090話 vs聖騎士 その1
クフフフフ。
その悪魔は、邪悪に嗤う。
真紅の髪を靡かせて、フワリと聖騎士達の前へと舞い降りた。
蝙蝠の様な翼を大きく広げて、その姿は邪悪であった。
「初めまして、皆様。さて早速ですが、
この私が相手をするのに相応しいかどうかの、ね」
聖騎士達は、その姿を目撃するなり瞬時に展開し、防衛体勢を取った。
悠長に結界を張っている間など無い。即座に判断を下したのは流石である。
この一角に警戒していた
だが、考えようによっては幸運である。
相手はたった一体でやって来ている上に、この班こそが最強の聖騎士アルノー・バウマンが率いる無敗のパーティーなのだ。
アルノーは不敵な笑みを浮かべて、仲間を鼓舞する。
「恐れるな! 敵は一体。例え
そう。
実際に、
邪教徒には、上位悪魔召喚により
アルノーにとっては、例え一対一でも負けないという自負があったのだ。
「各自散開! 副長二名は俺のサポートを、隊員共は簡易聖結界を展開。始め!!」
アルノーの言葉に、聖騎士は即座に反応する。
鍛えられた一流戦士の動き。修羅場を何度もくぐり抜けて、人類の守りの砦と自負し誇りを持って戦う者達なのだ。
彼らは迷い無く行動を始め、五芒陣を構築するように散開し、隊長と副長二名と敵対者である赤髪の悪魔を閉じ込める聖結界を展開する。
ただ不気味な事は、その間に悪魔の動きが無い事だった。
悪魔は邪悪な笑みを浮かべて、楽しそうに聖騎士の動きを眺めている。
「おい、どうした? 邪魔をしないのか?」
挑発するようにアルノーが問うたが、
「何故そのような事をする必要が? せっかく努力してくれているのです。邪魔は致しませんよ」
と、巫山戯た返答を返して来る。
アルノーは冷静に相手に対して身構えているものの、その心は怒りで沸騰しそうになる。
達人クラスであるが故に、つまらぬ怒りで自制心を見失ったりはしないけれども、相手の反応は余りにも此方を見下したものであった。
たかが
隊員達にとっては脅威である事は間違いないのだ。
自分が鍛えた聖騎士である。その実力は良く把握していた。
現状、5名で十分に
アルノーは目の前の悪魔を冷静に観察し、とっくに看破していたのだ。
目の前の相手は、単なる
悠然と佇むその姿には気品まで備わっている。身につけている衣は、単なる悪魔に用意出来るレベルでは無く精巧であった。
意思の具現化が凄まじくレベルが高いのだ。
となれば、相手は"
名前のある悪魔は、それだけで脅威であった。それなのに、相手は最上位の悪魔で尚且つ"
決して油断は出来ない。
相手に対する怒りよりも、そうした冷静な判断により慎重さを失う事無くアルノーは剣を抜いた。
「おや? 準備は終わりましたか?」
「ああ。待たせたな、始めるかい? と、その前に聞きたいのだが、お前の名前は?」
悪魔の問に、答えるアルノー。
名前を聞いてみたのはついでである。
どうせ答えは無いだろうが、その答えで"
対する悪魔は、
「おお! これは失礼しました。私の名前は、ディアブロと申します。
偉大なるリムル様に授けて頂いた名前なのに、名乗るのを忘れているとは……
私もまだまだ未熟ですね」
と、嬉しそうに名乗ったのだ。
アルノーは、背筋に冷たい汗が流れるのを感じる。
ヤバイ、と本能が警鐘を最大限に鳴らしていた。
躊躇う事無く名乗ったと言う事は、既に名前を捧げた相手が存在すると言う事。
主の居ないはぐれた"
という事は、魔王リムルに名付けられたと言うのは、本当の事だと言えるだろう。
だがそれでも。
自分は最強の聖騎士であるという誇りが、アルノーにはあった。
ヒナタ聖騎士団長の片腕として、No.2は自分だと言う自信。その自信に裏付けられて、アルノーは不敵に笑う。
「俺の名は、アルノー・バウマン。最強の聖騎士だ。
お前を滅ぼす者の名を魂に刻んで、あの世へと旅立つがいい!」
そう言い放つと同時に、霊力解放を行い精霊武装を起動した。
瞬時に5色の光が眩く輝き、アルノーの身を包む。地・水・火・風・空の五つの属性を持つ聖騎士。
普通の者ならば2属性持ちすら
アルノーの叫びと同時に、聖騎士達も霊力解放を行い、それぞれの属性による鎧を身に纏う。
色取り取りの光の中で、更に五芒星が光を放つ。
簡易型の
儀式と時間を短縮させている事から本来の性能は出ないものの、5名の聖騎士による結界であるので弱体化は十分であると思われた。
この結界内で、更に熟練の聖騎士2名と最強であるアルノー。
例え、"
幸運な事に、手に持つは新型武装の
肉体のみならず、魔素ごと切り裂き魔物の魔力構成を構築出来なくする能力を有する。
或いは、相手の魔素を奪うとも言える能力なのだ。
"竜種"へのダメージを与える事を目的として開発された武器であった。
ヒナタの持つ剣と同時期に開発されたものの内の一本なのだ。これを選択し所持して来た事は正解だった。
この剣ならば、いかなる悪魔であっても滅ぼす事が出来るだろう。
アルノーが揺るぎない自信で持って最速の剣を打ち込もうとしたその時、
「さて、では
何事も無いかの如く、悪魔はそう言った。
その言葉の意味を確かめるよりも早く。
「う、うわーーーーーー!! 来るな、やめろ、来るな!!」
「ヒィーーーーー! た、助けて!!」
等と、口々に叫びながら隊員がその場に崩れ落ちる。
聖騎士として、場数を踏んでいる隊員達が、だ。
何が起きたのか?
