プライムニュース 毎週月曜~金曜よる8:00~9:55(生放送)

テキストアーカイブ

2015年3月20日(金)
サリン20年オウムの闇 元警視総監語る舞台裏

ゲスト

井上幸彦
元警視総監
古市達郎
元公安調査庁参事官

今明かされるオウム捜査の真相
佐々木キャスター
「地下鉄サリン事件の被害を振り返っていきます。事件が起きたのは、20年前です。1995年3月20日午前8時頃、東京都の営団地下鉄、現在の東京メトロで、丸ノ内線で2本、日比谷線で2本、千代田線で1本、地下鉄の車内に合計5本の化学兵器の神経ガス、サリンが散布されました。結果、乗客や駅員ら13人が死亡、6300人以上が負傷しました。井上さん、当時を振り返ってみますと、本当に首都の中枢で一般市民に対して、化学兵器が撒かれたテロとしては史上初で、全世界に衝撃を与えたと思うのですが、現在となって、どういう事件だったと思いますか?」
井上氏
「あの時は、麻原という狂気の宗教指導者が、自らの野望、すなわちオウム王国をつくるためということで、信者を洗脳し、自分でコントロールするようになって動いてきたわけです。彼は、平成7年の秋口にハルマゲドンが起きると言った。これは起こすのですが、そういうための準備をしている。そういう中に置いて、平成7年2月28日にとうとう警視庁管内、大崎警察署管内で、仮谷さん拉致事件を引き起こしてしまったんです。仮谷さん拉致事件を起こして、我々はようやくオウムとの対決するきっかけをつかまえることができた。それで捜査体制を組んで動いていくわけですが、彼らは、それまで警視庁管内ではあまり事件を起こすのはやばいよということを思っていながらも、平成7年の秋、ハルマゲドン説があるものだから、どうしても準備をしなければいけない。と言うことで、仮谷さん事件を起こしてしまった。とうとう警視庁との闘いが始まる、こうなるわけです。彼らは当時、情報収集能力が結構高くて、そのために警視庁もXデーを発表しているわけではないけれども、その日というのはどうも3月20日前後だというように、彼らは情報をとるわけです。その結果、警視庁を動かせなくするには警視庁のお膝元である霞が関駅を狙って、とんでもない事件、すなわち地下鉄サリン事件を起こす。そうすると、警視庁は攻めてこられなくなるだろうと。これが麻原の狙いであったわけです」
反町キャスター
「サリン事件の狙いというのは、オウム真理教に対する強制捜査を警視庁に打撃を与えるところによって阻止するということ?」
井上氏
「まったくその通りです」
反町キャスター
「先送りにする?」
井上氏
「その通りです」
反町キャスター
「そういうことですか?」
井上氏
「もともと彼らの考えはそうです」

その時 警察はどう動いたのか
佐々木キャスター
「3月20日時点で、一報を聞いた時、これはオウムなんだということに直結したのですか?」
井上氏
「これは爆弾事件ではないかと。まず一報は。それは、警視庁がそれまでに経験した被害者がたくさん出る事件というのは、三菱重工事件みたいな爆弾事件です。それであちらこちらで起きている。これは爆弾ではないかということで、一報を入れてしまったんです。それが爆弾情報ということで流れていた。だけれど、なかなか何が起きたのかがわからない。ただ、私自身はいずれにしてもXデーは外に発表していませんけれども、3月22日と考えていますので、予定をしていますので。だから、それを抑えるために、彼らがやったなという感じはしました」
反町キャスター
「すぐにオウムが頭に浮かびましたか?」
井上氏
「浮かびました」
佐々木キャスター
「そのテロを受けても、なお強制捜査を22日に予定通り行った。ここはなぜだったのでしょうか?」
井上氏
「私の考えは、我々が立ち上がるというのは、拉致された仮谷さんを生きたまま救出するということ。それから、拉致事件の被疑者の1人、松本剛という男を捕まえると。この目的のために立ち上がるわけです。だから、目的のために、これをずらす、あるいは都内でやったのでは、警視庁は本気じゃないということになる。いよいよ彼らにとっては、麻原の言うことは正しいと。警視庁はビビりだしたよと。こうなるんです。これは、我々は捜査という手段を使って彼らと対決する。だから、これは闘いだと。だから、この闘いに勝つには、我々が攻めていって相手を追い込んでいく。攻守ところを変えさせなきゃ、この闘いには勝てないということが、私の考えだったんです」

