この特別授業は2010年から毎年実施しているが、過去9回の授業では受講生の参加意欲は非常に高く、授業の狙いを的確に理解して、集団行動の効果に対する認識を深めているようだ。
屋外実習の後に受講生に書いてもらったレポートからは、彼らの多くが集団行動に参加するなかで、悪いことだとわかっていても気持ちがどんどん高ぶっていく経験をしていることが読みとれる。
実習後の授業で筆者はレポートの内容を以下の3つの論点に整理して、参加者がみずからの体験をファシズムの仕組みの理解につなげることができるようデブリーフィング(被験者への説明)を行っている。
①集団の力の実感。全員で一緒に行動するにつれて、自分の存在が大きくなったように感じ、集団に所属することへの誇りや他のメンバーとの連帯感、非メンバーに対する優越感を抱くようになること。
「大声が出せるようになった」「リア充を排除して達成感が湧いた」といった感想が典型的だが、参加者は集団の一員となることで自我を肥大化させ、「自分たちの力を誇示したい」という万能感に満たされるようになる。
カップルに何度も怒号を浴びせているうちに参加者の声が熱をおびてくる様子にも、そうした変化を見てとることができる。しかもそれが制服やロゴマークといった仕掛けによって促進されていることも重要である。
②責任感の麻痺。上からの命令に従い、他のメンバーに同調して行動しているうちに、自分の行動に責任を感じなくなり、敵に怒号を浴びせるという攻撃的な行動にも平気になってしまうこと。
「指導者から指示されたから」「みんなもやっているから」という理由で、参加者は個人としての判断を停止し、普段なら気がとがめるようなことも平然と行えるようになる。そこには権威への服従と集団への埋没が人びとを道具的状態(他人の意志の道具となる状態)に陥れ、無責任な行動に駆り立てていく仕組みを見出すことができる。
最初はまとまりのなかった参加者が教師の指示や周囲の動向に影響されて徐々に一体感を強め、積極的に大声を出すようになるのも、そうした他人任せの姿勢によるところが大きい。
③規範の変化。最初は集団行動に恥ずかしさや気後れを感じていても、一緒に行動しているうちにそれが当たり前になり、自分たちの義務のように感じはじめること。
「途中から慣れてしまった」「声を出さない人に苛立った」といった感想が示すように、参加者は上からの命令を遂行するという役割に順応し、集団の規範を自発的に維持するようになる。
これは人びとが自分の行動の責任を指導者に委ね、その命令を遂行することにのみ責任を感じはじめるという、状況的義務への拘束が生じていることを意味している。参加者はいつの間にか、教師と一緒に授業をやりとげようとする共犯者に変貌してしまうのだ。