59話 動き出した聖教会
魔人グルーシスは、森の巡回中に突然の念話を受け混乱した。
「ん? どうかしたのか?」
仲間達、警備隊の隊員達が、口々に心配してくれる。
気のいい奴ら。自分が魔人だなどと、疑う事も無い。何時しかグルーシスにとっても、彼等は本当の仲間のような錯覚を抱かせている。
「何でもない」
そう応えて、彼等を安心させた。
何でもないなんて、どんでもないのだが。
今受けた念話の内容。
(グルーシス! こっちは緊急事態だ。もしもの時は、今後の行動はお前の判断で行え!
今から戦になる。勝てたら再度連絡する。それまでは、お前の自由だ!)
何かが起きているのは間違いない。
魔王カリオンのあれほど慌てた"声"は初めて聞いた。相手は誰だ?
何も判らない事がもどかしかった。
どうする? 判断を仰ぐにも、手段は無い。
それから何度も念話を試してみたのだが、相手が出る事は無かった。
仲間達へ動揺を悟られぬよう気を配りながら、グルーシスの心は不安に塗りつぶされていく。
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魔王クレイマンはその報告を受けて喜色の表情を浮かべた。
カリオンの説得に向かわせたミリムであったが、何故か戦闘になったようだ。
それはいい。確かに、言いなりにならぬのならば邪魔な魔王は少ない方が良いのだから。
報告者によると、圧倒的な戦闘力を持ってカリオンを制し、王城もろとも吹き飛ばしたとの事。
報告者フレイは、優雅にお茶を飲みながらそう述べた。
フレイ以外の子飼いの魔人も、密偵として放っていたのだが皆同様の報告を告げている。
疑う余地は無かった。
魔王カリオンは死んだ。そして自分は、あの強者であったカリオンすら問題にもしない"
魔界を統べる十大魔王。
その内、自分を含めた3名が一つに纏まり、1人は消えた。
しかも、絶対的強者を脅しとして用いるにも、魔王カリオンの最期は良い宣伝となるだろう。
「クックック。これは、全て良好な流れになってきました。計画通りです」
「あら? そうなの? 私もお役にたてている様で嬉しいわ」
心の篭らない賛同の言葉を述べながらフレイが立ち上がった。
「私は帰るけど、ミリムはどうするの?
戦闘で気が立っていたみたいで、世話をしようとした魔人が八つ裂きにされてたわよ?」
ッチ。っと顔を顰め、フレイを見るクレイマン。
「貴方が世話をすれば良いでしょう。何しろ、お友達なのでしょう?
任せます、連れて行って下さい。私の城まで壊されてはかなわない」
その言葉を聞き、やれやれと首をふるフレイ。
「私のお家も壊されたくは無いのだけれども? まあ、言っても無駄なのでしょうね?」
「判っているようで、何よりです。行っていいですよ!」
その態度は既にフレイを同格と見ていない。
配下の者に対するものであった。
フレイはその事に不快さを表す事もなく。クレイマンを冷たい視線で一瞥し、その場を後にした。
フレイが去ったのを確認し、クレイマンは笑みを浮かべた。
全ては順調であった。
全ては"あの方"の計画通り。
予言を実行するような確かさとまではいかないが、起きる物事に対して適切に事象は進行していた。
当初の予定では、オークロードを新たな魔王に指定し、その後ろ盾となるという理由を元に魔王達を操る計画だった。
利害を一致させ、発言の統一を目論むだけの計画。失敗しても損失は無い。
だが、怪しい魔物の出現と、その魔物が作った町。それを知るなり、その事を利用するよう計画の修正を行った。
利害の一致という餌はそのままに、その魔物達を餌とする計画に。
食いついたのが、最も力ある魔王だったのは幸いだった。
クレイマンは立ち上がり、周囲を多重結界で遮断する。
そして、いつもの様に、定時報告を行うのであった。
信頼すべき相手。
自らが忠誠を誓う、真なる主へと……
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警備隊に参加してからというもの、ミュウランの毎日は多忙を極めた。
彼女の
簡単な呪いならば、教えてやっている。元々、魔人になる前は魔女だったのだ。人の使える呪文を教えるなど、容易い事であった。
忙しいのは、もう一つの職務、参謀職の方である。
そもそも、新参の自分が参謀という時点で、間違っていると思うのだが…。
(魔人を信じるなんて、お人好しにも程がある!)