警視庁はオウムの犯行を認識?
佐々木キャスター
「オウム真理教が起こした主な事件をまとめています。地下鉄サリン事件を起こす1995年の前にもたくさんの事件を起こしているんです。特に、前年6月です。松本サリン事件は6月に麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の指示で神経ガス、サリンを散布し、死者8人、600人以上の負傷者を出した、松本サリン事件が起きました。どの段階で、サリンがオウムと関わりがあるという可能性について、キャッチされたのでしょうか?」
井上氏
「平成7年1月1日付の読売新聞が上九一色村、彼ら拠点の周辺の土砂を採ってきて、それを科学警察研究所で分析したら、サリンの反応が出たと。こういう記事が出たわけです。それで彼らはこの記事を見てびっくりして、これは松本サリンと自分達を結びつけられてしまう。これは危ないということで、サリン工場と言われた第七サティアンを潰しにかかる。証拠隠滅にかかるわけです。それで、あそこを潰し、ちゃちなシヴァ神像なんかを祀って、宗教学者を呼んで来て、ここは我々の神聖な礼拝の場所だというようなことを言って、彼らに疑惑の目が及ぶのを、ひたすら、かわそうとした。そういう状況だったんです」
反町キャスター
「読売新聞のこの1995年1月1日のスクープというのは、インパクトがあったたんですね」
井上氏
「ありましたね」
反町キャスター
「その時に、井上さんは、これはそのまま東京におけるサリンのテロにまで結びつけるような、これは危ない、東京は危ないぞという意識だったのですか?」
井上氏
「まだ、警視庁管内では、具体的にそういうものはないし、我々は長野で動いている状況というのはずっと見守っているということですね」
反町キャスター
「ただ、この報道を見た時に、サリンとオウムというのが頭の中で結びつくという部分は?」
井上氏
「あります」
反町キャスター
「この頃に、たとえば、実際の死傷事件とか、そういうのがなくても、東京都下においても、たとえば、金品目的のお布施を巡る財産の問題とか、家族が入ったまま、出家したまま帰って来ないとか、そういうレベルの問題というのもあちらこちらであるではないですか?」
井上氏
「あります」

事件はなぜ防げなかったのか
反町キャスター
「問題の主体となっているオウムと、それとサリンを持っているオウムというところで、当時、まだ大きな事件を起こしていないオウムとして捜査の手を進めていくというのは難しいものなのですか?」
井上氏
「なかなか難しいです」
反町キャスター
「どう難しいのですか?」
井上氏
「被害者が具体的にこういう目に遭っています。だから、助けてくださいというものがあれば、動くきっかけになります」
佐々木キャスター
「刑事事件という意味で助けてという?」
井上氏
「そうです。だから、結局オウムがあそこまで増長していったというのは、1つには、警察的に言えば、信教の自由に問題があって、迂闊な形で動いていくと、彼らに宗教弾圧だという口実を与える。これは行政も同じで、変な建物をつくったりして、行政的に本当は立ち入り調査をしたい。けれども、うっかりすると宗教弾圧という口実に使われるというような、躊躇する部分があったことは事実だと思います」

