たとえ結末を知っていたとしても何回も何回も繰り返し読みたい本や観たい映画ってありますよね。
僕にもあるんですけど、それが友人(女性)の結婚のしかたなんでよね。
名前をミシマ(仮名)といいます。
何回も聴いちゃうんですよ。
「どうやって結婚したのか教えて」って。
それで、ミシマの結婚までの道のりは、誰でも確実に結婚までたどり着く必勝法なんだって思いまして、その方法を共有させていただきます。
断言します。この方法は全くスキの無い結婚への必勝法です。
この方法さえ使えば誰でも結婚できます。約束します。そういうふうにできているんです。
たとえあなたが、男でも、女でも、借金があっても、恋人いない暦=年齢だとしても、結婚できます。何度も言いますが、そういうふうにできているんです。
話はミシマが17歳、女子高生のときまで遡ります。
ミシマ「私ね、びっくりするくらいモテなかったんですよ。女子高生と言えばね、歩くだけでモテるし速攻彼氏もできるって信じてたんですよね。でも、ミシマ、モテなかった。本当にびっくりするくらいモテなかった。中学生のミシマに言ってやりたい。高校生になっても何も変わらないよって」
ミシマは教室の端でクイックジャパンや広告批評を読みふけるようなモード系の髪型の学生だったのでモテないのは当然といえば当然なんですけどね。
そこで、ミシマは女子高生ながらこう決意するのです「あかん。運命の人の、条件を、決めな、あかん」と。
思ったより彼氏できないことに気付いたミシマは高校生にして将来に不安を抱き、自分ルールを設定するのです。
その自分に課したルールこそが結婚できる必勝法なのです。
ミシマ「あのね、こんな人と出会ったら、もうその人と結婚しよう、いや、結婚してもらおうっていうね、条件をね、決めたんですよ」
ミシマは自分にとっての「運命の人の条件」を明確に決めて、その人と出会ったら結婚しよう(結婚してもらおう)と硬く決心するのです。
では「運命の人の条件」とは?
ミシマが決めた運命の人の条件は三つあります。
一つ目は「男兄弟しかいない人」
二つ目は「自分の話をちゃんと聴いてくれる人」
三つ目は「スーツ着て仕事する人」
それぞれ明確な理由があります。
一つ目の理由は相手の家族にとって初めての娘になれるということです。言い替えると相手の両親によりかわいがってもらえる可能性がある、ということでもあります。もちろん女兄弟がいてもうまくやっているお嫁さんがたくさんいらっしゃることは承知の上ですが、僕は友人から「弟の嫁、まじムカつく」「お兄ちゃんのお嫁さん、あんまり好きじゃない」という言葉をよく聞くので納得です。
二つ目の理由はミシマは大阪生まれの大阪育ちで、とにかくよく喋る人なのでどんな時も自分を無視せず、大事な話はもちろん、どうでもいい話さえもしっかり向き合って聴いてくれる人がいいという理由です。
三つ目は、スーツ着てる男の人が好きという理由と、低収入でもいいから浮き沈みの少ない職業の人がいい(将来の設計がしやすいから)という理由です。
家族を大切にして、堅実で、よく喋るミシマらしい条件です。
そしてミシマは高校から大学、社会人になってから、出会う男の人が自分の設定した「運命の人の条件」に合っているかどうかを照らし合わせていったのです。
そして数年後、ミシマは自分の設定した「運命の人」と出会い、恋をして、24歳で結婚します。
これがミシマが結婚まで至った道のりです。
「恋をする条件」を考えて決めてる。これだけです。
しかし、これが圧倒的な効果をもたらすのです。
「結婚って、もっと無条件に好きになった運命の人とするんじゃないの?」
この意見も分かります。分かりすぎます。
では、果たして「運命」とは何でしょうか。
運命(うんめい、ラテン語 fatum、英語 fate、destiny)とは、
- 人間の意志をこえて、人間に幸福や不幸を与える力のこと。あるいは、そうした力によってやってくる幸福や不幸、それの巡り合わせのこと[1]。
