※20180706 2か所訂正しました。東浩紀さんは社会学者ではありません&火吹き山は米ではなく英発祥です。
そりゃないよ、と思ったのでメモがてら。
東さんが国内外のRPGに関する議論の中で、
なぜ北米ではJRPGのような「物語的」で「文学的」なゲームが生み出されなかったのか(中略)日本のメディアミックスはそもそもが出版社が主導です。メディアミックスがゲームのコンテンツを支配していたというのは、つまりある時期まで「出版の想像力」がコンテンツを支配していたということです。(中略)けれどそんな環境は北米にはなかった。
と述べたことに対して、 TRPGのリプレイやシナリオの翻訳などを数多く手掛けその分野に詳しい岡和田晃さんという方が6月21日に下記のように指摘。
これは明確な間違いです。
そもそも、世界初のRPGであり、『ウルティマ』や『ウィザードリィ』等のコンピュータRPGへ規範を提供した『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の発売元・TSR社は、「JRPG」の誕生のはるか前から、ゲームを出版という形で提示していました。
それ以前、シミュレーション・ウォーゲームも多くは出版という形で流通しており、そのようなスタイルが定着していました(以下略)。
まあこれくらいの間違いなら「間違いくらい誰にでもあるよね」「詳しい人に詳しいこと教えてもらえてよかったね。今後論壇での議論がより深まるね」で済む話なんだけど、そうは問屋が卸さなかったみたい。
翌日の6月22日、日経のWebサイトに東氏によって下記のような記事が投稿された。
ゲーム業界で仕事をしてきたライターの方々から厳しいお叱りを受けている。業界の常識に無知だというのだ。
専門家の意見には謙虚に耳を傾けねばならない。とはいえぼくの考えでは、このような反応の存在は、批評の役割について根本的な誤解があることを示してもいる。
批評の本質は新しい価値観の提示にある。価値観は事実の集積とは異なる。いつだれのなにが出版され、何万部売れたかといった名前や数字は、客観的な事実である。それはゆるがせにできないが、そこからそのまま価値が出てくるわけではない。同じ現象に異なった評価が下されることはありうるし、むしろ文化にとっては複数の価値観が並列するのが好ましい。批評の機能は、まさにそのような「複数価値の併存状況」を作り、業界や読者の常識を揺るがすことにある。だから、批評が「業界の常識」とずれるのはあたりまえなのだ。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO31888310Y8A610C1KNTP00/
その後日本社会全体の~とか、原発が~とか、本題と関係ない話が続いて、
日本人は「話せばわかる」の理想をどこかで信じている。けれど本当は「話してもわかりあえない」ことがあると諦めること、それこそが共生の道のはずだ。事実と価値を分ける批評は、その諦め=共生の道を伝えるための重要な手段だとぼくは考えている。
でシメ。
それを受けての私の感想が表題。
前提として、東さんの記事は岡和田さんの指摘に対してのものではないのかもしれない。「ライターの方々」としているから複数名から指摘があったことは間違いないし、岡和田さんへの直接的なアンサーではなくそれらの指摘総体を対象として論じたものかもしれない。というかそのように読める。
ただ、この記事の投稿の前日には岡和田さんは上記の指摘をしているので、岡和田さんの指摘を全く念頭に置いていない、ということはないはずだ。もし記事掲載後に岡和田さんの指摘に気づき「あ、事実誤認があったわ、これは確かに部分的には一理あるわ」と思ったなら、記事を下すか加筆修正すればいいわけだけど、6月26日現在そういったことはされていない。
つまり東さんの記事は岡和田さんの指摘を念頭に置いた上で書かれたものと判断して読むべきでしょう。これを前提として、じゃあその中身について。
一番の核心は岡和田さんの指摘は価値の問題か? 事実の指摘か? という事だと思うけど、これは価値の問題だと考えられます。
岡和田さんの指摘は煎じ詰めて言えば「東さんは『出版の想像力』が日本にはあって北米にはなかったと言っているけど、あったよ」ということ。これは「北米にも日本のアニメやマンガを生み出す出版産業と比肩する*1出版産業があったよ」という事実の指摘でもあるんだけど、主は「北米の出版業界だって十分に想像力豊かだったよ、あなたは知らないのかもしれないけど素晴らしくて後世に影響を残した作品もたくさんあるんだよ」という、当時の作品やクリエイターを高く評する意図のまさに価値についての指摘であると私は思います。
で、岡和田さんの指摘が価値の問題を内包している以上、同じ価値の話をしているわけですから「批評は価値の提示であり事実と異なる場合もある」という東さんの主張は反論になっていないのです。
東さんは岡和田さんに対して、例えば「日本のマンガやアニメを生み出した出版産業はスゴイけど、北米の出版産業なんてそれに比べればないも同然のヘボい存在じゃん」というように、価値の軸で応えなければならんのです。まあこれはかなり分の悪い勝負だと思いますが…
東さんは岡和田さんの指摘に対して
①「北米の出版に日本のそれに比肩する想像力はなかったと私は考えます」という価値の面での反論をする
②ごめんなさい&ご指摘ありがとう勉強になりました! と上記記事などにコメントを出す
早くどっちかした方がいいと思います。個人的には②しかないと思います。
岡和田さんは論旨であるJRPGの独自性を否定しているわけではないので、その論拠が出版の有無にあるのではないと分かったのは議論としてはいい意味で進展していると私は思いました。JRPGの独自性には別のところに理由があるはず。それを見出すためにも、この指摘はとっとと受け入れた上で議論を先に進めてほしいなと思いました。
東さん的には「えーっ、今本を出したところなのに、この本どうなるの…」ってところだろうしそこはちょっと気の毒だけど、批評家であり社会学者思想家であり哲学者であるなら議論が進展したことを素直に喜ぶべきで、そういう学者としてのまともなスタンスをちゃんと示した方が、本1冊の損失くらい軽く取り返すだけの価値があると思います。
※20180706 訂正
ツイッターで下記の通りご指摘を受けました。ありがとうございました!