麻原逮捕 オウム捜査の舞台裏
佐々木キャスター
「地下鉄サリン事件から2か月が経った5月16日に麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚が逮捕されました。その指揮を執ったのが井上警視総監だったんですけれども、麻原逮捕に向かう当日の心境というのはどうだったのですか?」
井上氏
「いよいよ麻原彰晃を捕まえることができるんだというようなことで、当日は、私どもは朝から警視庁の総合指揮所に入りまして、状況を見守っていたのですが、時間があんなにかかるとは思っていなかった。もっとはやく発見できるのではないのかと。第6サティアンにいることは間違いない。これは確信を持っていた。ところが、なかなか姿を見せない。どうしたのだろうなという不審の念がありましたけれど。ただ、警視庁がこれまで操作を積み上げてきて間違いなく第6サティアンにいると自信を持っていましたから、これは時間がかかっても必ず結果は出してくれる。それをじっくりと待つしかない、こういう思いでした」
反町キャスター
「逃亡している可能性は頭の中をよぎったりはしませんでした?」
井上氏
「あり得ないです。と言うのは、警視庁部隊を含め、捜索に入って以来、ずっと周辺を取り囲んで捜索の連続をやっているわけです。だから、これはもう出ようがない。ただ、彼らは麻原があたかも外にいるかのように、ある時には京都のホテルに現れたと。あるいは三重県に現れたとか。そういうガセ情報が巡った。それはマスコミを通じてです」
反町キャスター
「そういう意味で言うと、要するにメディア戦が展開されたということですか?」
井上氏
「ありましたね。だから、そうやって、彼らは麻原は第6サティアンにいないんだよということを、何としても印象づけたかったんです。こちらの目が逸れることによって、本当に脱出させようという思惑はあったのではないでしょうか」
反町キャスター
「見つけたという一報はどのように現場に入っていったか。中に入った捜査官が、屋根裏だか、何かパネルを外したら中にいたという、話はあとで聞くのですが、それは総監の耳にはどうやって入ってきたのですか?」
井上氏
「テレビを見ていたんですけれども、それは通信の情報でも入ってくるのですが、そうした中、何回か捜索に入っている警察官がいつもと違うものを見つけ出すんですね。天井裏から張り出したような部屋を。これはおかしいなと。こんなものは前にはなかったということでトントンと叩いてみると空洞の音です。これはおかしいということで引っ剥がしてみると、麻原のいつも着ている紫色のクータが見えて、麻原だろと言ったら、はい、ということでわかったわけです。麻原を引きずり出して逮捕をしたと。こういうことです」

今、語られる教団幹部自供の真相
佐々木キャスター
「地下鉄サリン事件から麻原逮捕まで2か月近く要しましたね。なぜここまでかかったのですか?」
井上氏
「これはまだサリンをつくったという証拠を掴んでいないですね。だから、そういうことで周辺情報からだんだん攻めていき、どうもこれこれの人間が中心になってつくってきたというようなことは、証拠固めをしているわけです。そこまではできたと。ところが、幸いなことに警視庁の捜査官が優れているのは、素晴らしいのは、5月の初めに林郁夫担当の捜査官が、夜いったんは林郁夫が房に帰されるのですが、いや、今日は何としても、私の担当官にお話をしたいということで、担当さんを呼んでくださいということで、呼ぶわけですね。そうすると、捜査官は房に帰ったから本当は帰ったっていいのですが、ちゃんと署で寝ているんです。それで起きてきて、何だと。明日ではいけないのかと。私はどうしても今日話をしたいんですということで、全容を話すんです。その時に、彼は、私も実行行為者ですと。だけど、あなたは医者でしょう、先生でしょうと。先生がそんなことをやるわけはない。人の命を救う立場にある先生が何でそんなことを言うのか。誰かをかばっているのかということまで言うんです」
反町キャスター
「そういうロジックですか?」
井上氏
「そうです」
佐々木キャスター
「あなたはやるわけがないと?」
井上氏
「そう。だから結局、林郁夫はその捜査官の心根にまいるわけです。この人なら信用をして、自分のやったことを、本当のことを話すと。自分にも葛藤があるわけです。医者でありながら、実行行為をやってしまった。だから、全てを話すことによって、自分 も救われた。こういう気持ちになったのだと思います」
反町キャスター
「林郁夫が自供した。その自供の内容を他の被疑者に、容疑者にあてていくことで全部どんどん倒れていくものですか。それとも彼が言っていることは知らないと…」
井上氏
「ですから、皆マインドコントロールされていますから、なかなかそこまでいかないです。だから、何にしても、結局、5月16日、全部の逮捕状をとってやっていくと。もちろん、脇をかためる捜査もやります。そういう中において彼の供述というのが、まさしく軸になって、全容解明というものに進んでいったということだと思います」

