「ヒトラーランド――ナチの台頭を目撃した人々」

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「ジャーナリズムは歴史の最初の草稿( ” Jouranalism is the first rough draft of history ” )」ということわざがあるという。本書は、1920年代から1941年にかけてのドイツでナチスの台頭という時代の激動に直面したアメリカ人のジャーナリスト、外交官、学者とその家族の様々な記録や証言、すなわち「歴史の最初の草稿」を元に、「ヒトラーランド」と化していくドイツの様子を描き出した一冊である。

同時代に何が起こっているのか、客観的に観察し判断することはとてもむずかしい。当時、ドイツを訪れたアメリカ人たちも同様で、「ドイツでなにが起こっているのか、そしてヒトラーがどこを目指しているのかについての解釈は、人によって大きく異なっていた」(P12)。中には非常に鋭い洞察力でヒトラーとナチスの危険性を的確に理解した者もいるが、支離滅裂なことを言うただの道化でしかなくすぐ消えるだろうと軽く見る者、逆にヒトラーを大衆扇動力に長けた非常に優れた政治家と評価する者、ヒトラーの行動力に魅せられて共感したり、ナチスのシンパとなったりする者など多様で、本書でも動乱の渦中で観察者となったアメリカ人たちそれぞれのヒトラー、ナチスとの関わり方が描かれる。

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1920年代、ヒトラーの台頭と失脚

1920年代のドイツ、既存の秩序が崩壊し、再建の途上の混乱と暴力と退廃が支配した社会で、人々のルサンチマンを吸い上げて排外と国粋とを唱える煽動的な指導者に率いられた集団が支持を集める。悲劇的ではあるが非常によくある光景である。

そんな数多の煽動者の一人、ミュンヘンを地盤に徐々に存在感を発揮し始めていたアドルフ・ヒトラーとナチ党をアメリカ人記者ウィーガンドは「キリストの使徒を思わせる熱心さと、説得力のある弁舌、人を惹き付ける魅力に恵まれ、共産主義および社会主義団体の中枢からも支持者を引き寄せるなど、ヒトラーは指導者としてのあきらかな資質を持っている」と評価しつつ、「このバイエルン版のファシスト党は、イタリアと同じく、ドイツ国軍と警察の内部でも密かに活動を展開しており、ヒトラーがいつの日か、バイエルン州の専制君主として名乗りを上げるという恐れもある」と書いた。

また米大使館付武官トルーマン・スミスは1922年11月、ヒトラーと面会したあと「とてつもない煽動政治家だ。あれほど論理的かつ狂信的な男の話は、めったに聞けるものではない。彼が民衆に与える影響は計り知れない」とメモしたうえで、ヒトラー台頭の可能性を報告書にまとめたが、戦後、「ミュンヘンで付けていた日記を見ると、わたしがヒトラーの人格にいたく感銘を受けて、彼はきっとドイツ政界の大物になるに違いないと考えていたことがわかる。しかし正直なところを言えば、彼がまさかヨーロッパのほぼ全土に君臨する支配者になろうとまでは、わたしは思ってはいなかった」と未発表の自叙伝に書いた。

一方領事代理のロバート・マーフィはドイツ人の同僚パウル・ドライに「ヒトラーのような扇動家が、この先もっと大きな支持を得ると思うか」と問い、ドライは強く否定して「ドイツ人にはすぐれた知性がある。あんなごろつきにだまされやしないさ」と答え、その意見に影響されて、やがて事態の進展とともに深刻に考えるようになるが、当初はヒトラーの影響を低く見積もっていたという。

特に本書で主人公の一人として描かれる人物、エルンスト・ハンフシュテングル、通称プッツィが興味深い。バイエルンの名家ハンフシュテングル家に生まれドイツ人の父とアメリカ人の母を持つ「ハーフ・アメリカン」だった彼はハーバード大学に進み、T・S・エリオットやウォルター・リップマン、さらに米大統領セオドア・ルーズベルトの息子、さらには後に米大統領となる上院議員フランクリン・ルーズベルトとも深い交流を持っていた人物だ。トルーマン・スミスの代理としてヒトラーの取材をすることになった彼は、ヒトラーに魅せられ、やがて妻ヘレンも含めて家族ぐるみの付き合いをするようになり、ナチズムに傾倒、台頭するナチスの中枢幹部の一人としてヒトラーを支えることになる。やがて党内政争に敗れて暗殺目前で脱出、英国に亡命して第二次世界大戦の開戦を英国から眺めることになった。

