海蔵寺
 伝によると、当寺は往古西方村(桑名市)にあって東明山海善寺と称された曹洞宗の巨刹でした。
現在の場所(桑名市北寺町)に移って「海蔵寺」と改称しましたが、その時期は明らかではありません。
 当寺には、薩摩藩惣奉行平田靱負公、宝暦治水最初の犠歿者となった永吉惣兵衛・音方貞淵の2名をはじめとして、宝暦治水犠歿者24名の墓があります。犠歿者の弔いや埋葬については、多くの寺院が幕府を恐れて拒んでいる中で、快く引き受けたのが海蔵寺でした。
 海蔵寺には、宝暦治水の模様を伝える古い資料が数多く伝えられています。明治時代に宝暦治水の顕彰に尽力した西田喜兵衛に、これらの資料を提供すると共に顕彰活動に参加しました。
 海蔵寺では、毎年、平田靱負公の命日である5月25日には「薩摩義士追悼特別法要」が挙行され、薩摩義士の子孫や関係者など多くの方々が参列しています。
 その他、桑名市内には、長寿院(寺町)3名、
長禅寺(東方)1名、常音寺(多度町香取)5名
の犠歿者の墓があります。


海蔵寺


平田靱負公の墓


所在地 : 三重県桑名市北寺町

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