なぜ破防法を適用できなかったのか
佐々木キャスター
「幹部達が逮捕され、地下鉄サリン事件の全容が解明されていく中で、オウム真理教に対して、解散を視野に入れた破壊活動防止法、破防法と呼ばれる団体活動の規制に対する処罰の適用が検討されました。破壊活動防止法を見ていきたいと思いますが、解散の指定を受けるとどうなるのか。処分の原因となった暴力主義的な破壊活動が行われた日以降、その団体の役職員、または構成員であった者はその団体のためにいかなる行為もしてもならないと定められています。これに反すると3年以下の懲役、または5万円以下の罰金が科せられます。古市さんは、破防法適用の調査に尽力され、事件のあった年末にはいよいよ適用かということに関して尽力されたわけですけれども、破防法が適用するかに関してはどういう条件が必要だったのですか?当時は」
古市氏
「まず破壊活動をやった団体であると。再び継続、反復して破壊活動をやる危険性が非常に高いという前提で、これは何としても解散させなければならないということで、規制請求をやるんです。規制請求というのはいろいろ世界の国によっては、構成員を全部、一網打尽にして、直接、裁判で処刑してしまうというような国もないわけではないですが、日本の破防法は非常に、そういう意味では、人権に配慮し過ぎたようなものでして、ただ、先進諸国が皆こういう、もちろん、これはご理解いただけると思うのですが、個人の犯罪と団体でするというのは、規模からスケールから全然違うんです。団体のそういった暴力主義的破壊活動というのは、そういう意味では、非常に公共の安全にとって危険度が高いということで、これは何としても、その団体をご紹介のあった8条に書いてありますように、これは、実態は解散という言葉を使いますけれども、これは団体としての活動を全て凍結する、氷漬けにするというだけの話です。だから、そのあと構成員だった方達が一切、団体のためになるようなころができないということで、団体としての、そういった行動ができなくなると、結果的に。そういった効力を持つ法律です」
反町キャスター
「そうすると、結果もしうまく成立した場合に、成立したあとというのは全然、状況が変わっていたはずなんですね」
古市氏
「そうです。これは解散指定の決定が出れば、警察に普通に働いていただくことになるんですけれども、今ありましたような違反行為があるか、ないか。全部、その当時のサリン事件を、松本サリン事件で実は請求したのですが、その当時の構成員だと、役職にあった者全て監視下に置いて、こういった行動違反があるか、ないか。ただこれが8条をご覧になって、法律にかなり専門知識のある方は不思議に思われるかもしれませんが、非常にアバウトな記載になっています。罪刑法定主義的に言えば、そうです。その団体のためにするいかなる行為とはいったい何だろうということが、非常に難しい問題があるんです。これは所管庁で決定が出る前提でいましたから、これはどういうことだということを広く国民の方々に、あるいは構成員の方々に知らせなければならないと。これを取り締まる側の警察もしっかりそういう前提で捜査活動に入らなければならないということで」
反町キャスター
「適用する側も難しいし、適用したところ、実際にどのぐらいの効力があるかというと、手足を縛られているのですか?」
古市氏
「それはきちんと、こういうことはしてはならないということで、しっかりと、例を挙げながら決めて、広く説明して、こういうことはダメですよということを、示そうということはやっていました。それは全て検討結果が出まして、内部ではつくってあったんですけれども、それは残念ながら、公表するに至らなかったということです」
佐々木キャスター
「その結果、本当に適用されなかったわけですけれども、これはなぜだったのでしょうか?」
古市氏
「これは時系列的に、少し見たいんですけれども、まず事件が起こった3月です、1995年の。これは、実はかなり破壊活動そのものだと。これに適用しないで何を適用するんだという一応考えで、適用請求の準備をしました。7月ぐらいに確か長官が交代したと思うのですが、当然、それから、規制準備作業に入りまして、9月にそのための本部をつくりました。ただ、当時、村山さんの自社さ政権で村山さんが総理大臣ということもありまして、また、法務大臣の方もかなりリベラル的な方だったかと思います。なかなか規制請求の手続きを始める際、相当、説得するのに時間がかかりました。10月頃に、確か宗教法人解散の決定が裁判所から、確定したのが1月ですか、最高裁であったんですけれども、とりあえず宗教法人としての解散ということで宗教法人にいろいろな意味で、ブレーキが大きかったと思うのですが、官邸も遂に総理大臣も規制請求せざるを得ないということを、決断されまして、12月に…」
反町キャスター
「1995年の12月ですか?」
古市氏
「そうです。はっきり出たと思います。それで、この規制請求、破壊活動団体の団体規制というのはまさに国家レベルの典型的な危機管理の装置で、将来の危険性を未然に防ぐという意味で、これは迅速にやらないと、危険性がある以上、迅速にやらなければいかんというのは、たとえば、公安査委員会で決定が出ましたとしても、そのあと抗告訴訟というのを起こすことができるんです、その受けた団体が。これは、実は法律にはっきり書いてある珍しい法律ですけれども、100日、全ての継続裁判の順序を優先させ、100日で決定を出さなければいけない規定が書いてあるぐらいで、この裁判手続きも3か月以内と。この先に弁明手続きというのがあるんですけれども、これは団体側の言い分、言い訳、それを聞こうじゃないかと…」
反町キャスター
「つまり、麻原の言い訳ですね?言い分?」
古市氏
「これは法律には別に代表者とは書いてないし、代理人でもいいし、という形になっています。5人から聞きなさいと、数まであるんですけれども。ただ、オウムの場合、全て麻原に絶対服従ということで、だから、麻原が全てオールマイティだという認定の下に、これを規制請求しているんです。だから、かなり法務省内で意見が分かれて両方ありまして、麻原から直接弁明させなければ意味がないという強固な意見と、とりあえずそうでなくてもいいのではないかと、団体の代理人でもいいのではないかという意見の、両方があったんです、確か。だけど、要するに、迅速さが命ですから、そのために公共の安全を確保するためにやらなければいかんということで確か翌年1月、第1回の弁明手続き…」
反町キャスター
「1996年の1月?」
古市氏
「1996年1月18日でしたか、これをやろうということで、決めて公示しました。実はその時、麻原はいろんな事情がありまして、法務省の大幹部も絶対出せと。そういう前提で急遽、私は会場づくりとか、事務職員として全部の責任者だったんですけれども」
反町キャスター
「つまり、1996年の1月18日、第1回の弁明をやろうと。公安調査庁、法務省の方はそれをやろうと思った?」
古市氏
「はい」
反町キャスター
「その時、(麻原の)身柄はどこにあったのですか?」
古市氏
「警視庁にありました」
反町キャスター
「警視庁と法務省は道を挟んだ反対側ですね」
古市氏
「そうです」
反町キャスター
「警視庁の取り調べが続いている中で、公安調査庁の方でちょっと我々の方でも破防法の適用に向けて、本人からの弁明をとらなければいけないので、身柄を貸してくれということになるわけですか?」
古市氏
「という要求を確か出した経緯があったと思います。ただ、それについてもいろいろな意見がありまして、第1回の麻原の刑事裁判がまだ始まっている前だから、非常に難しいのではないかと。警視庁の事情もあるからという意見も実はありました。だけど、弁明というのは、こういう団体の性格だと決めつけていますから。麻原の全てだと。本人から言い訳を聞かないとしょうがないということで…」
反町キャスター
「警視庁から身柄を貸してもらえたのですか?もらえなかったのですか?」
古市氏
「もらえなかったですね。3月いっぱいまで。4月から一応検察庁に送検されますので、東京拘置所の方の所管になるということで、そうすると、法務省の矯正局の預かることになるので」
反町キャスター
「井上さん、身柄のとりあいを、道を挟んだ反対側で警視庁と公安調査庁で、麻原を貸せ、いや、貸さないというような話に聞こえるんですけれど」
井上氏
「いや、とりあいというよりはまだ麻原の捜査がずっと続いていますので、それを集中してやりたいわけです。そのためそれと破防法がそもそも弁明を聞くという手続き。これは獄中にある者を出してきて、聞くという想定をしていないんです。ここが問題です」
反町キャスター
「そうすると、街中に普通にいて、生活している人間から弁明を聞くという前提の法律になっていると?」
井上氏
「そうでしょうね。ですから、そういうこと想定していないから、その段階で、公安調査庁の弁明の場所に連れて行った時、その間は誰が守るんだと」
反町キャスター
「道の移動を?」
佐々木キャスター
「警備的なということですか?」
井上氏
「道の移動は、これは警視庁やりますけれども、弁明の場所です」
反町キャスター
「手続きにおいて、どうこうということよりも、警視庁として毎日毎日、取り調べを続けていく中で今日の供述、昨日の供述、ここが違っていると、毎日ちょっとずつ変わっていく部分というので突破していこうと思って、毎日やっているはずですよね」
井上氏
「そうです」
反町キャスター
「その中で、1日や数日、道の反対側に持っていかれることが捜査の遅滞につながるという懸念はありましたか?」
井上氏
「結局は、麻原が出て行っても弁明しないと僕らは思っていますから。ダンマリですよ。こちらの取り調べにも、それが多いですけれども、だから、そういう行政手続きの場合、司法手続きにのった人間を、行政手続きの場にのせるというのは…、要するに、弁明というのは行政手続きにのった行為です。司法手続きというのは逮捕して調べると。それを想定していないところへ連れて行くというのは、冗談ではないと、我々はしっかりと麻原の内情について検察庁に送るまで、終結するまで責任を持ってやるのが筋ではないかというのが、私の考え」