当時でも屈指といっていいリベラルでインテリな彼が徐々にナチスに傾倒し、やがて反ユダヤ主義的な言説を弄していく過程は実にドラマチックである。また、彼のアメリカ人の妻ヘレンも、ヒトラーの人柄に魅せられていた。神経質そうな貧相なちょび髭の小男、というイメージだが、実はヒトラーは非常に女性にもてた。妙に女性を惹き付ける魅力があったことが本書でも紹介されている。そして、ヘレン・ハンフシュテングルは大きく歴史を動かすことになる。1923年11月9日、ミュンヘンでの叛乱に失敗したヒトラーはハンフシュテングル家に逃げ込み、翌朝、警察がハンフシュテングル家を訪れた時、自殺しようと銃をこめかみにあてるヒトラーの銃を掴んでこう言った。

「なにをしているんですか。せっかくここまでやってきたというのに、この国を救おうと言うあなたの思想に共鳴してくれたあんなに大勢の人たちを置き去りにして、自分は死のうとするなんて[……]みんなあなたがまた立ち上がるのを待っているんですよ。」(P75)

勇敢で誠実な一人の女性の一言が、やがて世界を破滅と悲劇のどん底に叩き落すことになるのだから面白いというか、なんとも言えない感慨を覚えさせられる。

1920年台半ばのヒトラーとナチ党の一時的な退潮後に訪れた平穏の中、アメリカ大使シャーマンはドイツ経済の順調な回復を見つつ、1928年、こう書き記した。

「ヴァイマール共和国は概して市民からの評判もよく、活力に満ち、力強い成長を続けている。共和国の安定は、もはや確実なものとなったと言っていいだろう。」(P99-100)

だからそんな強力なフラグを立てるのは(以下略)

顕現するヒトラーランド

大恐慌後、暗転したドイツ社会に再び勢力を盛り返したナチ党は燎原の火のごとくと言って良い勢いで支持を広げていく。その様子も、本書ではアメリカ人の目を通して描かれている。1931年、13歳のあるアメリカ人少年は父に「お父さん、もしお父さんがドイツ人だったら、国家社会主義者になった」と問い、なぜそんなことを?と問い返す父にこう答えたという。

「だって、ぼくの友だちはほとんどみんな国家社会主義者なんだ。ぼくはみんなと一緒にいたいし、一緒にいればおもしろそうなことがたくさんあるのに、国家社会主義者にならないと、仲間にいれてもらえないんだよ」(P115)

ナチ党の政権奪取目前、新聞記者のエドガー・マウラーはビアホールを訪れてはナチ党の若者にビールをおごり、彼らの考えを聞き出していた。その一幕が興味深い。ユダヤ人が汚い手を使って仕事を奪うから我々には仕事が無い、どんなに懸命にユダヤ人が働こうと、もう長くないといい、「いちばん懸命に働いた者がいちばんいい仕事をもらうのはあたりまえじゃないか」と言い返されると、「ユダヤ人なら違う」と支離滅裂になり、「その意見は論理的かい。明晰な思考と言えるのかな」と止めをさされると、こう答えた。

「思考にはうんざりだ。思考なんてしてもなにもはじまらない。総統ご自身が、真のナチは血で考えるとおっしゃっている。」(P155)

1935年のナチ党大会の様子を取材したシャイラ―はホテルのバルコニーから姿を見せたヒトラーの姿に恍惚とする一万人の群衆の姿を描写している。「それは昔、ルイジアナの田舎町で、巡礼に出かけようとするペンテコステ派の人たちの顔に浮かんでいた、あの狂ったような表情だった」。そしてキリスト教のミサと見紛う党大会の様子について、「こうした雰囲気のなかでは、ヒトラーが発する一言一句が、天上から聞こえてくる御言葉のように感じられても不思議ではない」「人間の――少なくともドイツ人の批評能力は、こうした瞬間には、どこかへ吹き飛んでしまうのだ」

