本日午後10時からNHK・Eテレの「SWITCHインタビュー 達人達(たち)」でヒップホップグループRHYMESTER(ライムスター)の宇多丸氏と筆者との対話が放映される(再放送は7月14日午前0時~)。
「SWITCHインタビュー」は、異業種で活動する2人が、お互いにインタビューし合う番組で、これまで各界の著名人が登場してきた。
宇多丸氏は日本におけるヒップホップ、「日本語ラップ」を代表する人物であり、ラジオパーソナリティ、映画評論でもよく知られている。
筆者の方は、「災害民俗学」という領域を追いかけている在野の民俗学者という位置づけである。また編集者として活動している側面も紹介してもらっている。
しかし番組の企画テーマは、「日本語ラップと民俗学に共通する部分があるのか」ということであったろう。
日本人は“言葉”をどのように用いてきたのか、文字による記録や表現ではなく、“語り”によって伝えることの意味とは。また筆者が標榜する「21世紀の民俗学」は、ヒップホップやラップにも寄りそうことができるものなのか、といったテーマもあった想定されていたはずだ。
宇多丸氏とは今回が全く初対面だった。また筆者これまで、ライムスターのステージに足を運んだことはない。
企画テーマが結果としてどうだったかは番組を観て判断していただくとして、収録までのあいだに筆者が考えをめぐらせたことを紹介するので、少しでも視聴の参考になればと思う。
データ調査会社のニールセンが発表した2017年のアメリカの音楽売り上げデータによると、上半期に引き続きヒップホップとR&Bの売り上げがロックを上回り、年間を通してヒップホップとR&Bの売り上げが最も多かったという。
これは、史上初めてのことであり、ケンドリック・ラマーの『DAMN.』を始め、アルバム売り上げランキングトップ10のうち、7作をヒップホップ・R&Bが占める結果となった。
1990年代後半に登場したエミネムのように、アルバムのトータルセールスが1億枚を超え、2000年代に世界で最もアルバムが売れたヒップホップミュージシャンもいたが、ヒップホップは市民権を得たどころか、ポピュラー音楽の中心になったのである。
ヒップホップは1970年代初頭に、ニューヨークのサウス・ブロンクス地区で生まれた文化である。
1970年代当時はディスコが大ブームだった。しかし、貧しいアフリカ系アメリカ人の若者はディスコで出かけて、ダンスや音楽を楽しむ金銭的余裕がないため、公園に集まりパーティをするようになった。
彼らは、ターン・テーブルを家から運び出して、外灯のコンセントに差し込み、レコードを回したのである。
ここから、MCによるラップ、ブレイクダンス、グラフィティーなどが派生し、ブロック・パーティが生まれた。
こうしたムーブメントを牽引したのはクール・ハーク、アフリカ・バンバータ、グランド・マスター・フラッシュという3人のDJだった。
なかでも流行のディスコミュージックにこだわらず、知名度の高くないファンク、ソウル、R&Bのレコードを回していたクール・ハークは、ダンスする際、ブレイクビーツ(間奏)が一番盛り上がることに気づいた。
そして、同じレコードを2枚持ち出し、2台のターン・テーブルでつないで、ブレイクビーツを長く保った。これが、ヒップホップにおけるDJの基本となった。