アルノーにも十分に理解出来ていた。これは、この圧倒的な恐怖は……
目の前の悪魔が放った威圧。
単純な話、抑えていた妖気を解放した、ただそれだけの事。
「おやおや?
ですが、まあ褒めて差し上げましょう。私の『魔王覇気』に耐えれたのです。
直接相手をする事を許可しましょう!」
嬉しそうに悪魔は宣言した。
五芒星の結界は、一瞬で掻き消えてしまっている。心を折られた聖騎士達に、
アルノーは吹き出る汗を拭う事も出来ず、状況判断を必死に行っていた。
信じられない。そして、信じたく無い。
目の前の悪魔、今、何と言った? 確か、『魔王覇気』と言わなかったか?
そんな能力、聞いた事も無い。威圧だけで、聖騎士を無力化する等、魔王にすら可能とは思えない。
いや、あるいは伝説クラスの魔王になら可能なのかも知れないけれど……
少なくとも、"
「お前……、一体……何者、だ?」
アルノーは、掠れる声を搾り出すように問いかけた。
気力を奮い立たせねば、自分の内からも恐怖心が湧き上がって来るのを止められない。
冷静に、そして心を統一し邪念を払い。どうにか、平静を保つ事に成功していた。
そんなアルノーに、
「クフフフフ。私は、ディアブロ。リムル様の忠実なる
今回華々しく活躍して、序列1位の座を頂くのは、この私です」
そんな返答を返す。
更に小馬鹿にしたように、
「そうそう、質問の答えに付け加えるとしましょう。
私は貴方が仰っているような、
絶望を齎す言葉を付け加えて来た。
「終わり、終わりだわ……」
女性の副官ソフィアが蹲り、幼子のように泣き始めた。
心が折れたようだ。
下手な魔王よりも上位に位置する者。
この世界に干渉した事例は数える程しか確認されていないが、確かに存在すると定義されている悪魔。
対となる精霊は、大精霊クラスでも及ばないだろう。精霊王クラスを複数ぶつけねば勝てないとされる存在だった。
「おや? どうされました? せっかく
心の折れた女性副官に声をかける悪魔を見やり、それは無理だろうと遠くで考えるアルノー。
彼女は涙を振りまきつつ、必死に逃げようとしている。
悪魔に声をかけられても、目も合わせずに頭を振って嫌がる素振りを見せるだけ。
聖騎士として、常に危険に立ち向かう凛々しく頼れる副官だった。そんな彼女の怯えた姿など、初めて目にしたのだ。
彼女は、悪魔学に詳しかった。邪教徒対策には、敵を知るのが一番だ。それ故に、悪魔召喚や召喚される悪魔についても研究されている。
彼女はそういう理由で、悪魔学に熟知していたのだ。
その彼女があれだけ怯えるという事は、
覚悟を決める必要があった。
「行けるか、バッカス?」
もう一人の副官に問う。
頼もしき相棒。そして、気心の知れた自分の片腕。
バッカスは青褪めつつも頷いた。二人でこの危機を乗り越え、突破せねばならない。
そしてヒナタに合流し、この悪魔を滅するのだ。
アルノーはそう心に決めると、気力を奮い立たせて集中する。
「おいおい、俺の副官や部下どもを虐めるのは、そのくらいにして貰おうか!