- 人生は天の命によって定められているとする思想に基づいて考えられている、人の意思をこえて身の上に起きる禍福[2]。
- 将来のなりゆき[2]。
命運(めいうん)とも。
運命は誰にもわからない。
辞書を見てもWikiで調べてもグーグル先生に聞いてみても、さっぱり分かりません。Wikiには「運命は誰にもわからない」とさえ書いています。
フジファブリックの志村さんは生前「若者のすべて」という名曲で
「『運命』なんて便利なものでぼんやりさせて」と歌いました。
志村さんの言う通りです。
僕も「運命」という言葉ほど便利で、そして曖昧な言葉は無いと考えます。
多くの人たちにとって運命とは「後付け」なのです。運命の人と出合ったから結婚したのではなく、結婚したからその人は運命の人になるのです。
だから、整理して、見える化してみるだけです。
やみくもに人を好きにならず、嫌いにならず、自分にとっての「運命の人の条件」を考えてみましょう。
そして、この条件は生まれた環境や思考、宗教、家庭や身体の事情で全く異なるはずです。
ある人にとっての条件は
「旅行やアウトドアが趣味、動物が好きで犬やネコと住んでくれる、子供なんかいらないと言ってくれる」かもしれません。
またある人にとっては
「公務員、ギャンブルだけは絶対にしない、自分の親と一緒に住んでくれる」かもしれません。
「やさしい」とか「性格が合う」とか「思いやりがある」なんかは好きになる条件の大前提となると思いますので、挙げる条件はなるべく自分に沿ったものが良いと思います。
そして、挙げた条件にマッチしている人であればそれ以外のことに関しては、ある程度目を瞑る寛容さが必要だと思います。だから、挙げる条件は考えて考えて考え抜いて決める必要があります。
もし、あなたに今恋人がいて、それがあなたの挙げる条件に当てはまらないのであれば、もしかしたら、本当に残念ですが、その人はあなたの運命の人ではないのかもしれません。
ミスチルの桜井さんは名盤「深海」の収録曲である「ありふれたLoveStory」で
「冷めてく想いを分かっているくせに気付かぬふりでやり過ごしている。大人を気取れど自画を捨てれない。つじつま合わせるよう抱き合って眠る」
と歌いました。その通りです。
何かに気付いていながらも、それを見て見ないふりをして、つじつまを合わせるように一緒に生きている人、もっと具体的に言うと、結婚というフレーズがいつしかタブーになっているその人は、あなたの挙げる条件にどれくらいマッチするのでしょうか。
条件を挙げてみると、様々なことが変わります。
新しい出会いがあったとき(この人ステキかも…でも…どうなのかな…)が無くなります。
冒頭に挙げたミシマの例でいくと「妹さんかお姉さんいてはります?」で「あり」か「無し」がハッキリするのです。これだけでも素晴らしい変化だと思うんです。
そして、期限の設定をするのです。
ミシマは「25歳まで運命の人と会えなかったらお見合いをしよう」と決めていました。
期限を決めると、急に時間がもったいなく感じます。
自分にとって合わない人と過ごす時間がもったいないのです。
結論を急いでいるようですが、僕たちには無駄な時間なんて無いんです。
僕たちの日常は驚くほど速いスピードで過ぎていきます。
毎日朝から晩まで仕事をして、毎月家賃や光熱費や税金を払って、友達と遊んだり、結婚式に呼ばれたり、お腹が痛くなったり、ネコの写真を撮ったり。
雨が降るたびに季節はコロコロ変わって、毎年必ず年齢は1歳増えて、親も兄弟も友達も毎年1歳老けていって。
本当に矢のようなスピードで人生は終わりに向かっていきます。
だから、もし、結婚をしたいと強く願う人がいたのなら、立ち止まって考えてみませんか。自身にとっての「運命の人」の条件を。
そしたら、もしかしたら、間に合ってしまうかもしれません。
今年のクリスマスに。
ありがとうございました。
おしまい