら現出されるその「姿」こそ、「循環する輪」そのものが具現化した、究極の造形―通常の造形よりも一段高次の「超造形」と呼ぶことができるのではないだろうか。
 

10・まとめ

 以上の様に「積石」は大変多様な側面が重層しており、様々な意義を見出していくことができる。石積みをながめるだけで、この列島の信仰・文化に関する長い歴史を辿ることが可能であり、始原の古層を今なお色濃く発し続けている。
 それは他者への交流の原型をみせ、封じる畏怖の衝動を思い出させ、サクリファイスや回向の在り様を反映し、また集める―築く―ものづくりの原型を垣間見せ、後天的付加価値を生み出し続け、その飽和点で究極の姿・循環するシステムを具現化するに至る。



11・付録―美術と石積み


 
最後にこのような多義的な石積みを、一種の美術的アナロジーとして考えてみたいと思う。
 というのも、大学の卒業制作時、自分は、石を積むように絵具が塗れないものか、いろいろと試行錯誤していたことがあった。
 もちろん石を積むと言っても、先述の恐山等の賽ノ河原の様に、何がしかのもの―仏塔や依りしろや亡き人の像を形作ろうとするものもある。そのような場合の石積みとは、通常の文脈での造形行為と同様なものになっており、石はそのための材料でありメディウムとしてある。
 一方でいままでの考察がものがたる様に、それとは別の様々な意味合いや動機が、この石積みの習俗には秘められているわけである。
 時にはなぜ石を積むのか自分でもわからずに石を積むことになる。なんで絵を描くのか?なんで絵具をそこに置くのか?単純にそれが何かのイメージや形象や画面をつくり出すためとは限らないのであり、その根源性、多義性は、ある意味今まで見てきた石積みの位相ととてもよく重なってくると感じている。

 上述の考察に照らしていけば、まず回向―サクリファイスとしての石積みを美術において考えてみればどうだろうか。。
 作品をつくる。絵を描く。絵具を塗る。タッチをそこに置く。それが自己を捧げようとすることであり、労働力と時間と手間と絵具という物質を捧げることであると考えるのは、芸術の起源からしても無理なく繋がってくる。 無数の石積み―手数の重なりは、無数の行為、無数の供物に比され、細密な装飾模様や宝石、金箔、モザイク、色彩の配置にもつながる。絵画における細密な描写、重厚なマティエール、過剰な筆触、絵具の物質性、、、など単純に再現描写のためからのみ動機づけられない側面もある。造形的美学的な問題を離れて観た時、このような動機がいかに表現を発生させ、表現を支えてきているかよく理解できる。
 そのような感情はまた、何か他者に「畏敬」を感じ、未知なる領域と関わりをもつ、距離をはかろうと欲する、、、という石積みともつながっていく。
 そもそも制作とは何ものか―よくわからない領域や存在に、より近づくため、関係をもつため、知ろうとするために試行することでもあるだろう。真っ白なキャンバスもそのような画家が直面する畏敬に満ちたフィールドであって、そこにまずいくつかの―様々な布石を打つ―何らかの印となる筆致を置くところから制作がはじめられるだろう。小石を神社に置くのはもしかしたらそのようなところともつながってくるのではないだろうか。
 次に禍や穢れを祓うために石積みを行なうという場合ではどうだろう。
 石―絵具―作品という媒体に自己の無意識、欲動、ネガティブな感情、執着心、我執、などを憑依させ自分の外に具体的なものとして摘出―視覚化するという美術制作のある側面。子供の発達過程や精神病患者における絵画療法にも通じ、多かれ少なかれ作品づくりが精神的安定や心の成長に関わってくるところでもあり、やはり関わりが深いと考えられるだろう。ある意味で普段子供たちは「厄払い」をかねて絵を描いたりものをつくっているのである。
 次に、死後の世界とこの世の境を封じる。死体の腐乱を隠し、荒魂を封じるための石積みを美術の文脈で考えたらどうなるだろう。
 例えばジャックソン・ポロックの言葉に「イメージを隠したい」という意味のものがあったと記憶する。ある意味で生み出されたイメージ・形象は、出来上がったとたんすぐに死に近づき腐乱し遺跡化してしまう。それゆえイメージはそのつど刷新され新しい行為で上書きされ消され続けなければならないのかもしれない。消され続けながらたえず新しくイメージの気配が立ち上り続ける空間。森の核心部分は常に秘められ隠されていなければならない。隠されながらしかし隠されれば隠されるほどその吸引力は増し、隠されるに足るものになって行く。境界が封じられることでかえって境界の向こう側が保たれ続けることができる。ポロックの生み出した画面とはそういうところがある。なんらかの始原的な魔物を呼び出しつつ同時に覆い隠し封じ込めようとする。その上でその魔物と一心同体に共に繁茂していく画面。だからそこには「匂い」や「音」や「気配」がいつまでも充満し続けるのだ。
 逆にそれが「灯篭」や「地蔵」といった「型」を踏まえた―その「像」に対する石積みである場合どうだろう。
 それら既成の「像」に積まれた石積みは像を覆い、像を不鮮明に隠し、やがて被膜を形成するだろう。その結果、「像」は単なる既成の「型」―記号から、それ以上の何ものか―石が積まれるに足る何ものかへ育っていく。そもそも「生きていない」―死んだものとしての形象―記号が、石積みのおかげで「生きたもの」―具体的な存在、唯一無二の固有なものとなっていく。例えば長年塗り重ねられた神像。金箔がはり重ねられた仏像等にも通じるだろう。ルオーの強固なマティエール、ジャスパージョーンズの謎めいた「旗」。筆触の重層が「型」を別物に、死骸としての遺跡から、芳醇な形象へ変えて行く。
 さらに「いま・ここ」の存在証明としての石積み。
 既にある置かれた石に促されながらも、そこにあたらしく付け加える自分の行為。そしてその連続した終わりのない行為の連なり。因果律。現在進行形のシステムとしての地場。まさにポロックが床に置いた布の中に入って絵具をたらし続ける制作態度と呼応する。それは「制作」というよりもひとつの地場への「参与」であり、システムへの参加である。そのかかわりが深まれば深まるほどよりかかわるに足るものになっていく。ひとたらし、ひとたらしの際限の無い連なり。その生起し続ける因果律の束としての空間。閉じられた疑似コスモスではなく、具体的に包みこまれ体感するフィールドとしての空間。
 我々が身近に経験する「石積み」の習俗には、近・現代美術で自覚されていくことになる様々な資質が既に具現されていたのではないだろうか。
 そうしてさらに我々はこの石積みから何を学ぶべきだろうか。