お前さんの相手は、この俺だ!」
そう叫び、全力の攻撃を放った。
アルノーの左の手の平から、光の塊が放出される。
それは、
聖騎士の操る魔法、〈神聖魔法〉の中でも、単純ながらもっとも術者の能力に影響を受ける魔法。
聖属性の攻撃は、いかなる魔物にもダメージを与える事が可能であった。
だが。
何事も無い様子で、光の球を受け止め握り潰す。
「クフフフフ。痛いですね、これ。手の平が火傷してしまいました。次は此方の番ですね?」
と、何事も無く平然としている。
しかし、アルノーの狙いは
敵が
その大斧は
いかな
更に、ここで攻撃の手を緩める事は無い。
アルノーは
〈気闘法〉の基本技にして究極技である〈気斬〉は、物質に自分の闘気を纏わせて全てのモノを切り裂く技である。
闘気は個人差がある上に、精霊力を混ぜたり魔力を混ぜたりと色々な応用技があるのだが……
アルノーは最強の聖騎士らしく、5色に輝く闘気を剣に纏わせる。
5属性の精霊力を闘気に変換し、剣に同一化してのけたのだ。
天才アルノー。
それが最強の聖騎士であるアルノーの持つ、最強の必殺技だった。
「黙れ化け物! 喰らえ、そして死ね!
清浄なる一閃がアルノーの剣線に添って走る。
その剣は、地の精霊による干渉で『重量操作』が為され、使用者の意のままに衝撃を走らせる事が可能となる。
常人では有り得ぬ速度を容易く超えて、剣の先端は音速すらも超越しディアブロへと迫った。
その一撃は聖なる属性を纏い、破邪の属性と相まって魔物に対する絶対的な殺傷力を生じさせていた。
いかな
アルノーは、確実なる相手の死を信じて疑わない。
だが、今にもバッカスの大斧がディアブロの頭部を叩き割るかと思えたその瞬間、ディアブロが地面を軽く足の爪先で叩いた。
ただそれだけで、地面が抉れたように隆起し、背後から迫っていたバッカスを突き上げて上空へと吹き飛ばす。
だがそれでも、アルノーの剣速は音速を超えて、ディアブロの首筋から心臓を切り裂く軌道を描き、止る事は無い。
貰った! 内心で勝利を確信し、アルノーは剣を握る手に力を込めた。
同時に、重量開放そして反転を行い、倍する威力の剣撃を対象に叩き込む。
今まで抑えられていた剣に対し、重量を数倍にするほどの重力の影響を突然発生させるのだ。
この技の特徴は、当たる間際に突然剣速が倍加したように感じられるというもの。
初見でこの技を回避する事など不可能である。アルノーが感じた勝利の確信も、当然の事だと言えるのだ。
だが……残念ながら、最初からディアブロに回避する意思は無かったのだ…。
アルノーの剣はディアブロが前方に展開させた障壁を切り裂き、ディアブロの身体を切り裂いた。
手応えはあった。だが……
アルノーはその場から後方へと切り抜け、バッカスの隣まで駆け抜ける。
バッカスの様子を確認すると、どうやら無事のようで起き上がってきた。
安心し、油断なくディアブロを警戒する。
「クフフフフ。成る程、素晴らしい技でした。
特に当たる瞬間に急加速を行うなど、以前の私であれば見切れなかったでしょう。
何よりも、その多様な属性を織り交ぜた一撃、これに耐える事の出来る者は少ない。
見事だ、実に見事です!」
と、アルノーの剣を褒め称え始める。
その言葉に少しも嬉しさが込み上げて来ないアルノー。
当然である。何しろ、その剣を受けてまるでダメージを受けていないかの如き様相なのだから。
「おい……。全然ダメージを受けなかったのか?」
聞きたくは無いが、つい口から言葉が零れ落ちた。
「おや? そう見えますか? それは買いかぶりですとも。
私の魔力障壁で聖属性のみは相殺したつもりだったのですが、残念ながら幾ばくかの痛みがありました。
ほんの少し、私の魔力が奪われたようですよ。
どうも……、貴方の持つ剣は、相手の魔力を奪う能力を有しているようですね。
見落としておりました。だが、それも含めて見事です!」
何の事は無い。
自分の技ではダメージを受けなかったと言われた様なものであった。
冗談ではない。完全に極まった必殺の一撃だったのだ。
多様な属性を持つ攻撃に対し、多数の結界で防御を行っても対応しきれるものではない筈である。
それなのに……
あの一撃で決定打にならぬのならば、アルノーに勝機は無かった。
そんなアルノーに無慈悲な言葉が追い討ちをかける。
「そうそう。此れほどのダメージならば、4,000回程私に当てる事が出来たならば、私も消滅してしまいます。
ただし……注意する点は、1時間足らずで40回分程のダメージならば回復するという点ですね。
どうです? 希望が持てたでしょう。
では、そろそろ再開するとしましょうか?」
そう言って、両手を広げる。
隣で、バッカスが諦めたように溜息をついた。
「おい、アルノー。無理だな、時間稼ぎにもなりゃしない。
だが、何もしないよりはマシだろう……
俺が時間を稼ぐから、ヒナタ団長を呼んで来てくれ。
アレは、団長クラスの人外の強さの者にしか、相手出来ない存在だろうよ」
と、アルノーに囁きかける。
「なら俺が時間を稼ぐ。お前が……」
「バカヤロウ! お前の方が足が速いだろうが!