オウム真理教の現状とは
佐々木キャスター
「現状については」
井上氏
「公安調査庁の方が観察処分ということで彼らに報告を求め、あるいは立ち入り調査ということで、彼らの実態を把握しているわけです。それに基づいて、我々は彼らの危険性がどの程度あるんだということを分析、あるいは監視しているという状況ですね。ただ、現段階で本当に麻原が外に出ていた時と同じようなことをできる能力を持っているかどうかというと、これはちょっと違うと思いますね。だから、状況をつぶさに見ていく、そういう段階ではないでしょうか」
佐々木キャスター
「現在も信者の方にとって、麻原死刑囚というのは強いカリスマで、強い信仰心というのを持っているのですか?」
古市氏
「と見られていますね。結構、東京拘置所の周辺に集まって、麻原を崇拝するような、帰依するというような、いろんな行動というのが見られるんですね。だから、そういったことは通常完全にふっきれておれば、そこまで普通はやるはずがない。だから、その服従心というのは強いものがある、引き続き」
反町キャスター
「再びまた事件を起こす可能性があるという、そこまで見ていますか?」
古市氏
「何とも言えないです。と言うのは、先ほどちょっと説明不足だったのですが、公安審査委員会が最後は棄却決定した。これはいろんな事情がありました。裁判官に強い人がいまして、その人はおそらく裁判官が信用性ないと言えば、他の人達6人のメンバーですよ。そうしたことで結局、棄却になったのですが、その理由の1つに将来に危険性がある行動、サリン事件以降何もやってないではないかと。反復して継続して危険性というものは薄いのではないかというのが理由に入っているのですが、本当はおかしいですね。彼らは破防法が適用されないために必死に行動を慎むというか、何もやらないということで、これはそういう指示も出ていたぐらいで、だから、その他に手続きが進んでいる間はやるわけがない。身を潜めるというのは当然なことで、それが危険性の反復継続の証拠にならないと言われたのは非常に心外だったということですね」
佐々木キャスター
「20年が経って破防法は適用すべきだったと思っていますか?」
古市氏
「あの時、しておけばよかったという後悔の念は現在でもあります」
反町キャスター
「破防法を適用しておけばよかったという気持ちはありますか?」
井上氏
「それはあります。それは破防法を適用して、解散指定をすれば一切組織のために行動ができなくなる、決め手になったと思います。それを見送ったということで、国際的に日本はテロに甘い国だという印象を持たれたのは大変残念でしたね」
反町キャスター
「日本はテロに甘いと?」
古市氏
「その可能性は大ですね。影響が大きかった」

