松本智津夫は「売り飛ばされた子ども」だった。少なくとも主観的には。 一度は地元の小学校に入学したにもかかわらず、11歳年長の全盲の長兄が学ぶ寄宿制盲学校に転入させられた。「いやだ、いやだ、今の学校に行く」と泣き叫んだが、両親らは転入を強行した。(高山文彦「麻原彰晃の誕生」文春新書)
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「兄が盲学校に行くのはわかります。どうして目の見える私を盲学校にいれなきゃならないんですか。私は親に捨てられたんですよ」──後に「彰晃」の名を授けてくれた男性に、智津夫は涙を浮かべて語ったとある(前掲書)。
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両親は冷たかった。やはり前掲書より。週末などの休みになると、他の生徒の親たちは盲学校の寄宿舎のわが子の元を訪れ、家に連れて帰った。季節の変わり目には新しい服を届けに来た。だが、智津夫の親は迎えに来ることはなかった。服も送らず、智津夫は上級生のおさがりをもらっていた。
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夏休みや冬休みなどの長期休暇で寄宿舎が閉鎖されるときすら、智津夫の両親は迎えに来なかった。寄宿舎に入っている3人の兄弟のうち、わずかに目が見える智津夫と弟は、全盲の長兄の手を引いて、遠く熊本から八代に、子どもたちだけで帰っていった。(有田芳生ら「あの子がオウムに!」光文社)
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寄宿舎の食費は免除、就学奨励金も配布された。両親はその奨励金を自宅に送るよう学校に依頼した。「智津夫の親は、就学奨励金を自分たちの生活費の一部に充てようとしたのである。六歳の智津夫は、いわば口減らしのために、この盲学校に出されたのではなかったのか」(高山文彦「麻原彰晃の誕生」)
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「のちに智津夫自身も『私の親は、国から下りる就学奨励金を自分たちのために使おうと、私からかすめ取ったんですよ』と(中略)打ち明けている。『かすめ取った』というのは事実ではないようだが、親にたいする智津夫の思いは、それほどまでねじくれていたということだ」(高山氏同書)
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視覚障害を口実に、親によって強引に家から引き離され、売り飛ばされたという主観的自画像──鍵となるのは、「目」「カネ」「家族」「親という権力者」そして「閉鎖環境への強引な隔離」。これらは、松本智津夫から「麻原彰晃」へと至る過程の言動にも、一貫して見え隠れする。
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まず「カネ」。「口減らし」というとき、一番の理由はこれだ。松本智津夫は、6歳から20歳まで過ごした盲学校在学中に、300万円もの金を貯めていた。寄宿舎の友人と熊本の街に出るとき、目が見える智津夫は案内役を務めるかわり、学友に盗みを強要した(高山氏著書)。カネへの執着は人一倍だった。
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そしてオウム真理教の数々のお布施の類。「最も初歩の段階の修行者のつとめは、『極限のお布施』。『ひたすら布施・法師を実践する。自分の財産は一円に至るまでお布施する』とある」(江川紹子「救世主の野望」教育史料出版会)
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「布施リストはNo.1とNo.2の二種類。No.1には現金、預金、株・証券をすべて記載する。切手やテレホンカードオレンジカード、商品券などの金券もだ。(中略)退職金や生命保険を解約したときに入る金額など、『将来見込まれるお布施』を書く欄もある」(江川氏同著)
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「遺産をすべてオウム真理教に寄贈し、葬儀は麻原氏によって行うとする遺言状も書く」(江川氏同著)。とにかく、ありとあらゆる儀式、修行、物品購入で、信者に法外な額の金を払わせ、智津夫はそれを自分のものにした。
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それがただの物欲だったのか。個人的には疑問に思っている。 地下鉄サリン事件発生後、警察の大規模捜索が入ったサティアンの小部屋に隠れ潜んでいるのを見つかったとき、智津夫は手元に1000万円近い現金を置いていた(当時の報道)。
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この1000万円は何だったのだろう? ただの吝嗇? 金の亡者というだけ? 「お金があれば、家を追い出されずに済んだのに」「だからお金は絶対手放しちゃいけない」という6歳の子どもの痛みを、そこに読み取るのは、感傷が過ぎようか?