何より、お前と団長の二人でなら希望がある。
俺じゃ、役に立たないんだよ!」
アルノーを突き飛ばすように押しやり、バッカスが叫んだ。
その言葉に、唇を噛み締め走り出そうとするアルノー。
だが、現実は残酷であった。
「クフフフフ。おやおや、どこへ行こうと言うのですか?
私はここを足止めするのが任務です。どこへも行かせませんよ」
足止め? 一瞬意味が理解出来ない事を言われた気がしたが、その事に気をやる余裕は無い。
アルノーの前に、座り込んでいた仲間達が立ち塞がったのだ。
「な! お前達、そこをどけ!」
そう叫んだアルノーに、悪魔は冷たい現実を突きつける。
「おやおや、お仲間ももっと遊びたがっている様子。
此方の仲間にならないかとお尋ねしたら、喜んで寝返ってくれましたよ?」
言われて、アルノーは仲間達を良く見てみた。
どこか虚ろな表情に、恍惚とした感情を浮かべている。
「ソ、ソフィアー! 止めろ、目を覚ませ!」
血を吐く様なバッカスの叫びに振り向くと、泣きじゃくっていたもう一人の副官ソフィアとバッカスが対峙していた。
他の者達と同様の恍惚とした表情を浮かべて、剣を構えてバッカスに向き合っているのだ。
「貴様ー! 仲間達に何をした!!」
アルノーがディアブロを睨みつけ叫ぶ。
それに対し、悪魔は嘲笑を浮かべて答える。
「クフフフフ。何をと言われましても、ねえ……
ただ、誘っただけですよ。先程申した通りに、ね。
私に恐怖していたので、すんなりと受け入れてくれたようです。『誘惑』をね」
アルノーは悟る。
悪魔系の魔物の特徴に、誘惑のスキルがあった。
対象を魅了し、自分の意のままに操る能力。だが、聖騎士をも魅了出来る能力を持つ悪魔など、聞いた事も無い。
魅了された者を助けるには、殺すか操っている者を倒すかどちらかしかないのだ。
つまりこの場で出来る事は、仲間達の攻撃を躱しつつディアブロを倒すか、あるいは仲間を殺す事しか手段は無かった。
聖騎士相手に手加減し、意識だけ奪うのは現実的では無いし、魅了された者は意識を失っても活動出来る場合もあるからだ。
何と言う……自分達の認識の甘さを呪いたくなる。
この敵は……、この悪魔は、明らかに災厄級。魔王に匹敵する脅威だった。
ソフィアと向かい合っていたバッカスは、背後から聖騎士2名に羽交い絞めされてしまっている。
そして、そのまま締め落とされてしまった。気絶しただけのようだが、これで自分一人となってしまった。
自分一人でこの状況を乗り切るのは、至難どころの話では無い。
さらに……
赤髪の悪魔は、その金に真紅の縦長の瞳孔を妖しく光らせて、ソフィアに手を翳した。
すると、美しい金髪だったソフィアの髪が、血に濡れた様な真赤な色に変色していく。
それに伴い、ソフィアは恍惚とした表情を浮かべて……
髪の色が急速に金色に戻っていった。
アルノーが怪訝な様子で眺めると、ソフィアは意識を失い昏倒する。
まさか! と、ソフィアを心配するより早く、
「クフフフフ。危ない危ない。思わず、
そんな事をしてしまうと、序列1位の座が遠のく所です」
そんな意味不明の言葉を残し、ディアブロが此方を向いてくる。
どうやら今目にしたのは、聖騎士であるソフィアを堕落させ悪魔の仲間にしようとしていたようだ。
そんな事が可能とは思いたくもないが。赤髪の悪魔の意味不明な拘りにより、ソフィアは助かったようである。
だが、安心するのはまだ早い。
何しろ、
「さあ、再開しましょう。何度でも攻撃してきたら宜しい。
私が飽きるまで、相手をして差し上げましょう!」
たった一人で応援も無く、周囲を5名の聖騎士に見張られて脱出も不可能な中で。
それでも彼は諦めない。
彼に残された最後の希望は、彼等の団長であるヒナタが敵の親玉を倒し自分達の下へと駆けつけてくれる事のみであったから。
アルノーは覚悟を決めた。
かくして、アルノーの絶望的な戦いが幕を開けたのだ。
思ったよりも話が長引いた。
主人公以外で一話使うとは……