言葉にすると、そういう感じであろうか。
部隊への指示や、町の魔物達との打ち合わせ、そして隊長への報告等。全てを彼女がこなしていたのだ。
いい加減にして欲しいと思うのも無理は無い。
けれども、そういう不満と同時に、満たされる思いもあった。
久しぶりに人と交わり、忘れていた感情を思い出して。
そして、
「ミュウラン、いいだろ? そろそろ返事を聞かせてくれ!」
自分に言い寄る男。ヨウムを見つめ返す。
最初、警備隊に潜入した時に視線を感じていた。
バレたのかと警戒していたのだが、グルーシスは何も感じていないと言う。
どういう事だ? と窺っていると、視線の主はヨウムだった。目が合うと、気まずげに視線を逸らしたのだ。
しかし最近、態度だけでなく言葉でも言い寄って来るようになった。
曰く、
「好きだ。付き合ってくれ! 絶対に幸せにする、約束するから!」
直球であった。
普段は軽薄そうな態度なのに、根は真面目なのか。未だに手を出して来ていない。
まだ若い乙女であった頃、遥か700年も前の話。その頃の事は良く思い出せない。人と交わった思い出も無い。
正直、彼女にとって恋愛というものは、経験した事の無い未知なる体験なのである。
喜びよりも不安が大きい。それに…
(幸せにすると言ったって…。私の心臓はクレイマンに握られているというのに。
出来る訳、無いじゃないの! それに……
すぐに死んじゃう人間が、どうやって私を愛せるというのだ?)
結局、彼女は返事を先延ばしする。
断ってしまえ! 理性がそう告げるのに、何故か断る勇気が持てなかった。
魔人になってから400年。こんなにも不安な気持ちになったのは初めての経験である。
そんなミュウランに、クレイマンからの念話が届いた。
魔人ミュウランにとって、クレイマンは忠誠の対象では無い。
可能ならば寝首を掻く事も辞さないだろう。ただ、あの油断ならない魔王に、そういった隙が出来るとはとても思えなかったけれども。
前回の報告時、異様に上機嫌になったクレイマンの事を思いだし、不快になる。
何かまた悪辣な事を思いついたのだろう。そう思ったのだ。
残念ながら、彼女には逆らう術はないのだ。表立って逆らわない事しか出来る事は無い。
誰かが不幸になったとしても、自分が救われる訳では無い。不快な気持ちになるのは自然な流れであった。
そんな彼女に突然念話が届く。
(元気そうですね。貴方の齎した情報の御蔭で、此方は非常に順調です。
素晴らしい働きでした。
貴方から預かっている心臓ですが、そろそろお返ししても良いか、そう思えてきました)
突然の申し出であった。
ミュウランは心が浮き立つのを感じる。だが、慌ててはいけない。
相手は魔王。平気で配下の者すら騙す、性悪な
(は! ありがとうございます!)
無難に返事をする。
(警戒しなくても宜しい。なあに、最後にもうひと働きお願いすると思います。
それまでは、のんびりと生活を楽しんでおいて下さい。それではまた)
一方的に告げて、念話は途切れた。
これは罠だろうか? だが、確かめる事は出来ない。
今までもそうであったように、自分に出来るのは命令に従う事のみ。
だけど、もしも本当に開放して貰えるのならば……
(私は、彼を受け入れる事が出来るのだろうか?)