教義は受け継がれているのか
反町キャスター
「一方、現在のオウムの組織には若い人達が入っている。20年前に何があったかを知らない人達が入ってきている」
井上氏
「そうです。結局、あの後継組織の前を辿れば、とんでもない事件を起こした。それを知らない世代が安易にパンフレットをもらったり、あるいは教団施設に行ったりが続いています。事件を風化させないということを我々は必死になってやっていかなければいかんと」
反町キャスター
「日本の現在の若い人達、社会に不満を持っている人達がオウムに吸い寄せられていくような、そんな現象への危惧というのは持っていますか?」
古市氏
「そういう人もいるということです。オウムの勧誘の仕方が非常に巧妙で、たとえば、街頭で声をかける、書店で本を立ち読みしている若者に声をかける。あるいはヨガの教室、これが結構魅力があって、ヨガをやってみたいと。健康上の問題もあって入った人達をその中で親しくなって、虜にしてしまうというようなやり方がいろいろありまして、これは普通の商品の販売でもいろんな営業活動もあると思いますが、そういった巧妙さによって、たまたまそういうのに引きずられていくというのは、だけど、若者達がもし自分の確固たる生活の基盤というのがあり、愛する家族がいて仕事も順調だというようなことであって、あるいは自分のこれからの人生にやりがいがあってと、そういった希望も全部あるというような若者が多ければ決してそういう誘惑にはのらないと思うんです。だから、そういった現代社会全体の問題点が、たとえば、欧米諸国からイスラム国へどんどん若い世代がイスラム教信者に限らず、行っているというところと何となく共通するものがあるのかなと。だけど、これは本当に難しい問題です」

