いじめない子供、いじめに負けない子供を育てる

いつからでしょうか、いじめによる子供たちの自殺が続いていますが、私たちはいったいどうしたら若い人たちの自殺の連鎖をくい止めることができるのでしょうか。いじめによる自殺が起これば、それは第一義的に学校の責任で、校長や担任教師の指導に欠陥があるせいだと決めつけるのが現在の状況です。確かに、大津市のケースでは子供も親もサインを発していたにもかかわらず、周囲の不作為による結果が招いた痛ましい出来事でした。しかし、私は学校や教師に責任を負わせ、学校を攻撃の対象として、そこで一つの区切りをつけるかのような傾向は、問題の本質を見ていないと考えます。私のまちの学校現場では、いじめ撲滅のための子供たちへの指導を重点的におこなっており、校長や教師はいじめ行為の有無を注意深く観察し、いじめがあればそれは卑怯な行為であることを教え、指導しています。私自身も、学校には子供達の救いを求める声に細心の注意を払い耳を傾けるよう要請しています。

しかし同時に、人間の本質的な性も子供達に教えるべきと考えます。子供達が大人になって社会で働けば、いじめ行為が、人間の本質に深く根ざす行為であることに否応なく気づかされるからです。大人社会のいじめは、それこそ想像を超える残忍なものといえるからです。パワハラ、セクハラ、アカハラ、さらに組織内の人事や権力争いと、数え上げればきりがありません。社会とはそういうものなのだ、ということを何らかの形で教える必要があるでしょう。心の教育の大切さが叫ばれても、どうやって思いやりのある優しい心を持った子供を育てる教育をすればいいか、今もって学校現場では試行錯誤が続いています。

私は市長就任以来、今までなおざりにされていた市のアイデンティティー「花いっぱいのまちづくり」を強力に推進しています。花が美しいのは、愛情深く丹精込めて育てた人の心が美しいからです。私たちはその美しい心に感動するのです。私は、東松山市の子供達に本格的に花を育てさせてみたいと思います。花壇でいいでしょう。土づくりから始めさせ、土を掘り、堆肥を加えて種をまき、毎日水やりをさせます。世話をしなければ、しおれたり枯れたりします。この過程を通して手間をかけ、注いだ愛情に応えて花が美しく咲いた時、子供達は真の喜びを体験することになるでしょう。そして、同時に優しい心根が育ちます。

それにしても、幼いころから愛情あふれる母性に育まれ、人を思いやる愛情いっぱいの優しい心を持った子供には恐らく、いじめという卑劣な行為は無縁であろうと思います。私の師事する「親学」の権威、高橋史朗先生から「しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせる」という教えをいただきました。「『しっかり抱いて』は、愛着を示します。母性で包み込むという特性で母性の本質、慈愛のことです。『下に降ろす』のは愛着からの分離です。いつまでも抱いていては自立出来ない。そこで下に降ろしてやる。子どもの我侭と対決して子どもの壁になり、それを乗り越えさせることです。ならぬものはならぬと教えることで、父性の本質に当たります。太陽の暖かさと北風の厳しさ。この2つがあってはじめて子どもを『歩かせる』、自立させることが出来ます」素晴らしいですね。

愛するという能力は磨かなければ育ちません。脳科学の権威でもある高橋先生によれば、人間の脳は3歳まで親に甘えて依存するプロセスのなかで、親心が育まれるように出来ている。愛情深く、情操豊かな人間に育てるには3歳までの親の愛情のかけ方が大切。ところが、日本では乳幼児から3歳児までの子育て代行システムが出来上がり、さらに拡大しつつある。このことは、女性の経済的自立とひきかえに子どもの脳に親心を育てるチャンスが失われる仕組みといえる。・・・家庭教育の再生こそ、いじめ撲滅の切り札と言えます。

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まずは意識の改革を。

心底悲しい思想です。
これが、我が東松山を支える市長の思想と思うと、悲しくてたまりません。

パワハラであり、セクハラであり、アカハラであり、それは人間の生来の性と言い切るその姿勢、いかがなものかと思います。
人間の攻撃性は生来より備わっているものではありますが、それが、◯◯ハラと言われるような人権をおかす行為の理由にはなりません。
大人社会のいじめを仕方ないものとすることは、すなわち人権侵害を容認しているのです。

子どもは、生まれる環境を選べません。
そして、子を産む親は、自分たちのおかれた状況下で、(それが子どものためか否かは別として)あらゆる手段を考え、今いる環境のなかで最善を尽くします。

家族は一様ではありません。
われわれが住む街の市長ならば、それぞれのケースとそのニーズに対応した柔軟な施策を考え、実行してほしいと思います。

『仕方ない』と切り捨てることは、『仕方ない』背景を持った市民を切り捨てることになります。

このようなことは、この記事の本意ではないとは思いますが、このような記事になるということは、市長の奥底に人権侵害やむ無しという思想があるからだと感じます。
市の改革の前に、森田市長の意識改革が必要なのではないでしょうか。
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森田光一

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