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もちろん本人はそんなことは意識していなかったと思う。だが幼い日に奪われた大切なものを取り返してくれる(かもしれない)手だては、金しかない。彼には、それくらいしか手がかりはなかった。だから手元の金は、彼にとっては一種の「お守り」だったのではないか。
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むろん、6歳の日に戻ることなど出来はしない。だから成人した智津夫が自覚的にしたとは思わない。彼の無意識の中にいる子どもが、6歳のときから成長できずにいる子どもが、そうすることを強く望み続けた──被虐待児だった自分にはそう見える。「手に取るように感じられる」という感覚が正直ある。
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もう一つ、信者から徹底的に金を収奪したことは、「私の親は就学奨励金すらかすめ取った」という智津夫の言葉に符合する。かつての親と同様の立場に立って、信者の財産を思うがままにする。自分の幼児期への復讐が、そこに見え隠れしないか? 今度は自分が逆に「親という権力者」の立場になることで。
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そして「家族」。オウム真理教は「出家」と称して、信者を家族の元から徹底的に引き離した。信者から家族を奪い、家族から信者を奪った。智津夫が6歳のときにされたことを、信者と家族を相手に大規模に繰り返す、ただし今回は「される側」ではなく「する側」として──そう見ることは強引か?
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当時とっていたメモで、出典がわからないものがある。高山氏や江川氏、有田氏の本をざっと見渡しても発見できない。こんな記述だ。 ──智津夫は盲学校の文化祭で、悪漢に襲われた少女を救い出し、二人は結婚して食卓を囲む、という寸劇を演じた──何とわかりやすい「家庭」へのあこがれ。
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肉親の情を断つことを、松本智津夫は信者に教えとして固く言い渡した。一方で「自分は最終解脱したから」という理由で、どこに行くにも家族を連れ歩いた。ある信者から「最も心安らぐときは?」と問われて、「家族団らんのときかな」とまで答えている(前掲有田氏著書)。
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若い母親が子連れで出家しても、教団の中では親子別々に生活するよう強制された。自分が奪われた家族を、信者が持っていることに、彼は耐えられなかった──そう見ることは不自然ではない。人の家族を奪ったその環境で、自分は家族に囲まれる。この倒錯に、意味がないとは到底思えない。
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最後、これを書くのはつらい。「目」について。 目が悪くなければ、ぼくは家族から引き離されずに済んだはず──という智津夫の思いの原点。 窓がほとんどなく、外界が見えないサティアンが、視界を奪うことを類推させる、という程度なら普通にわかる。問題は、サリンという有機リン系毒物の特性だ。
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事件当日の朝日新聞夕刊社会面。松本智津夫が逮捕され、数カ月して出回った生い立ちの情報を読んでから、この紙面を改めて見直して、私の背筋は凍った。これはただの偶然なのか。智津夫の不幸のきっかけとなった目の障害。それを日本の中枢に再現する。そんな試みを読み取っていいのか。答えが出ない。pic.twitter.com/2unNUfIrPo
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そして、地下鉄サリン事件の被害者の70%は、いまだに眼にかかわる症状を訴えているという。https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20150409-OYTEW54882/ …
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松本智津夫に関する連続ツイート、書きながら精神的に参っていて追加投稿できませんが、当然ながら「主観」です。そもそも松本智津夫の無意識を追跡する趣旨なので、主観以外の方法は取りようがない。新聞記者としてはむろん異例ですが、公開が全く無意味とは思わない。そういう判断です。
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ちなみに私が本気の立証モードに入ったら、こういうことをやります。 http://thinkcopyright.org/tanji-book.pdf
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