田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)

 今から10年近く前、いわゆるリーマンショックによる経済大停滞を契機にした経済と雇用の急激な悪化を受けて、筆者は『雇用大崩壊』(NHK出版)を出版した。そこでは「ロスジェネ世代」と呼ばれる、当時25歳から35歳の人たちの雇用の長期的な悪化を問題にしていた。あれから10年近くが経過し、いわゆるロスジェネ世代をマクロ的(全体的)にどのように捉えていくべきか、試論的に考察していきたい。

 まず、ロスジェネ世代について、現状でもその雇用や金銭的な面を不安視する意見は根強い。必ずしもロスジェネ世代と完全に一致はしないまでも、40代の正規雇用者の給与だけが5年前に比べて減少していることが話題になった。

 この起点が過去の就職氷河期での困難にあると考え、その困難が今も続いているという解釈を見かける。確かにロスジェネ世代の経済的困難は大きい。しかし、40代の正規雇用の給与が5年前と比較して減少したことを深刻な問題とするには、かなり違う視点が必要ではないだろうか。

 その点の検討に移る前に、そもそも「なぜロスジェネ世代が生まれたのか」、この分析が重要である。上の世代がバブル期などに構造的に過大な採用を行ったために、その反動でロスジェネ世代が生まれたのであろうか。あるいは、日本の産業構造がグローバル化に対応できておらず旧態然としているからか。あるいは、日本の労働者の働き方が生産性に欠けるからだろうか。生産性が、働き方という構造的な要因によって低下しているために、従来よりも多くの雇用を実現できないのか。

 このような「構造的要因」説は、事実としても経済学の論理としても完全に破たんしている。構造的な要因でロスジェネ世代が生まれるとしたら、構造的失業率が上昇しているはずだからである。

 ところが、最近ではこの失業率は2・2%と、1992年10月以来という水準にまで低下している。その一方で、構造的失業に到達したときに観測されるインフレ率の加速はそれほど見られない。
写真はイメージです(iStock)
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 むしろ、インフレ目標の達成がまたもや先送りされている状況なのだ。要するに、ロスジェネ世代が生まれたのは、構造的要因ではなく、経済の変動を説明するもう一つの要因である循環的要因、「総需要不足」で考えるほうが妥当である。

 簡単に言えば、総需要不足とは、人々が使うお金が日本経済の潜在能力を全て活用するほど足りない状況を意味している。経済がなかなか「健康体」にならないのは、栄養が不足し、風邪をこじらせているからなのだ。その処方箋は栄養や風邪薬を摂ること、つまり「お金」が必要になることは、個々人で考えてもわかるだろう。