オウム事件を風化させないために
佐々木キャスター
「現在の日本に一連のオウム事件で得た教訓が活かされていると思いますか?」
井上氏
「警察的に言って管轄権の問題がありました。警視庁管内で何かをやらなければ動けなかったという。これは法律のある意味での欠陥を突かれたような感じがするので、そこは改正しまして、必要があれば、警察庁の調整によって、警視庁がよその県にも出張れるというようなシステムもつくることができましたね。もう1つは、あの事件が起きた時、私もびっくりしたのですが、防犯カメラというものがほとんどないんですよ。僅かにJRの駅にあるぐらいで。これは同じような事件を起こさせないためにも、どんどんいろんなところに働きかけ、防犯カメラを増やしていこうではないかということであって、各社も一生懸命やってくれて、かなり数が増えてきましたね。それと通信機器の類も飛躍的に増えてきました。と言うようなことで、かなりテロに対しての警戒、そのための装備、資機材はどうなのかと、科学防護部隊というのもできました。そんなふうなことであの教訓というのは活かされて、現在途上にあるのではないかと思いますね」
古市氏
「私は危機管理という観点からお話ししたいのですが、危機管理というのは2つ局面がありまして、まずこういった大きな危機を起こさせない、やらせないという面と、そのための対策を完璧にすると。もう1つ、それでも万が一起こってしまった場合、すぐ迅速に、的確に命をまず救うと。起きた時の対応のあり方というのを準備しておくというのが非常に大事ですね。この事件を振り返って見ますと、サリンという経験したことない、人を殺傷するだけの化学兵器を使った大事件だったと。実際この時、被害を受けられた方の救護体制がどうだったかというと、非常に現場が脆弱だったと言わざるを得ない。担ぎ込まれた聖路加病院でも、たとえば、軽傷から順番に見ていく、介護を一生懸命やられた医師とか、看護師が結局、サリンガスを吸ってしまって、多くの方が後遺症に悩まされるとか、これは現場でサリンガスが服についたのが、そのまま付着し、夕方目の前が真っ暗になっていくとか、いろいろなことがありまして、要するに、こういったことに対応する対応の仕方が日本社会に十分準備されていなかったと。これはサリンに限らずいろいろな事案がこれから起こり得るわけで、そうした救命救急体制というか、これを特に医療機関を中心に、あるいは救助隊と消防署なり、警察の方もそうですが、こういったことを十分準備しながら、訓練をしっかりやるということが非常に大事だろうという教訓だろうと思います」