不安と、若干の期待を胸に、ミュウランは何事も無かったかのように行動を再開する。
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甲斐甲斐しく彼女の世話を焼くように、ニコラウスがコーヒーを入れて運んでくる。
「おや、お目覚めになられましたか?」
ニコラウス・シュペルタス枢機卿。
神聖法皇国ルベリオスの唯一神聖不可侵たる法皇の懐刀であり、西方聖教会の実質上の頂点に君臨する男。
その彼が、ヒナタに対してだけは、まるで子犬のように忠実に懐いてくるのだ。
昨夜もベットを供にして、一晩中相手をさせられた。
飽きる事無く、身体中を舐めまわす彼を見やり、
(本当、犬みたい…)
そうヒナタは思ったものである。
彼は、ヒナタを崇拝している。
まるで、女神か聖女でもあるかの如く。バカな男だ、ヒナタはそう思う。
(私だって、食事も摂れば排泄もする。年を取れば、当たり前だが老化するのだ。
何時までも美しい身体という訳では無いのに。この男は、幻想を見ているだけなのだ)
彼が彼女の身体を望むならば与えよう。安いものである。
この身体にそれ程価値があるとは思えないが、彼が望むなら好きにすればいい。
彼女にとって、自らの身体であれ、懐柔の手段に過ぎない。等しく価値は無い。
当然、彼女にも肉欲はある。不感症という訳でもないのだ。だからと言って、それが何だというのか?
好きでも無い男に身体を許す事も何とも感じないけれども。だが、嫌いな男に身体を許す事は無いだろう。
つまりは、
(結局、私もニコラウスを嫌ってはいない、そういう事か?)
彼女にもその辺りは理解出来ていない。それが実情なのだ。
「さあ、朝食の用意が出来ましたよ。お食べになるでしょう?」
ふと、おかしさが込み上げてくる。
ニコラウスが、人の為に朝食の用意まで行うなど、誰にも想像も出来ないだろう。
普段の彼を知る者は皆、ニコラウスの事を聖者の仮面を被った、傲慢で酷薄な男と評するのだから。
「ああ、貰うよ。ありがとう」
ヒナタが何気なくそう声をかけると、ニコラウスは嬉しそうに頷いている。
二人で朝食を食べた。
久しぶりに、美味しいと思える食事だった。
「そうそう。貴方に報告があったのですよ。先程、密偵が齎した情報です」
食事を終えて寛いでいると、ニコラウスがヒナタに話しかける。
彼女の気を惹きたくて仕方ないと言わんばかりに。
ヒナタは、自慢の黒髪を左右に手串で梳きながら、ニコラウスを見詰めた。
机の上に置かれた丸眼鏡を手に取り、装着すると、
「聞こうか」
簡潔に問いかける。
そこにいるのは、"法皇直属近衛師団筆頭騎士"であり、聖騎士団長の肩書きを持つ麗しき麗人。
普段の落ち着きと、冷徹さを表情に浮かべている。
寛ぐ時間は終わったのだ。
ニコラウスの伝えて来た情報。
ジュラの大森林の魔物達の騒乱と、魔物による町の建設。
そして、一部の国が魔物達との交易を開始した、という報告。
「なんだと? 魔物は人類共通の敵という教会の考えを根本から覆す事になるな……」
ヒナタの呟きに、頷くニコラウス。
「その通りです。どう致しますか?」
「ふむ…。そうだな…」
ヒナタは思案する。
叩き潰すのは容易い。しかし、そこに大義が無ければ人心は離れる事になる。
せめて、人と交流する前であれば、叩き潰してしまって終わりに出来たものを…。
「今は様子見しか出来ないな。
ただし、その町の戦力の調査と、それを潰せるだけの戦力の確保を!
教会としては、どこからか要請があるまでは動けない。
まあ…、要請が無ければ要請せざるを得ない状況を作り出すだけだがな…」
そう結論を下す。
その発言を聞き、ニコラウスは頷いた。
「子飼いの者に調べさせましょう!
教会の"
神と法皇と教会にのみ、その忠誠を誓う数名の狂信者。
だが、その腕は超一流であり、教会としても処分出来なかった者達であった。
ヒナタにとっては虫唾の走る、頭のオカシイ存在である。
合理主義者たるヒナタにとって、神を妄信するなど愚かさの象徴でしかない。
そんなヒナタが神の正義の守護者なのは、盛大な皮肉であったが。
「そう? じゃあ、お願いするわ。精々、やり過ぎないように躾は忘れないでね」
まだ動ける段階ではない。
情報収集は任せよう。それに、何らかの切欠を作れるかも知れないし。
そう考え、決断した。
結果として、血に飢えた狂犬は解き放たれたのだ。
びっくりするくらい、書くのに時間がかかりました。