北朝鮮による日本人拉致事件の真相に迫る! 第三部
拉致事件が、かくも発生から事実が確認され、そして国民の知るところにいたるまでに長い期間を要したかについての原因は一言で言えば日本の国会議員にあります。拉致事件の発覚は、海外で行方不明になっていた石岡亨本人の手紙がポーランド経由で石岡亨の家族の元に届いたことからわかりました。 ポーランド経由ということは、必死で自分の所在を訴え、救出を求めたということです。
この手紙によって行方が分からなくなっていた有本恵子を含む3名が北朝鮮にいることが判明したのです。しかし松木薫については、その手紙に正確な住所が記されていなかったため、家族には時間が経ってから知らされました。石岡・有本の家族は日頃から北朝鮮とパイプがあることをアピールしていた日本社会党系の政治家に助けを求めることにし、石岡亨の家族は札幌市の日本社会党北海道連合にも相談したのですが、「本部に連絡をするとか、国交がない国なので口外しないように」と言われてしまったのです。
「国交がないから」という言葉は、それ以降も外務省や様々なところで言い訳に使われることになってしまいました。特に悪質なのは、日本社会党委員長土井たか子であり、土井の事務所に相談したところ当初土井は有本夫妻に同情する姿勢を見せて暖かく対応したため有本夫妻は安心したのですが、その後土井事務所からは返事はなくなり、一切連絡が途絶えてしまったのです。それどころか北にとうとう拉致事件が明らかになりそうだと報告したのではないかと言われています。
社民党などは、党のホームページに韓国安全企画部や産経新聞の記事はデッチ上げの疑惑があり「少女拉致疑惑事件は新しく創作された事件というほかない」と事件の捏造を断定する趣旨の北川広和の論文を載せていたりしてます。弁護士の土屋公献(元日弁連会長)などは「拉致問題は存在せず、国交交渉を有利に進めたい日本側の詭弁である、日本政府は謝罪と賠償の要求に応じるどころか、政府間交渉で疑惑に過ぎない行方不明者問題や『ミサイル』問題を持ち出して朝鮮側の正当な主張をかわそうとしている。破廉恥な行動と言わざるを得ない。」と、講演で繰り返し主張していたのです。
当事自民の小沢氏、金丸氏は1990年には訪朝しています。どうやら拉致事件と言うことがあったと言われだしたその時期にです。後に述べますが警察のほうからも情報は当然入れてあります。にもかかわらず金丸、小沢、社会党の田辺、土井らは終始北朝鮮の金日成ご機嫌とりで、拉致について一切言及せず、後に発覚する金塊までお土産に帰国しているのです。
後に詳しく述べますが、警察によりどうやら北朝鮮による拉致事件であると確認された頃に拉致事件の被害者家族の方々とお会いした時も、全員が「政治家の人達が全く動いてくれない、外務省も相手にしてくれない、みんな国交のない国だからとしか言わない」と嘆いておられました。ある程度の情報を提供しながらも「希望だけは捨てないでください」との言葉しか当時もなかったというのが現状だったようです。
それでは当事の警察や、海保、海上自衛隊はどうだったのでしょうか。
現在のような最新設備の機器類はまだない時代です、領海警備を担当する海上保安庁は、当時はまだ武装工作船等への対処能力は持っておらず航空機等の配備も充分ではなかったのです。また拉致そのものが表面化していなかったため、北朝鮮による不法侵入をそんなには警戒をしていなかったのです。そして海上自衛隊は、拉致といった刑事事件的な事案に関与する機関では当然になく、当時はソ連の潜水艦への対処しか想定していない組織であったため、不審船の領海侵犯の役割はなかったのです。
そうなると警察です。警察は昭和35年の第一次日米安保の改定ころから共産主義等への見張りに力を入れだしていました。もちろん国内に潜入してくる北の工作員もマークはしていました。しかし数年後に控える東京サミットの破壊工作の工作員に追われたり、テレアビブの赤軍派岡本公三の銃乱射事件、ミュンヘンオリンピック選手村への赤軍派襲撃事件と続き、多少の油断もあり日本海側での事件となってしまいました。
しかしどうも不審な失踪事件はありそうだとのことで、各県警は懸命な捜査をつづけました。そうした1970年代の終わり頃でしょうかある県警が一つの乱数表を手にいれ、見事に解析をしました。このことで警察功績賞を授与されています。後で述べますがその乱数表の解析により、拉致はもちろん工作員の連絡方法手段までわかり、警察としては明確に拉致事件として認知したのです。
警察の北朝鮮に限らず、工作員だスパイだの、極左国内外のグループに対する捜査というのは本当に過酷だと思います。場合によっては何年もかけて相手側に潜入したり、相手側からの情報を取るために協力者も仕立てなくてはならないこともあります。相手を追尾するにも、向こうもプロですから細心の準備もしなければなりません。車の場合、交差点を利用して追尾車両を変えたりプレートナンバーも変える場合もあります。相手側に捕まりリンチさえあるそうです。時には面が割れ顔の整形手術をする人もいるそうです。場合によってはその家族のことも何年にも渡って警戒しなければならないこともあります。
当然北朝鮮による拉致があったということは、警察庁から外務省はもちろん法務省そして時の内閣にも報告されました。ところがこの時の答えはあの「国交のない国だから」ということで国会議員にも取り上げてもらえなかったのです。後に警察庁長官になる、当時警察庁城内警備局長は、転任するに当たり北朝鮮担当幹部らに、政治が人の命を脅かしている、今後の捜査に期待するとの訓示をしたといわれています。この城内長官の御子息が城内実議員です。
第四部に続く
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