「飼育欲」という言葉を聞いたとき、私は身の毛がよだつ覚えがした。まだ何もわからない子どもを標的として性の対象にしてむさぼる。そこにあるのは確かに「支配欲」とか「優越感」という身勝手な感情だが、「飼育欲という言葉が最もしっくりくる」と語る一人の小児性犯罪者の言葉は、まさに子どもを狙う動機そのものという感じがした。
その小児性犯罪者は、とある体操クラブで子どもたちに性暴力を繰り返したインストラクター。彼が標的にしたのは、小学校低学年の女の子だった。
彼の指導に子どもたちは真剣に耳を傾け、誰もが「先生」と呼んで慕っていた。子どもたちすべてに、教え子として「可愛い」という感情を抱きながらも、彼はある女の子への性的欲求や衝動を押さえられずにいた。その子のレオタード姿をみると「吸い込まれそうになる」と語るのだ。
彼はやがてひと気のない場所に、呼び出しては性的接触を彼女に試みるようになる。その子は当初は何をされているのかわからないし、信頼する先生のすることにあまり疑問を感じていなかった。
むしろ女の子は自分だけ特別扱いをされている感覚になりつつあった。彼はそんな彼女に「先生との秘密だよ」「絶対に誰にも言っちゃダメだよ」とささやき、行為を終えるのが常だった。
インストラクターの立場を利用して、時にはその子を選手に選抜したり、またその子だけを特別扱いすることで、彼女の心をつかんでいった。うまくなりたいとか、選手に選ばれたいという彼女の望みをかなえ、やがて彼女を意のままにすることができるようになった。彼の言葉を借りれば、実に狡猾に「飼育」していったのだ。
やがてその子は先生との特別な関係に疑問を抱きはじめ、周囲にばれたらどうしようという恐怖感に支配されるようになった。不眠、動悸、抑うつ気分などの兆候が出始め、その苦しみが限界に達し、とうとうクラブに顔を出せなくなってしまうと、彼は次のターゲットを探し始める。
子どもたちの性格を見抜き、「誰にも言わない」という約束を守れる従順な子をまた自分の性の玩具とする。彼の性暴力は、こうした行動の繰り返しだった。