井上幸彦 元警視総監の提言:『事件を風化させるな』
井上氏
「あちらこちらでテロが起きています。準備をちゃんとやらないから、その隙を突かれるという面があるわけでして、オウムがああいう事件を起こしたんだという、この事件を風化させない。これはもう徹底してやっていかなければ、同じようなことが起きる。先ほども出ましたけれども、後継のアレフ、ひかりの輪にまだ若い信者が入ってくると。当時の事件というものを知らない世代。だから、これは語りついでいくことによって躊躇させる。そういう方向に行ってはいけないと。こういうことにもってかなければいけないのではないかなと思います」

古市達郎 元公安調査庁参事官の提言:『教育』
古市氏
「実は、麻原彰晃という男を見ましても、先ほど申しましたけれども、日本民族のDNAにこれだけの極悪非道の人間が出てくるのかなと、実際正直思ったのですが、それは現在にして思えばの話で、当初、麻原というのは平凡な男だったんですね。彼1人ではおそらくこういった地下鉄サリン事件もできるわけがないので、これは、彼のもとに絶対服従を誓った高学歴の優秀な人材、将来そのままであれば日本社会の中核で大活躍しそうだったと思われる、林郁夫です、たくさんいたわけです。彼らの加担ということがあって初めてこれだけの事件をやれたのだろうと思います。なぜオウムに入ってそれほど高学歴の優秀な連中が、意のままに操られるように、服従することになったのか。そこにはいろいろ事情があったと思いますが、若者達への教育問題、現在の社会のあり方と考えまして、人格形成期の幼児の、幼い頃から、たとえば、家庭教育、それから、学校教育、特に義務教育課程が大事だと思います。高等教育の間にそういったいろいろ言いたいんですけれど、たとえば、公共心ですとか、人のためになる、社会のためになることに生き甲斐を感ずる。そういった仕事を持つことに誇りを持つとか、そういったことを教育の中でしっかりと植えつけていくということが、非常に大事ではないかと。単なるスキルというか、読み書きそろばん。こういったものを教えるだけでは全然ダメで、公共心とか、そういったことをしっかりと身につけて、成長させることによって、社会に出る頃になっても、こういったことに安易に引き込まれずに自分の居場所というか、軸というものをしっかり定めながら、何としてでも誇りを持って社会に貢献したいなという、生き方に魅力を感じるようなことが、またそういった環境は国としても提供しなければならないと思います」