また、新聞記者ルイス・ロックナーも、「集まった人たちは、ヒトラーを見るとわれを忘れたかのように喜びの雄叫びをあげた。みなヒトラーのことを、神に遣わされた超人だと心の底から信じており、彼は現代のキリストだと断言してはばからない」とアメリカにいる娘へ手紙に書いた。

新聞記者のハワード・K・スミスは1936年からドイツを取材して、外国人がナチス治世下のドイツを訪れての気持ちの変化を四段階に分けた。第一段階で、ドイツの秩序や清潔さに惹かれ、第二段階で溢れかえる軍服と銃と行進曲のイメージに高揚させられ、第三段階でドイツ人全てがただ戦闘と殺人のマシーンとして訓練されているという事実に気づき、第四段階で純然たる恐怖を抱くというものだ。整然たる秩序から民主主義に対する脅威へと一気に移り変わっていく。

政治学者のフレデリック・シューマンは1933年にドイツで過ごし、1935年にナチス台頭を分析した論文を出版し、こう書いた。「人の感情に訴える、高度に主観的な集団妄想がつねにそうであるように、国家社会主義が要求するのは支持か拒否のみである。客観性は拒否と同じことだ」(P222)。

ヒトラーは確かに卓越した政治家だった。民衆の「恐怖、恨み、偏見を刺激する技術に、だれよりも長けていた」(P480)という点でだが。一方で、ただヒトラーに騙され続けていたわけでもない。ナチ党の幹部たちはみな自身の野望や欲望をヒトラーを立てることによって実現させようとしたし、市民もまた扇動されながらではあるにしても、ヒトラーを自らの意志で熱心に支持した。それを第三者的立場で観察する機会に恵まれても、その真理を見抜くことは非常に困難で、本書で描かれる彼らアメリカ人たちも、みな翻弄され、表面的な出来事を追うだけで精一杯だった。

そのような、激動の時代に翻弄された人びとが何をみて、どう感じ、何を見ることが出来なかったか、本書はあますところなく伝えてくれる。そして、ひたひたと忍び寄り、じわじわと広がって、一気にその姿をあらわす「ヒトラーランド」の顕現。ぞくぞくさせられる一冊だ。

あと、ゲッベルスはまさにナチスの司祭の役割を担っていたんだなと、改めて思わされるエピソードがあって印象に残っている。1933年5月10日、「ユダヤ的、マルクス主義、非ドイツ的、不道徳」な本約二万冊が焼かれ、集まった群衆に対し、ゲッベルスは高らかにこう宣言したという。

「この炎は、古い時代の最後の一幕を照らし出すのみならず、新たな時代にも光を当てる。いまだかつて、若者たちがこれほど正当な権利のもとに、過去の残骸を一掃した例はない。[……]おお、わが世紀よ、生きることは喜びである。」(P166)

あとは本書から米大使ウィリアム・ドッドとジャーナリストドロシー・トンプソン、そしてアドルフ・ヒトラーの三人の言葉を引用しておこう。

「もし政治家が歴史を深く学び、特権を求める者による社会支配を含むシステムは、これまで例外なく崩壊に終わっているという事実に気付いたなら、それは罪ではない。
理想的な社会秩序を作り出すためには、すべての人間に、自発的な行動における最大限の自由を与え、個人や集団が、ほかの人々の犠牲によって暴利をむさぼることをつねに禁じることが肝要だ。」(ウィリアム・ドッド)

「民衆が『覚醒』しつつあるなか、ヒトラーの運動が狙っていたのは、独裁制を投票によって導入することだ!これはたしかに魅力的なアイディアだ。想像してみて欲しい。未来の独裁者が、主権者たる国民に対し、みずからの権利を投票によって放棄せよと説得しようと目論んでいるのだ。」(ドロシー・トンプソン)

「独裁制は、民衆がひとりの人間への信頼を示し、彼に支配してくれと頼んだ時点で、正当なものとなるのだ」(アドルフ・ヒトラー)

まぁ、ヒトラー政権奪取の過程を知るものならヒトラーの言葉は全く説得力がないことがわかるだろうが。そもそもパーペンやシュライヒャーみたいな・・・(以下この二人について語りだすと長くなるので略)