ヘイトスピーチの話
今回はヘイトスピーチ関連について議論していきたいと思います。
某エッセイでは、ヘイトスピーチ解消法について、言論弾圧を招くまったくの悪法である、と主張されています。
さて、まずヘイトスピーチという言葉の意味をはっきりとさせておくべきでしょう。
"人種、民族、性別、宗教、門地、障害など、個人ではいかんともしがたい理由で侮辱的な発言をすること"
これくらいでしょうか。つまり、差別的な発言ですね。そして、ヘイトスピーチ解消法は、簡単に言えば、それらの差別的な発言をやめましょうという法律です。
まず、この法律が合憲であることを述べておきます。理由は二つあって、一つ目は日本国憲法第14条があるからです。
"すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない"
これが日本国憲法14条なのですが、ヘイトスピーチ解消法の理念と合致していることがわかると思います。ちなみに、14条に列挙されているものは例示的であり、14条に列挙されていない理由による不当な差別も許されない、というのが憲法学の通説です。
二つ目の理由は、ヘイトスピーチ解消法は規制や罰則を定めていない理念法だからです。もし仮に、規制や罰則が定められていると、基本的人権である言論の自由を制限することになりますので、これとの比較衡量によっては違憲となる場合も考えられます。しかし、ヘイトスピーチ解消法は言論の自由をきちんと考慮して、規制や罰則を定めていませんのでよく考えられている法律と言えます。
これでまず、ヘイトスピーチ解消法の合憲性は納得してもらえたと思います。ですので、ヘイトスピーチ解消法は決して悪法ではありません。そもそも一般的に考えて、不当に他人を侮辱したり、不愉快にさせたりする発言が不適切なのは当たり前です。なのに規制などを定めていないヘイトスピーチ解消法を悪法だという主張はひねくれすぎているように思えます。
しかしながら、某エッセイの作者が主張する通り、ヘイトスピーチ解消法を拡大解釈したり、不当に適用したりすれば、言論弾圧となる可能性もあります。その時に大事になるのが、司法なわけですね。つまり、裁判を起こすわけです。そもそも、行政権や立法権の暴走を防ぐために、我が国では司法権をきちんとこれらと分立していますから、行政権が暴走した場合は、この場合はヘイトスピーチ解消法の不当な適用ですが、裁判できちんとストップをかけようというのが、我が国の三権分立なわけです。なので、言論弾圧となるような場合は、裁判を起こせば救済されるはずなんですね。
ここで、そのヘイトスピーチ解消法の不当な適用の「不当な」ってどのくらいだよって思った方もいると思います。非常に鋭いです。結局、裁判を起こしたとき、この「不当な」という点の解釈で判決が大きく左右されるわけですね。
では、その解釈の幅はどのくらいでしょうか。実はこれ、結構狭いんです。その理由をこれから説明していきます。
まず先程、三権分立の話をしましたが、これが重要になってきます。もし、裁判所がかなり広い範囲で法律の違憲性や、政府の活動の違法を判断できるとしたら、それは裁判所が間接的に立法権や行政権を持つことになってしまいます。つまりは、裁判所の顔色をうかがいながら法律を作ったり政策を行っていかないといけなくなるわけです。これではダメですよね。さらに、我が国は議員内閣制で立法権と行政権がはっきりと分立しているわけではありませんから、そのぶん司法権の独立はとても重要です。ですので、基本的には裁判所はあまり口を出せないわけです。
では、どのようなときだったら違憲性、違法性を判定できるのかと言いますと、いろいろな基準が存在しています。説明はしませんが、気になる人もいると思いますので、有名なものを後書きに挙げておきます。
では、ヘイトスピーチ解消法のときは、どんな基準が採用されるかと言いますと、まだ判例が出ていないのでなんとも言えませんが、私はたぶん比較衡量だと思います。どういうことかと言いますと、ヘイトスピーチ解消法によって損なわれる様々な利益と、ヘイトスピーチ解消法によって生じる様々な利益を天秤にかけて決めるわけですね。そして、そのひとつひとつの利益の重さは、またしても様々な要素を考慮して合理的に決めるわけです。
これを聞いて、言ってることは納得できるけれども、なんかはっきりしないなぁと感じた人も多いかと思います。私は憲法を学んだときにそう思いましたが、これはある程度仕方のない面があります。なぜなら、国家の発展により社会がものすごく複雑化したからです。例えば、情報化社会の発展により、プライバシーの侵害が問題になりましたよね。結局これも、プライバシーは、個人個人の社会的属性などを考慮しないといけないために、非常に多様です。そんなプライバシーの権利と知る権利を比較衡量するわけですから、あいまいに、裁量の余地を十分確保したものになってしまうわけです。
さて、ここまでの説明でヘイトスピーチ解消法は、基本的には正当性のある法律だけど、言論の自由との衝突もあるよ、ということは理解して頂けたでしょうか。法律の話が出てブラウザバックした人も多いと思いますが、ここまで読んでくださった方には心から感謝を申し上げたいと思います。
法律の話ついでに、憲法の基本的な概念の「公共の福祉」について話をしておこうかと思います。皆さんもこの言葉は聞いたことがあるかと思いますが、これはかなり抽象的な概念で、私は正確かつ分かりやすく説明することができません。個人的には、「社会の利益」「みんなの利益」くらいなのかなと思っております。
さて、この公共の福祉ですが、かなり尊重されていて、基本的人権のうち、内心の自由以外のすべて人権はこの公共の福祉の制約を受けると言われています。つまり、言論の自由も制約を受けます。これは言われてみれはば当たり前で、例えば他人にどんなことを言ってもいいわけがないことを考えれば十分納得できると思います。ですが、某エッセイの作者は、このことが頭にないと思えるくらい、言論の自由を叫んでいますよね。なので、こんなに長々と議論しなくても、公共の福祉という言葉だけで、ある程度の説得力を持ってヘイトスピーチ解消法の正当性を主張できるのかなという気もします。みなさんはどうでしょうか。
次は、ヘイトスピーチ解消法がなぜ作られたのか、という話をしようと思います。皆さんも是非考えてみてください。
有名な基準を挙げておきます。
二重の基準論
厳格な基準として、明白かつ現在の危険の原則、LRAの基準、明確性の理論、過度の広汎性の理論、
事前抑制禁止の理論
緩やかな基準として、明白性の原則
絶対的な禁止として、検閲の禁止