でもまあ社会学者でもあるわけだし…と思って調べてみると、下記のご本人のブログに行き当たりました。
社会学者じゃなかったんですね…
私はもう15年くらいてっきり社会学者の方だとばかり…おそらく私が学生で『動物化するポストモダン』などを読んでいた時、社会学の側で論じられることがとても多かったのでそう勘違いしたのだと思います。もしくは、哲学の論壇と社会学のそれを私が混同していたのか…
この記事の趣旨は変わりませんが、読者のみなさまと東浩紀さんには大変申し訳ないです。お詫びの上訂正いたします。
動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
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なお、これまた議論の前提となる「北米の出版に想像力や文学性があったか?」について。
そりゃあったでしょう。岡和田さんの指摘の通り『ダンジョンズ&ドラゴンズ』『トンネルズ&トロールズ』が面白かったからコンピューターRPGというジャンルが生まれたんだし、日本のゲームやラノベのクリエイターが影響されたんだし、それは単純なシステムだけの話ではなく物語として面白かったからと考えるのが妥当です*2。
文学性については私自身は読んでいないので論じられないけど、少なくともすごくイマジネイティブであったことは分かります。
なお岡和田さんは上記記事への追記にて下記のように述べています。
ピンと来ない方のために解説しますと、今回「ゲンロン8」の共同討議で東浩紀氏が述べていたことは、「夏目漱石の小説はイギリス文学に影響を受けていない。イギリスに出版環境がなく「文学」と呼べるほどの小説も生まれなかった。文学は日本で発展して、価値を得た」みたいなレベルです。
うん。せやね。D&DやT&Tが面白い物語体験じゃなかったら『ドラゴンクエスト』に始まるJRPGも『ロードス島戦記』に始まるライトノベルもなかったかもね。今や海外でも人気の『ソードアート・オンライン』なんか二重の意味でなかったろうね。
東さんの本件に関するコメントは以下の通り。
ケンカ売ってるとは思わないけど、反論になってないとは思うな。東さんはちゃんとした形でコメントした方がいいと思いました。
別件ですが、日本のクリエイターたちが『火吹山の魔法使い』などのゲームブックを熱く楽しく論じてたのは記憶にあるし、それだけ影響力がデカかったということだとも思います。私は世代じゃないけど、『火吹山』に影響を受けた国産のゲームブックはいくつも買ってプレイしました。
火吹山の魔法使い ファイティング・ファンタジー (現代教養文庫)
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ゲームブックは北米発の出版コンテンツだけど、こんなにイマジネイティブでゲームに影響を与えたコンテンツもそうそうないよね。
※20180706追記
はてなブックマークにて下記の通りコメントをいただきました。コメントくださりありがとうございました!
ファイティングファンタジーはイギリス発祥です(スティーブジャクソン英と米の話しはもう割愛)
ギャアアアアアアアハズカシイ!!!! てっきりアメリカ産とばかり思っていたしました。関係者やファン、本記事読者のみなさま、お詫びして訂正いたします。
スティーブ・ジャクソン英と米の話とは、同姓同名の方がアメリカとイギリスに同時代・同ジャンルにいらした、という件の事のようです。
ちなみにスティーブ・ジャクソンさん(英)は元々D&Dやボードゲームなどアメリカのゲームの輸入販売や専門誌の刊行をされていて、そこからゲームブックの発売に至ったそうです。そういう意味ではゲームブックもまたやはりゲームと出版の融合の結果なんですね。